三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

佐藤純彌『桜田門外ノ変』

2011年01月25日 | 映画
「週刊文春」の映画評で、品田雄吉氏は『桜田門外ノ変』を星4つにしていた。
品田雄吉氏を信頼している私としては期待したのだが、イマイチでした。


私は桜田門外の変はテロだと思うのだが、過去の出来事を今の視点で裁くのは間違いで、単純に決めつけるべきではない。
しかし、映画の冒頭とラストに国会議事堂のショットがあり、これは幕末と現在の日本の状況をだぶらせ、現在の日本が幕末と同じ危機的状況にあると訴えたいではないかと思う。
となると映画の製作者は、政権の座にいる者を暗殺することで政治を変えようとする桜田門外の変はテロだと認識していると、まずは想像する。
だが、映画を見ると、テロの危険性よりも、憂国の士よ、立て、という感じなのである。

映画の中でこういうセリフが何度も出てくる。
「世の中を変えなければ日本は滅びる」
「ともに手をたずさえてこの国をただそう」
「この国を救う道はない」
原作の吉村昭『桜田門外ノ変』には「国」とはあっても、「この国」とは書かれていない。
「この国」という言葉、司馬遼太郎がはやらしたんじゃないかと思う。
「国」か「日本」と言えばいいのに、わざわざ「この国」という言い方をするのは何かいやである。
そして、井伊大老暗殺の中心人物である関鉄之介を匿う大庄屋は、関鉄之介たちを烈士とたたえ、「国家のため、大義のため、何もかも捨てた」とほめる。
彼らは国を憂えて行動したことになっている。
ところが、原作にはこのセリフもない。

原作を読むと、水戸藩の儒者である会沢正志斎や豊田天功は尊皇攘夷論者だったが、「井伊大老を斃して幕政を改革するという企ても、無謀きわまりないものであるという考え方に変わっていた」とある。
そして、井伊大老暗殺の決行をせまる薩摩藩士に「それを全く愚かしい考え方だとして怒声すら浴びせかけた」と、吉村昭氏は書いている。
「さらに、会沢と豊田は、攘夷論についても修正する必要があるとして、高橋らが唱える攘夷論を危険視した。異国との軍事力の差はきわめて大きく、武力で対抗すれば日本は異国の圧力によって領土を侵害され、朝廷の消滅にもむすびつく、と、深く憂慮の念をしめした」
事実、会沢正志斎は慶喜に開国論を説いた書を提出している。
ところが、水戸藩の急進派(武士だけではなく領民も)は徳川斉昭や藩主(斉昭の息子)の命令すら聞かなくなる。
そうして井伊大老を暗殺し、天狗党の乱を起こし、水戸藩の内部抗争によって結局は中心的な人がほとんど死んでしまった。
そういった背景は映画では説明されていない。

尊皇攘夷の志士たちは日本の未来を真剣に考えていたのだろうが、私はあまり好きではない。
私は高校生のころ、井伊直弼は吉田松陰たち志士を殺した悪党だと思っていた。
映画でも井伊直弼は悪役として描かれているし、通商条約を結ぶよりは戦うべきだと主張する徳川斉昭は名君ということになっている。
だけど、あの時点で開国することは正しい選択だしり、攘夷で突っ走っていたら日本は植民地化されていたと思う。
また、尊皇とは神武創業のいにしえに復古するのが目的なのだから、原理主義である。
つまり、攘夷の志士というと聞こえがいいが、彼らは原理主義者のテロリストである。
テロリストはみんな国や民族、宗教のためを思っている。
しかし、国の現状を憂いているから何をしてもいいというわけではない。
彼らは目的のためには手段は問わないし、自分と違う考えの存在を認めない。
暴力で問題を解決するという点では、近ごろなまいきだから、というのでリンチするのと同じ発想である。

吉村昭氏は『桜田門外ノ変』のあとがきに、
「桜田門外の変と称される井伊大老暗殺事件が、二・二六事件ときわめて類似した出来事に思える。この二つの暗殺事件は、共に内外情勢を一変させる性格をもち、前者は明治維新に、後者は戦争から敗戦に突き進んだ原動力にもなった、と考えられるのである」
と書いている。
関鉄之介たち攘夷論者が井伊大老を暗殺したのは、「幕府に敵対するものではなく、幕政を正道にもどす目的」だった。
ところが、水戸浪士が起こした桜田門外の変、つづく坂下門外の変によって幕府の威信は地に落ちた。
「水戸学の尊王攘夷論は、朝廷を尊崇することによって人心の統一をはかり幕府の政治力を強化して外圧に対抗することを目的にしたが、一変して、尊王倒幕論となったのである」
関鉄之介たちの行為が結局は幕府を崩壊させ、開国へ後押しすることになった。
同じように、二・二六事件の将校たちも日本を敗戦、軍隊解散へと導いたという皮肉。
共通点がもう一つあって、浪士と将校は捨てられた。
施政者は自分の地位を脅かす怖れのあるものには敏感だから、テロを認めると次は自分がテロの対象になるかもしれないことを怖れたのである。

原作には関鉄之介の行動が細かく描かれているのが不思議だったが、日記が残っているんだそうだ。
吉村昭氏は関鉄之介の孫にも会って話を聞いてる。
子孫がどうなったのか、単なる好奇心なのだが、気になるものである。
関鉄之介の子供が無事に成長したと知ってホッとした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする