『謝るなら、いつでもおいで』の著者川名壮志氏は、2004年に起きた佐世保小6女児同級生殺害事件の被害者の父親である御手洗恭二さんが毎日新聞佐世保支局長だったときの部下で、被害者の怜美さんをよく知っていて、当事者とも言えます。
本の後半には、御手洗恭二さんと御手洗さんの次男(事件当時中学3年生)、そして加害者の父親へのインタビューが載っています。
御手洗さん親子の言葉は身近な方を亡くされた人の話に共通することがたくさんあります。
御手洗恭二さんは音楽や食べ物で娘さんのことを突然思い出すと言われます。
怜美が好きだった曲がコンビニで流れたり、怜美が好きだった食べ物が食堂で出てきたり、そんなことがきっかけになったり、会社帰りの夜道を一人でぽつぽつ歩いているときに突然、思い出が噴きだすこともある。記憶のスイッチのオン、オフが自分で制御できない。
思い出が薄れていくということはないよ。だって、薄れないもん。
亡くなられた人のことを忘れることができないのは犯罪被害者遺族に限りません。
『銭形平次捕物控』の作者である野村胡堂の「K子と野薔薇」という随筆に、次女の死について書かれています。
シューベルトの歌曲「野バラ」のレコードが好きだった次女は、結婚して三年目に腹膜炎で死にます。
久しぶりに「野バラ」を聴く野村胡堂。
野村胡堂は「耳から来る連想の鮮明さ」に我慢できず、途中で蓄音機のスイッチを切る。
そして「果てしもないのは、まことに愚かしい親の悔いである」と随筆は締めくくられます。
桜の花を見ると亡くなった人と花見をしたことを思い出すとか、映画を見た後に食事した店の前を通ると、そのとき見た映画の記憶がよみがえると聞きます。
私たちは亡くなった人のことを身体全体で覚えているんだなと思います。
時間が薬だ、悲しみは時間とともに薄らいでいくと言いますが、東日本大震災の大津波で家族を亡くされた方は、悲しみは何年たっても薄れないと話されていました。
悲しみは何年たっても突然ぶり返してくる、そのたびに悲しみがつのってきて、「ああすればよかった」「こうすればよかった」という悔いも出てくる、と。
このように御手洗さんは話しますが、次兄も同じことを言っています。
身近な方を亡くした人から「未来がない」と聞きます。
あれをして、こうなってという未来を私たちは持ちますが、死によって未来を共有することができなくなります。
御手洗恭二さんもこんなことを話しています。
そして自責の念、「もっと早く大きな病院に連れて行ってたら」とか、「あんな叱り方はしなければよかった」といった罪悪感はほとんどの人が持つように思います。
怜美さんの家に加害者が遊びに来たこともあり、次兄は加害者を知っていたし、ネットでのトラブルがあることも怜美さんから何度か聞いていました。
トラブルは誰にでもあるしとは思っても、そうは割り切れない。
御手洗恭二さんは加害者とのトラブルを知りませんでした。
もうちょっと気配りをしてあげれば、ちゃんと向き合えていたかどうか、接する時間を増やしていれば。
罪責感は残された人の心を蝕むこともあるように感じます。