三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

福島と沖縄 1

2012年08月09日 | 戦争

某氏より高橋哲哉「憲法から問う原発という犠牲のシステム」という講演録をいただく。
これは2011年12月に行われた愛知県宗教者九条の会でのお話をまとめたものである。
高橋哲哉氏は『犠牲のシステム 福島・沖縄』という本を上梓していて、たぶんこの本の内容を要約した話だと思う。

高橋哲哉氏は、福島と沖縄には関係があると説く。
福島・沖縄は戦後日本の国家体制として不可欠の犠牲のシステムを象徴する。
「原発は、戦後日本国の経済を支える犠牲のシステムだった。沖縄は、戦後日本国の安全保障を支える犠牲のシステムだった」

原発は犠牲のシステムだということ。

原発には四つの犠牲が重なり合っている。

 ・第一の犠牲 苛酷事故

福島原発の事故は途方もない大事故である。
苛酷事故が起こる可能性は千年に一回、一万年に一回と想定されているみたいだが、現実にはスリーマイル島、チェルノブイリ、そして福島と、十年、二十年くらいに一回、苛酷事故が起きている。

「事故が起こらなければそれでいいじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、しかし事故は想定されているんです。(略)
原発で苛酷事故が起こるということは、実は想定内であります。想定されているからこそ、原発は人口の少ない地域を選んで作られているわけです。これは、ちゃんと法律になっています。原発立地地域は、まず中心部分に人が住んでいない、非居住地域であること。周辺部分は低人口地域であること。さらに、周辺も含めておしなべて人口過疎地帯であること。こういうことが、原発の立地指針として、すでに1960年代に定められています。(略)
一部80年代に改定されて、正式な名称は「原子力発電立地地域振興に関する法令」というものがありまして、こちらの方では、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸、こういった大都市とその周辺には原発を立地しない、というふうになっています」
今回の事故を想定していたにしては、お粗末な対応でした。

 ・第二の犠牲 被曝労働者

苛酷事故さえ起こらなければいいのか。
「そうではない。事故が起こらない通常の運転中も、定期点検が義務付けられていますが、それはすなわち原発はそもそも危険なものだということを、政府も電力会社も認めているわけです」

原発労働者の被曝は平常時でも常に発生している。
「原発は通常の運転中にもしょっちゅうトラブルを起こして、そのために被曝労働が不可欠になってしまうんですね。事故の時はもちろん、通常の時も原発は原発労働者の犠牲なしには回らない」

福島原発の事故を収束させるために作業をしている人たちは一万人を超えているそうだ。
原発作業員は年間の被曝線量の上限が100ミリシーベルトと定められているのだが、福島原発の事故が起こってから、政府は上限を250ミリシーベルトに引き上げた。
白血病やガンになっても、累積放射線量が200ミリシーベルトでは労災になりませんよ、ということである。

日本では原発が動き始めてから40年間に、被曝労働者は45万人いると言われているが、その多くは孫請け、ひ孫請けで働いている作業員である。

原発の労働者が被曝で病気になったり、死亡したりして、労災の認定を受けた人は10人しかいない。
安全だからその程度の人数だというわけではなく、闇に消された被曝労働者が大勢いるらしい。
この10人の中で100ミリシーベルト以下の人が9人。
ということは、3月11日から福島原発で働いた作業員たちから白血病やガンで亡くなる人が次々と出てきてもおかしくない。

 ・第三の犠牲 ウラン供給側の労働者

「ウラン鉱の採掘労働に従事した周辺住民の被曝線量が高くなる。それからウランを採ったあとのウラン残土というのが放置されていて、これが非常に放射線量が高くてどこにも持っていくことができない」
森瀧春子氏が、インド唯一のウラン鉱山があるジャドゥゴダでは先住民が働かされ、土壌や地下水が汚染され、ガンや異常出産・先天性障害が多発し、新たな「ヒバクシャ」が生まれていると話されていた。

 
・第四の犠牲 放射性廃棄物の問題
放射性廃棄物をどう処理するか。
「日本政府は基本的には地層処分というので、要するに土の中に埋めてしまうということを考えている。埋めても地震があってそこに大きな断層ができたらどうなりますか。何しろ、放射能の半減期は百万年単位のものもあります。何百万年の間には、地震ばかりでなく、もっと大規模な地殻変動で陸が隆起したり、海底に沈んだりということがしょっちゅうあるわけです。地下何百メートルに埋めたから安全だ、などということは、全然通用しません」
つまり、解決策を見出していない。
それなのに「見境なしにどんどん原発を作ってしまった」わけである。

第一の犠牲は福島原発の事故で身近になった。
でも、第二の犠牲はまだまだ他人事。
まして第三、第四の犠牲となると、遠くの国や百万年後の話だから縁遠い。
で、犠牲は続くわけである。

コメント (12)
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