フランソワ・オゾン『ぼくを葬る』を見る。
31歳のカメラマン、ガンであと3ヵ月という宣告を受ける。
最後、海水浴場でデジカメでパチパチと写す。
その表情は、高見順がガンになってから書いた詩集『死の淵より』の中にある「電車の窓の外は」という詩を思い出させた。
電車の窓の外は
光にみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸がつまって涙が出そうになる
(以下略)
光にみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸がつまって涙が出そうになる
(以下略)
昭和38年10月、高見順は食道ガンを宣告され、昭和40年8月17日に58歳で世を去った。
高見順は日記をずっと書き続けていたが、入院中に書いたものが『闘病日記』である。
そこに書かれている言葉は、正岡子規もそうなのだが、宗教臭さがないだけ素直に受け取ることができる。
あらゆることは、すでにほとんど人によって考えつくされている。しかし大事なことは、それを自分で考えてみることである(ゲーテ)。
死については、すでにもう人によって考えつくされている。しかし私なりにやはり考えてみよう。
死については、すでにもう人によって考えつくされている。しかし私なりにやはり考えてみよう。
死に対する覚悟とは、いつ死んでも平気だという覚悟というほかに、だから生を投げるというのでなく、むしろ生きられるだけは、生きている間は、生を充実させようという覚悟なのではないか。生の尊重、それがすなわち、死に対する覚悟というものではないか。
自分の死を目の前にして、多くの人は生と死についてさまざまなことを考える。
が、文学者ように表現できる人は少ない。
『闘病日記』には、ほかにもノートに書きとめたくなる言葉があちこちにある。
自分を真に愛することのできない人間に、他人を、大衆を真に愛することはできない。
自分をちがう人間にしうると考え、自分の考えている理想像に近づけることが生長であり発展であると考えた。私というものは、けっきょく、私になりえたということにすぎない。すぎないという言い方はどうか。私が私になりえたら大したことではないか。私ははたして私になりえたか。
ちなみに、映画では一発妊娠の法則というのがあるが、『ぼくを葬る』もこの法則が適用されていた。