マーレン・アデ『ありがとう、トニ・エルドマン』はドイツの映画で、お節介焼きの父親がルーマニアのブカレストで働く娘を訪問するという話。
娘はコンサルタント会社に勤めるキャリアウーマン。
どんな仕事をしているかというと、社員を退職させ、外部委託することで、経費を削減すること。
顧客の社長にルーマニアについて聞かれた娘は、若い人は修士を出て数カ国語が話せるとほめます。
これは愛想半分だろうけど、ヨーロッパ最大のモールがあるというので、父親を連れて行きます。
『ありがとう、トニ・エルドマン』を見ると、ルーマニアはこれからどんどん発展していくように感じます。
ところが、クリスティアン・ムンジウ『エリザのために』というルーマニア映画では、警察医の父親が、この国はダメだからと、娘にイギリスの大学に留学させようと苦闘します。
娘は白昼、高校のすぐそばで襲われるし、アレクサンダー・ナナウ『トトとふたりの姉』では、スラムに住むロマの姉弟のまわりはヤク中だらけ。
こういった映画を見ると、ルーマニアは治安が悪いとしか思えない。
同じルーマニアの映画でも、そこで描かれる風景が違うわけです。
高野秀行さんのブログに片桐はいり『わたしのマトカ』が紹介されていて、どういう本かも知らずに読みました。
http://aisa.ne.jp/mbembe/archives/3873
「マトカ」はフィンランド語で「旅」という意味。
『かもめ食堂』の撮影のためにフィンランド1カ月滞在したときの見聞録です。
フィンランドだけでなく、ニューヨークの地下鉄、カンボジアの朝日などにも触れられていて、ほほーと思います。
北海道のホテルでマッサージを頼むと、しなしなのおばあさんが現れる。
フィンランドの遊園地でのこと。
それなりに人出があり、胃袋が裏返るような新種のアトラクションもあった。
しかし、である。
アキ・カウリスマキの世界ではないか!
映画に出てくる登場人物は現実の人たちだったのか!
アキ・カウリスマキはリアリズム作家とは知らなんだ。
片桐はいりさんの弟さんがグアテマラに住んでいて、1993年にグアテマラに行ったときのことも書かれています。
テレビの時報で時計の時間を合わせようとしたら、局によって時間が違うと弟さんが言います。
それで『グアテマラの弟』も読みました。
というのが、グアテマラでは1960年から内戦が始まり、1996年に終わりますが、内戦についてどういうふうに書かれてあるのかと思ったからです。
『グアテマラの弟』は2006年にグアテマラを再訪したときの紀行です。
そのためか、1992年にリゴベルタ・メンチュウがノーベル平和賞を受賞していることや内戦のことははまったく触れられていません。
『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』とは別の国の話のように感じます。
しかし考えてみると、内戦の間だって、マヤ文明の遺跡に観光客が訪れていたわけです。
『ブラックレイン』の大阪や『ロスト・イン・トランスレーション』の東京が現実の大阪や東京だと思う日本人はいないでしょう。
ルーマニアにしろフィンランドにしろ、そしてグアテマラにしても同じ。
いろんな顔をしていて、そのうちのある一面でしか映像はとらえることができない。
あたりまえのことに、今さらながらなるほどと思った次第です。
(追記)
「ユニセフニュース」vol.255に、グアテマラで働くユニセフ職員の篭島真理子さんが「治安の悪さや貧富の差、男性優位や先住民への差別などが存在することが普通で当たり前」と書いています。