三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

民主主義

2015年05月07日 | 日記

民主主義とは何か、何人かの文章を集めてみました。
ちょっとずつ違っていますが、基本的なところでは共通しています。

大島渚
多数決は、一部の力のある者が横暴になることを防ぐためのもの。集団いじめのようになっては本来の意義から外れてしまう。それで、民主主義の基本原則はいつも、多数の利益と少数の尊重が並列される。だから、多数決はそれ自体が問題ではなく、それをどこまで適応させるかが問題になる。

 

渡辺靖
民主主義は多数決とイコールではない。むしろ、勝者(多数派)が敗者(少数派)に対してどれだけ耳を傾け、信頼と共感を勝ち得てゆくかによって真価が問われる。「数の論理」を盾に敗者(少数派)を軽んずることは、トクヴィルが懸念した「多数派の専制」に他ならない。

民主主義=多数決ではなく、少数者を大切にするのが民主主義なんだということです。

平川宗信
日本では「民主主義イコール多数決」だと考えられがちですが、民主主義は決して多数決ではありません。その本来の意味は「自治」で、自分たちのことは自分たちで決める、その権限と責任を引き受けるということです。よく「市民自治」と言われますが、「市民が自治を行う」、これが民主主義です。

「民」と「公」について。

神野直彦
民主主義の「民」は支配される者という意味ですし、「主」は支配する者を意味します。

つまり、民主主義とは「支配される者が支配すること」を意味します。
デモクラシーの「デモス」とは民衆、「クラシー」は権力、民衆が権力を握ることがデモクラシーだそうです。
「公」ということについて宇沢弘文は、ゲーテの、封建領主や貴族が独占している庭園をすべての社会の構成員に開放して公園をつくろうという「公園の思想」を紹介しています。
公園とはみんなのもの。
中国で公用電話とは誰もが利用できる電話。
「公」とはみんなに開かれたものということになります。
ところが、日本で「公用車」といえば、誰もが利用できる車ではなく、官僚が使用する車のことを指すように、「官」のことになっています。

神野直彦
日本では「公」に「官」というレッテルを貼ってしまいます。その上で「官から民へ」と、心ないメディアが騒ぎ立てます。(略)「民」には市場とか、企業とかいう意味はありません。(略)
「官から民へ」という合い言葉は、「公」の領域を、市場の領域に委ねるべきだとか、企業に委ねるべきだとかいう意味として使われるのです。

「官から民へ」というといいことのように感じますが、公共財の私有化です。

誰もが排除されなかった「公」の領域が、豊かな者の手に委ねられ、貧しき者が排除されてしまうことになるわけです。

渡辺靖『アメリカン・デモクラシーの逆説』によると、アメリカでは1990年代半ば頃から「政府による規制」よりも「市場による規制」、つまり企業のほうが政府よりも優れた市場調整機能を持つという発想が強まり、年金保険や健康保険、公共交通、エネルギー供給、刑務所、軍事・安全保障、学校教育や大学教育に関わる広い分野で民営化が進んだそうです。
民営化・規制緩和→小さな政府→公共サービスの低下(教育、インフラ、医療、年金、住宅など)
というわけです。

水島朝穂
民主主義とは突き詰めると「多数決」であり、多数者の立場を重視するのです。立憲主義は違うのです。多数者ではなく少数者を守るために立憲主義はあるのです。つまり、端的に言うと立憲主義は「反多数者主義」なのです。民意を最重視する政治家もいます。彼らは政策を実行するのに「民意だから」と言いつつ、個人の権利を侵害してきます。それを「民意にかかわらず」と少数者を守るのが立憲主義なのです。
コメント
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