三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

国民が主役

2012年08月06日 | 戦争

日本国憲法で最も重要な言葉は「われら」だと、ダグラス・ラミス『要石:沖縄と憲法9条』は言う。
「われら」という言葉から「主権在民の憲法だということが読み取れる」わけである。
国民が主役ということが主権在民。
「今の憲法は、形として、国民からの政府に対する命令です」

大日本国憲法は「われら」ではなく、「朕」となっている。
「その憲法は、形としては明治天皇の命令であり、明治天皇が語っているわけです」
大日本国憲法では日本人は臣民だった。
臣民とは「言われたことに従う人間」である。

日本国憲法は「国民」という言葉が使われる。
憲法を新しく作ることは国民をつくり直すこと。
新しい憲法を、と主張する人は国民を臣民に変えようとしている。
このように説明されると、憲法とは何かがわかったように思う。

赤坂真理『東京プリズン』の書評に、「立憲君主制」とは「憲法にのっとった独裁」とある。
調べてみると、立憲君主制は英語でConstitutional monarchy。
monarchyとは、1 君主制,君主政治[政体];君主国 2 独裁[専制]君主権[政治,国]。
なにやら意味深です。

今の憲法はアメリカの押しつけだと言われる。
しかし「主権在民の憲法は、すべて押しつけ憲法」だとダグラス・ラミス氏は言う。
憲法とは政府の権力・権限を制限するだから、「押しつけないと主権在民の憲法はできない」
だから、「アメリカ占領軍と国民が一緒になってこの憲法を政府に押しつけた」わけである。

問題は、押しつけられた憲法の中身がどのようなものか、である。
筑紫哲也氏は、大学生に話した講義をまとめた『若き友人たちへ』の中で、
「日本国憲法には、世界で例のないことがいっぱいあります。みなさんよく知っている第9条、つまり戦争を絶対にしないということを憲法で謳っている国として、よく日本とコスタリカという中米の国があげられます。でもそれ以外にも、実はみなさんがあまり気づいていない条項があります。「男女平等」です。
日本国憲法はアメリカ人、占領軍が作った押し付け憲法だと、よく言われますね。ところがアメリカの憲法には男女平等の条項はないんです」
と語っている。

「あの当時、憲法起草を急げとマッカーサーに言われて作ったのは、アメリカでニューディーラーと呼ばれていた人たちで、アメリカを新しく建て直していきたいという意欲に溢れた若い連中でした。(略)
いわば理想主義者たちが占領軍に集まって、世界で最も理想的な憲法を書くとすればどういう憲法なんだろう、と議論して出来上がったのが日本国憲法の草案なんですね」

たしかに憲法はいかにも直訳風の硬い文章で、読もうという気が失せてしまう。
でも、なぜ変えないといけないのか。
筑紫哲也氏は「『菊と刀』に極めて予言的なことが書かれてあると言っている。
「戦争に負けた日本とドイツは、軍備をもつことは許されないだろうから、自分たちの生活向上のためにエネルギーを使うことが可能だと言っています。(略)
中国はやがて軍備増強に向かうだろうけれど、日本はそれをやらないことによって、平和の経済に力を注ぐことができ、遠からず東洋の通商貿易において、必要欠くべからざる国になるだろう。その経済を平和の利益の上に立脚せしめ、日本の国民水準を高めることができるだろう。そのような平和な国となった日本は、世界の国々の間において、名誉ある地位を獲得することができるだろう。そうも予言しています。(略)
せっかくそうやって手に入れたものを、なぜ投げ捨てて中国やアメリカのように軍備のほうへ金をどんどん移していって、「普通の国」にならなきゃいけないのか」
たしかにそうだなと思う。

「過去のことはもういい、戦後政治も清算して違うことを考えようなんて話を、田原総一朗さんなんかも言う。人間で言えば還暦、もう別のところへ行っていいんじゃないかと。でも、そう簡単じゃないんですよ。中国にだって、あの戦争でいろんな目に遭った人がまだいるでしょう。疎開をした少年にすぎない私でさえまだ生きているんですから。

それを簡単にチャラにして違う方向へ行こうというのは、これは無理です」

後藤田正晴氏も「どう憲法を変えてもいいけれど、今はまだ早い」と言っていたそうだ。
「将来、自衛権とかいろいろ書き直さなければならないかもしれない。しかしそのなかでも最後の一線がある。外へ出かけていっての武力行使は絶対にしないという一点を、どう憲法改正する場合でも入れるべきだ」と。

右翼の田中清玄氏も同じ発言をしているという。

田中愛治早大教授(田中清玄の息子)「実は父は、憲法は変えるべきじゃない、と意見を変えていました。父は戦後、アジアを歩き回るんですが、アジアの人たちと会って話しているうちに、アジアの人たちの信頼というものをまだ得られていないことに気づいたんです。それが得られないうちに憲法を変えてはいけないと思うようになったのです」
憲法を変えることで何か得する人間がいるんだろうなと邪推する。

コメント (4)
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