三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『「心の専門家」はいらない』『心を商品化する社会』1

2011年01月09日 | 

「同朋新聞」10月号に小沢牧子氏のインタビューが載っていて、いわゆる「心のケア」ということを批判をしている。
私は「心の時代」とか「心の癒し」とか、そういった言葉にうさん臭さを感じていたし、カウンセリングにも何となく疑問を持っていただけに、小沢牧子氏の指摘にはなるほどとうなずいた。

小沢牧子氏はこう言う。
「心の商品化に伴って心理学が流行り、悩みを取り扱う専門家をたくさん生み出しました。カウンセリングの普及が人と人とのつながりを弱め、悩んだり耐えたりする力を奪い、「個」へのサービスに依存する風潮がますます進行していきました」
阪神大震災の時に「心のケア」という言葉がはやり、カウンセラーが大勢派遣された。
そして、中学生が自殺したりすると、すぐに心の専門家を学校に派遣し、子どもの「心のケア」をしようとする。
そのことを小沢牧子氏は批判する。
「本来はその場で暮らしている大人や子どもたちが、悲しんだり励まし合ったり、どうしてこんなことが起きたんだろうと一緒に考えることがもっと大切なのに。そういう大人たちの姿から子どもたちは学び、安心する。見知らぬ専門家がいきなりやってくるのは不自然で見当違いだと思いますよ」

カウンセリングはあらゆる悩み事に万能だという誤解があるんだと思う。
それと、何かあったときにカウンセラーを派遣しさえすれば批判を避けることができるという、責任逃れにすぎないのかもしれない。
「専門家が入ってくると、先生たちは下手に動いて何かまずいことが起こるといけないからという責任逃れの気持ちが働いてしまって、専門家に問題を預けてしまうんです」

『あの空をおぼえてる』という映画があって、妹を事故で亡くした小学生が通っている小学校のスクールカウンセラーがその小学生にあれこれと話しかける。
頼まれもしないのにその子の内面に侵入してくるわけで、私にはスクールカウンセラーのしていることはお節介としか思えなかった。
小学校教師の知人に聞くと、スクールカウンセラーに相談するのはほとんどが親で、子どもは保健室に行くそうだ。
なんのこっちゃ、である。
子どもたちは見知らぬカウンセラーには当たり障りのないことしか話さないと思う。
親の相談窓口は保健所や精神保健センターなどあちこちにあるわけで、わざわざ小学校にスクールカウンセラーを配置する必要はないという気がする。

そして、小沢牧子氏はこういうことも言っている。
「さらに言いますと、心のケアというのは一面では管理の発想なんですよ。事が大きくならないように収めるための」
管理とはどういうことかと思い、小沢牧子『「心の専門家」はいらない』
、小沢牧子・中島浩籌『心を商品化する社会』を読んだ。

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