三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

葬式と墓 1

2010年10月11日 | 仏教
小谷みどり第一生命経済研究所主任研究員の講演は面白かった。
坊さんに対して率直、かつ厳しいことをびしびしと話された。
たとえば、坊さんの社会活動で成功したものは一つもない、ビハーラもそうだ。
まず儀式や法話をきちんとしてほしい。
葬式や法事ではいやでも坊さんの法話を聞かされる。
普通の人にはそういう機会がない。
チャンスなのにつまらない話が多い。
信じられないが、自死した方の葬儀で命の大切さを話した坊さんがいた。

その他あれこれ、おっしゃるとおりで、死刑がどうのこうのということよりも、境内や墓地をきれいに掃除すべきだと私も思います。
で、『変わるお葬式、消えるお墓』を図書館で借りる。
「昨今では、私たちと菩提寺の関係はお葬式や法事だけのつきあいになってしまい、疑問や心配ごとがあっても住職に相談できないことが、お寺への不信感や、檀家の寺離れにつながっている」
これまたその通り。

ついでに杉浦由美子・河嶋毅『よくわかる家族葬のかしこい進め方』徳留佳之『お墓に入りたくない人 入れない人のために』も借りた。
杉浦由美子氏は「お葬式と仏事の相談センター」の代表として葬儀に関するサポートを行っている。
河嶋毅氏は「NPO家族葬の会」代表理事で、「家族葬の会」とは、「適正料金で安心して葬儀を実現できるように、葬儀に関する相談から葬儀執行まで幅広い運営を行っている」そうだ。
いろんなNPOがあるもんだと感心した。
この手の本を読む人や相談する人は、たぶん家族が死にそうなので、という人よりも、自分の葬式や墓をどうしたらいいかという人が多いと思う。
知識は大事で、商品(お棺や骨壺の値段など)や葬儀社のサービスの内容を知ってたら、あとでトラブルになることもない。
『変わるお葬式、消えるお墓』によると、葬式はかなりの金額がかかるのに、三割以上の遺族が業者から見積もりをもらっていない。
「業者を選定することもなく、いくらになるのか知らないまま発注するなんて、冷静な精神状態ではないからできてしまったことなのだろう」

この三冊を読んで、これからの葬儀のあり方を予想すると、
1,今までどおりの葬式
2,家族葬
3,無宗教の自由葬、告別式
4,直葬、葬式をしない
ということになると思う。
小谷みどり氏によると、「葬儀式」と「告別式」は同じではない。
「葬儀式」は宗教的な儀式で、「告別式」は参列者が献花やお焼香をして故人とお別れする儀式をいうそうだ。
通夜と告別式を行わないのを直葬、荼毘葬、火葬式と呼ばれる。
通夜葬というのは、通夜はするけど葬式はしないというもの。
身内だけの葬式が家族葬

今の葬儀事情の特徴として、『変わるお葬式、消えるお墓』は三つあげている。
1,長引く不況下で、葬儀費用が安くなったこと
「葬儀が派手になってくると、それを諫める傾向が生まれ、しばらく経つとまた派手になるという現象が歴史的にくりかえされてきた」
現在は葬儀を簡略化する傾向にあるわけだ。

2,〝悲しい死〟が減ったこと
「悲しいしんみりとしたお葬式が減っているように思う」
「本来、二人称である家族の死は悲しいはずなのに、三人称の死に遭遇しているかのような受け止め方をする遺族が少なからずいるように思われる。これは悲しいと思う二人称の死の数が減っているともいえる」

その理由の一つが高齢化と延命治療である。
「高齢者が長患いや長期の介護の末に亡くなると、家族は、悲しいというより安堵の気持ちが先にたつこともある」
これはまあわかるが、
「親の遺体を「気持ち悪い」と、触れない人も少なくないそうだ」
「火葬をするだけで十分だと考える人たちが増えている」

葬式をしないだけではない。
「お葬式をしないどころか、遺体だけが火葬場に運び込まれ、火葬場に来ない遺族もいる.この場合、火葬場の職員が遺骨を拾い、骨壺を保管しておくそうだ。遺族が後日取りに来ればまだいいほうで、なかには一年以上経っても来ないこともあるという」
以前、電車での忘れ物の中に骨壺があると聞いて、どうして忘れるのか不思議だったが、あれは忘れ物ではなくて捨ててるんだという話だった。
東京では、火葬場で、骨が残らないように焼いてくれと頼んだら、きれいさっぱり焼いてくれるとも某氏から聞いたが、それは本当なんだろうか。
「お葬式をする必要を感じず、遺骨はただのモノであるという感覚は、宗教にもとづく固有の死生観が崩壊しているからなのだろうか」

3,葬儀がプライベートな儀式になってきていること
お葬式には「死んだことを社会や地域に知らせる役割もある」が、「故人との別れの場としての意味合い」が強くなってきて、「お葬式は故人を偲ぶことにより重点がおかれ、形式にこだわらない傾向が出てくる」
ということで、家族葬や自由葬が増えてきている。

小谷みどり氏はこう書いている。
「亡くなる側も、子どもや家族に迷惑をかけないために、「お葬式は無用」と言い残すことがある。「直葬こそが自分にふさわしい最期だ」と考えている高齢者は少なくない。人に迷惑をかけないという自立した考え自体は、とてもすばらしい。しかし、人は一人で生きてきたわけではない。何十年も社会とかかわりをもって生きていれば、さまざまな人との関係も構築されているはずだ。そうした、まわりの人たちの感情は、どう扱えばいいのだろうか。
つまり、大切な人の死を体験した人たちにとって、悲しみをいやしたり、故人を偲んだりする場のひとつがお葬式なのではないかと私は思っている。亡くなったことに特別な感情がなければ、確かにお葬式をする必要はない。とはいえ、お葬式をしない人が増えているというのは、殺伐とした人間関係の現れであり、とても寂しい気がする」


70代のご主人が亡くなられた方が「主人は仕事を辞めてからだいぶ経っているのに、230人もの方が来られた。ありがたかった」と言われていた。
大勢の参列者が来るのがいい葬式というわけではないが、この方の気持ちはわかる。
誰かとつながっているということはうれしいことだから。
コメント
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