三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

五木寛之・鎌田東二『霊の発見』

2007年02月24日 | 問題のある考え

私は五木寛之の熱心なファンではないが、『大河の一滴』を読み、これは大したものだと思った。
ところが、『霊の発見』はスピリチュアリティ礼賛だったので、がっかり。

五木寛之はこんな問題提起をする。

今の(霊能者)ブームの主役である霊能者さんたちの多くは、日本古来の宗教である神道の影響を、どこかで強く受けているようにも見うけられますが。
話題のテレビ番組「オーラの泉」の江原啓之さんも、神道の修行をしてらしたようですね。霊ブーム、スピリチュアル・ブームの底流には、これまで日本人の心の深くに潜んでいた、神道的な日本人の霊性が、ふっと表にあらわれ出てきたような気がしているんですが。

五木寛之は梅原猛らと同じ日本教信者なのかと納得した。

鎌田東二はぶっ飛んだ発言をしまくる。

秋田で小学生の女の子が自分の母親に殺されるという事件が報道されていますが、警察のずさんな捜査より、直接イタコさんに聞いてみたほうが早いかもしれません。

冗談にしてはタチが悪い。

五木寛之はいまだに交通安全のお札をもらう」そうだ、

そのお札を捨てるというときに、屑籠へポイというわけには、どうしてもいかないんですね。ポイ捨てできないというところに、なにかがあると、私は考えるんですが。

そしたら、鎌田東二は「話は飛びますが」と、こんなことを言いだす。

霊的なものにたいする関心とハレー彗星の到来とは、相関関係があると。ハレー彗星が地球に近づくとき、霊能力者ブームが起きるという仮説をたてているんです。


五木寛之は「人を殺してなぜいけないか」と子供に問われたとき、「人を殺すとバチがあたるよ。呪われるよ」と答えることにしている、「そういう怖ろしさが根底にないと、人間にブレーキはかけられないと思うんです」と言う。
鎌田東二はまたトンデモないことを言う。

怨霊ばかりでなく、生霊も祟ります。生霊は、場合によっては、死霊、怨霊よりたちが悪いことがありますから。


鎌田東二がこんな人とは思わなかった。
こうした発言を五木寛之はどう思っているのだろうか。

五木寛之の仏教理解はおかしい。
幽霊を見たこともなければ、霊の気配を感じたこともないと言い、そして、

仏教では元来、霊視というようなことは、特別なことじゃない。しかし、それにとらわれてはいけないと。

さらには、

それでも私自身、聖地と呼ばれるような場所で、なにか不思議な感覚にとらわれた体験は、これまでに三、四回くらいありましたね。

と、ささやかな神秘体験を五木寛之は語る。

二人の話は盛り上がる。

鎌田東二「霊がもつ力は、一つが無意識の底にあるエネルギー、もう一つは無意識の底にある情報だと、ぼくは思うんです」
五木寛之「ああ。そう考えると解りやすい」

何がわかりやすいのやら。

五木寛之はガイア説を紹介する。

私はこういう考えかたが、ひょっとしたら二十一世紀の環境問題に大きなインパクトを与えるんじゃないかと思うんですね。そうすると神道は、二十一世紀に大きくたちあらわれてくる宗教ではないか。このごろそんな気がしてくるんです。

そして二人してアニミズム賛歌。

地球にも、生き物の呼吸点とか、ツボとか、下腹部にあたるとか、そういう所がきっとあるのだろうと思えるんですよ。心臓の鼓動の聞こえる場所とか。


こういう話は本気にしなくても、どこか魅かれ、影響を与えている、と五木寛之は言うが、二人の対談を読んで、影響を受ける人もいるだろう。

新幹線に乗ると、関ヶ原から京都のあたりで、左右に集落が点在しているのが目につきます。集落の中で、お寺は瓦屋根がちょっと高い。それがかならず集落に一寺ずつある。その風景を見ていると、日本という国は、類い稀なる宗教国家、霊魂を大切にする国家だったんだなあということが、よくわかってきますね。

あるいは、

蓮如は、「本願誇り」というのを、いちばん戒めていました。自分が念仏者だということを、人に言うなといっているんです。ということは、蓮如はほんらい、本来の意味で隠し念仏なんですね。

といった五木寛之の発言を読むと、結局のところ、この程度の真宗理解だったのかとタメイキが出る。
本願寺の関係者が五木寛之に講演を依頼するのはやめたほうがいいと思う。

コメント (5)
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