いよいよ来年5月21日以降に起訴された事件について裁判員による裁判が行われる。
候補者名簿に記載された29万5036人に、今年11月から12月にかけて記載通知と辞退希望の有無などを尋ねる調査票が送付されるとのこと。
名簿に記載される全国平均の確率は352人に1人。
裁判員(補充裁判員を含む)に選任される確率は4915人に1人。
生涯を通じて裁判員になる確率は67人に1人とか、84人に1人という試算があるそうで、私も裁判員になる可能性はあるわけだから、裁判員制度について勉強しようと、何冊か本を読んだ。
どうして裁判員制度が作られたのだろうか。
平成11年、司法制度の見直しのため、司法制度改革審議会ができた。
13名の委員のうち、法律専門家は6名(法学者3名、民事裁判官OB、検察官OB、弁護士各1名)、経済学者、会計学者各1名、実業家2名、労働団体役員1名、主婦団体役員1名、小説家1名。
以下は安田好弘弁護士の司法改革に関する講演のまとめ。
司法改革は「より自由かつ公正な社会の形成に資する」のが目的である。
実際にどういう司法改革がなされるかというと、司法試験を変える、裁判の迅速化、裁判員制度、法テラスを作る、ということである。
司法試験の改正とは何かというと、法曹(裁判官、弁護士、検察官)の人口を2万人から5万人に増やそうというものだ。
これは司法試験の合格者の研修会で講師をしたというある弁護士の講演での話だが、試験に上位で合格した人は優秀だが、裾野のほうがちょっとで、判決文を書きなさいという問題に白紙で出した人がいた。
なぜ白紙なのかというと、どうやって書いたらいいかわからなかったと答えたそうだ。
これには笑ったが、だけどこんな裁判官にあたったら悲劇である。
数を増やせばいいというものではないわけだ。
話は戻って、なぜ弁護士を増やすのかというと、これは企業の要請らしい。
企業は従来と同じコストで多人数の弁護士を雇うことが可能になる。
裁判の迅速化も企業のためである。
たとえば、特許権が侵害されているという裁判に5年も10年もかかると、その間に新しい特許が生まれるわけで、企業の権益を守ることができない。
だから迅速に民事裁判が終わらないと困るわけである。
民事裁判はともかく、刑事裁判での迅速化は拙速化になりかねず、冤罪が増える可能性が高くなる。
で、裁判員制度である。
なぜ裁判員制度が導入されたのか。
最高裁のHPの「裁判員制度Q&A」にはこう説明してある。
「これまでの裁判は,検察官や弁護士,裁判官という法律の専門家が中心となって行われてきました。丁寧で慎重な検討がされ,またその結果詳しい判決が書かれることによって高い評価を受けてきたと思っています」
問題がないのなら、どうして制度を変えないといけないのか。
最高裁が出した『よくわかる!裁判員制度Q&A』というマンガにはこうある。
「国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています」
戦前の一時期、日本でも陪審員制度が行われた。
高山俊吉『裁判員制度はいらない』に、なぜ陪審員制度が行われるかを説明した『陪審手引』が引用されている。
「決して民衆から要求されたものでもなく、また従来の裁判に弊害があった訳でもありません。従来行われて来た日本の裁判は、その厳正公平なることに於ては、今く(まったく)世界にその比を見ない程、立派なものでありまして、国民もまた絶対にこれを信頼していたのであります」
では、どうして陪審員制度が行われることになったのか。
「国民をして国政の一部に参与せしめられましたのは、全く天皇のおお御心の発露に外ならないのであります。素人である一般国民にも、裁判手続きの一部に参与せしめたならば、一層裁判に対する国民の信頼も高まり、同時に法律智識の涵養や、裁判に対する理解を増し、裁判制度の運用を一層円滑ならしめようとする精神から、採用されることになったのであります」
裁判員制度導入と全く同じ理由なわけである。
しかし、陪審裁判を受けるかどうか被告にまかせたので、ほとんどの被告は裁判官による裁判を選んだという。
現状に本当に問題がないのか、国民が司法に関心を持ってもらいたいというが、裁判員制度を導入する理由はそれだけのなのだろうか。
高山俊吉氏はこう言う。
「最高裁は、裁判所や裁判官をめぐる状況に原則と現実のずれがあるなどとは決して言わない。現状に問題はないと言いながら裁判員制度を導入すると言うのである」
西野喜一『裁判員制度の正体』に、司法制度改革審議会で裁判員制度の導入が決められた経緯がこのように書かれている。
「陪審員制度導入を主張する委員は、裁判官だけの審理では誤判があるから陪審制が必要であると力説し、これに反対する委員は、逆に、英米の陪審審理こそ誤判が多いから陪審制の導入は危険だと主張」
陪審制導入派の委員が反陪審派の委員に口汚い罵声を浴びせることがあったという。
審議会の意見は到底まとまりそうにもない状況だった。
「そこで審議会の会長が、陪審でも参審でもない独自のもっとよい制度を考えようじゃないか、と言って、いったん双方をなだめてその場を収めました。そして、こんな制度はどうだろう、というたたき台として出てきたのが後の裁判員制度のアイデアだったのです」
裁判員制度はまったくの妥協の産物だったわけである。
「それ以降の審議会の議論では、委員である法学者のリードでだんだん参審制に近づいていき、最終意見書ではもうこれははっきり参審制と見るべきものであるという状況になっていたのでした」
陪審員、参審員、裁判員の違いは省略。
裁判官と裁判員の人数でも意見が一致せず、これも妥協の結果、裁判官3名、裁判員6名と決まった。
「特に誤判、冤罪防止のために陪審制を導入すべきであるという声も高まったのでした。司法制度改革審議会で熱心に陪審制導入を唱えたのもこのような発想の人たちです」
と西野喜一氏は言う。
つまり、現行の制度に問題がないのではなく、誤判が多いなどの問題がたくさんあり、何とかしなければというので国民が裁判に参加するように制度を変えるべきだということらしい。
船山泰範・平野節子『図解雑学 裁判員法』は現行の制度の問題点とこう指摘している。
「現行憲法では国民が主権者であり、全体としては間接民主主義制をとりながら、できる範囲で国民参加を進めていこうとするのが、基本的な考え方です。立法、行政については相当広範囲に国民参加が進んでいる中で、遅れていたのが司法の分野なのです。公判を軽視し、調書裁判主義に陥るなど弊害が出てきていたり、公判における裁判官と検察官の癒着も見受けられる司法の現場に新しい風を吹き込む手段の1つが裁判員制度なのです」
こういう問題があり、解決のためにはどうすればいいか話し合われたかというと、そうではないらしい。
西野喜一氏によると、
「さて、審議会での議論をふりかえってあらためて驚くのは」「現行の刑事裁判の問題点、その原因、その対策をそもそも議論していないことです」
「さらに、審議会では、裁判員制度を採用すると、刑事裁判のどこが、なぜ、どうよくなるのか、という議論もなされておりません」
「裁判員制はまったく妥協の産物としてやむなく採用されたのであって、これにメリットがあるという理由で採用されたわけではありません」
これでは裁判員制度になったからといって、司法制度が改革されるのか疑問である。
西野喜一氏はさらにこう言う。
「いま、最高裁判所は各種のメディアを使い、膨大な国費を使って、裁判員制度の広報に努めています。しかし、この最高裁は、じつは司法制度改革審議会での会議のころは、その審議会に係官を派遣して、裁判に参加する国民が直接被告人の処分を決める権限を持つような制度は憲法違反の疑いがある、と言わせていたのです」
最初、最高裁は裁判員制度に反対しており、譲っても裁判員に意見はできても表決権を与えない、なぜなら裁判員では真実が解明できず誤判が生じると主張していたのに、なぜか裁判員制度に賛成するようになった。
どうして豹変したのか。
高山俊吉氏によるとこういうことである。
「市民参加、国民主権、民主主義を表看板に掲げられれば、「現実の裁判は有罪推定に陥っている」とか「人権無視が横行している」とか「民衆無視の官製裁判だ」とかの批判をかわす格好の衝立になる。その判決は、何と言おうが国民が参加して到達した「皆さんの結論」だからだ」
裁判員制度は改善ではなくて改悪になるような気がする。