三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』(2)

2017年07月16日 | キリスト教

木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』で興味深いのは、60年代以降のキリスト教福音派やキリスト教右派の動きが詳しく説明されていることです。

第二次世界大戦中は連合国に対立する国を、その後は共産主義国を、「神の国アメリカ」の敵、あるいは「反キリスト」として捉えた。
しかし、「ユダヤ・キリスト教国家」としてのアメリカの伝統的価値観に対する異議申し立てとして生まれたカウンター・カルチャーが盛んになる1960年代に入ると、それまでの価値観が覆された。

このころからアメリカのキリスト教の中心は、比較的リベラルな立場の「主流派教会」から、保守的な立場をとる福音派へと移っていく。
その福音派の中から、さらに自分たちの保守的なキリスト教的価値観を政治に反映させようとする「キリスト教右派」が力を持つようになる。

1951年、ビル・ブライトキャンパス・クルセード・フォー・クライスト(CCC)を創設し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で活動を始めた。


カリフォルニア州知事だったレーガンや福音派の人々が、ヒッピーの巣窟と目されていたカリフォルニア大学バークレー校の浄化に乗り出し、ヒッピーたちをクリスチャンに転向させようとした。

1967年、CCCも「いま革命を」というキャンペーンをカリフォルニア大学バークレー校で展開する。
レーガンは自分が政治能力があることを有権者に示す必要があり、ビル・ブライトたちはレーガンに協力することで、自分たちが政治に影響を及ぼせるようになると考えた。

ヒッピーの街と化していたバークレーでは、短髪にスーツ姿では受け入れられず、キャンペーンは苦戦する。
そこで、ビル・ブライトはCCCのスタッフたちにヒッピー・スタイルを身につけるよう命じ、クリスチャン世界解放戦線という名の組織を結成し、CCCの活動の前面に発たせた。
また、社会活動家やヒッピーたちが好んで使っていた「革命」「スピリチュアル」という言葉を多用して、学生に話しかけた。
いわば異教徒の牙城であったバークレーに対する十字軍の戦いそのものだった。
ビル・ブライトはさらにCCCの活動をワシントンや軍隊の中にも広げていく。

1969年に行われたウッドストックに対抗するように、ビル・ブライトはクリスチャンのためのウッドストック・フェスティバルとして、Explo'72 をダラスで行い、75カ国から高校生や大学生8万人が集う一大イベントとなった。

クリスチャンのミュージシャンたちは、いかに過去の自分たちが麻薬に溺れて不幸であったのか、そして、イエスに出会ってことでいかに救われたのかという信仰のメッセージを若者に向かって発した。

Explo'72で演奏された曲はレコード化され、希望者はCCCに問い合わせると無料で入手できた。

この方法によってCCCは若者たちにアプローチすることができ、さらなる活動に勧誘することができた。

CCCが提唱した「ワン・ウェイ(イエスこそが唯一の救い)」というわかりやすいスローガンは、カウンター・カルチャーで何も変わらなかったことに幻滅し、喪失感を抱いた若者たちに受け入れやすいものだった。


CCCは保守的な神学を保持しながら、ホップ・ミュージックを中心としたコンテンポラリーな宣教のスタイルを伴って、カウンター・カルチャー世代の取り込みに成功した。

こうしてCCCの勢力は、YMCAなど従来からあったキリスト教系の青年団体を凌駕するようになった。

1970年代の時点で1万人のフルタイムのスタッフを抱えていたが、2005年には191カ国に活動範囲を広げ、2万6千人のフルタイム・スタッフと、55万人の訓練を受けたボランティアを有し、予算規模は4億ドルとされている。


1980~90年代に政治の表舞台に出てくるキリスト教右派グループは、ビル・ブライトがCCCを通して保守的な考え方を広めた世代を中心としている。


福音派の協力によってレーガンが大統領に選ばれたことを喜んだビル・ブライトは、1980年に開催されたイベントで、20万人もの福音派やキリスト教ファンダメンタリストたちをが集め、レーガンのために一日中祈りをささげた。

このイベントには、それまで反目しあっていた南部パブテスト連盟と福音派教会など保守派が初めて協力して一緒に参加した。

そのころの最大の宗教ロビーはモラル・マジョリティーで、かつての伝統的価値観の回復を求める政治団体である。

主な主張は次の3点
①世俗的人間中心主義への批判
②伝統的な家族を守ること
③アメリカ至上主義

「伝統的な家族を守ること」という立場から、人工妊娠中絶反対、男女同権法案反対、同性愛者の権利を認めることへの反対、家庭の教育に公権力が介入することへの反対を主張した。


1968年にプロダクション・コードが廃止された後のアメリカ映画は、キリスト教右派による「暗黙の検閲」を受けねばならなくなった。


イエスが誘惑に負けて女性と関係を持つ場面があるマーティン・スコセッシ『最後の誘惑』(1988年公開)の製作・上映は福音派の団体から妨害・抗議を受けたが、抗議運動の中心となったのがCCCだった。


ビル・ブライトは映画の配給を予定していたパラマウントにフィルムの破棄を前提に、原作の映画化権を購入したいと申し入れた。

映画化権の購入に失敗すると、上映を中止させるためにCCCのメンバー2万5千人を動員して、映画館の前でボイコット活動を展開し、映画館に入ろうとする人々を実力行使で阻止した。

しかし、主流派教会の牧師たちは、あまりに行き過ぎた抗議活動に異議を唱えた。

キリスト教的性道徳を掲げる福音派などの保守派と、言論の自由を求めるリベラル派との間にあった思想的葛藤がアメリカ社会の中で顕在化することになった。

『最後の誘惑』をめぐる一連の出来事の背後には、伝統的価値観の回復を望むキリスト教右派や新保守派と、そこから自由でありたいと願うリベラルとの対立構造があり、1990年代初頭になると、政治、社会を巻き込んだ「文化戦争」へと発展していく。

「文化戦争」で論争の的になっている主要なトピックは、人工妊娠中絶、同性婚、公立学校での祈禱の再開などである。
多様な価値観が林立することによってアメリカという国家が解体することを恐れる人々は、そこに確固たる道徳規範を求めていったのである。

以上、木谷佳楠氏の論攷を読み、CCCのやり方はまるで日本会議だと思いました。
草の根保守運動です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする