読売新聞記者の布施勇如の講演録「米国の犯罪被害者支援―新聞記者の視点から」を読む。
2002年から04年までアメリカに留学していた時に見聞した話である。
アメリカでは、死刑制度がある州は38州。
死刑制度があっても、この30年間で死刑執行が1人、2人という州もある。
死刑執行数でダントツのトップはテキサス州、その中でもハリス郡が圧倒的に多い。
死刑執行は1999年をピークに年々減少している。
2003年、イリノイ州知事が167人の死刑囚の執行を取り消した。
そのきっかけは冤罪である。
1973年以降、冤罪で釈放された死刑囚は123人。
それと、知的障害者および18歳未満の少年に対する死刑は違憲だという判決が2005年に出されている。
スティーヴン・レヴィット『ヤバい経済学』にこうある。
ニューヨーク控訴裁判所は死刑のそのものが違憲であるとの判決を下し、実質的に死刑をすべて中止させた。
アメリカ連邦裁判所判事のハリー・A・ブラックマンは1994年にこう述べている。
2006年のアメリカの世論調査によると、
死刑賛成 67% 死刑反対 28%
仮釈放なしの終身刑という制度があった場合はどちらを支持するかは、
死刑 50% 終身刑 46%
日本でも、同じアンケートでは死刑存置に賛成する人は減る。
布施勇如が留学したオクラホマシティ大学で、死刑というテーマの授業に殺人事件やテロで家族を失った人たち、3人(死刑賛成が1人、死刑反対が2人)に聞いたことが紹介されている。
死刑賛成の女性は19歳の娘さんが自宅でレイプされ、ナイフで刺され、首を絞めて殺された。
彼女は加害者を「ゆるす」ことに成功したと言っているが、死刑に処すべきだという考えは揺らがなかった。
加害者を殺そうと考えたが、でも実行できなかった。
このように語り、死刑の執行(薬物注射)に立ち会った時のことを話す。
とても速く、何の痛みもなく終わったことに対し、彼女は「自分の娘、被害者に比べ、「あまりに安らかな」最期、これに非常な不快感を示した。
それでも、彼女は「死刑によって区切りを迎えた。心が解放された」と語っている。
死刑反対の人は、オクラホマ連邦ビル爆破事件で娘さんを亡くした男性と、7歳の孫娘が性的暴行を受けた後に刺殺された女性である。
男性は爆破事件が起きるまでは死刑反対だった。
彼は犯人のマクヴェイがなぜ犯行にいたったのか、その動機を探る。
マクヴェイは湾岸戦争に出征して心の傷を受け、政府を恨んだ。
これが事件の大きな動機になっている。
彼はこう考えるにいたる。
この男性は家族を失いながらも死刑に反対する家族の会の中心メンバーである。
女性のほうも、最初は「この手であの男を絞め殺してやりたい」と思った。
その後、入院をし、命について考える中で「物事には全て両面がある」ということに気づいた。
加害者(19歳)は家族から虐待を受け、高校を中退し、友だちはほとんどいなかった。
家庭環境とか教育環境は自分の意志で選んだものじゃない。
そう思うようになり、加害者と文通を始めた。
この女性は殺された女の子の母方の祖母だが、父方の祖母は「当然、死刑だ」という運動を展開しているそうだ。
彼女も死刑の執行に友人として立ち会っている。
死刑の執行によって区切りがついたかとの質問に、こう答えている。
受刑者が逝ってしまったら、私たちが知りたい答えを聞く機会は、永遠に奪われてしまうでしょう。
「私たちが知りたい答え」とは「どうして私の家族が」という問いの答えである。
死刑に反対するこの二人に共通するのはキリスト教への信仰、そして加害者がどういう人間なのか、どうしてこういう犯罪を犯したかに関心を持つということだと思う。
テキサス州で死刑を執行する刑務所の近くに死刑博物館がある。
その博物館の館長さんは89人の死刑執行に立ち会っている。
布施勇如が自分は死刑については中立の立場だと言うと、館長さんも「そうだよ」と言う。
そして、死刑か仮釈放なしの終身刑とどちらを選ぶかと尋ねると、「そりゃ、終身刑だよ」と答える。
「被害者の家族は死刑が執行されたら区切りを迎えることができると、あなたは考えますか」という質問への答えはこうである。
いろんなことを考えた講演録です。