米を作っている友達から、有り難いことに新米をいただいた。
喜んでいるときに、またまた親類から1俵(60キロ)もの新米が届いた。
新米の季節になれば遠い昔が思い出される。幼少の頃は白米が食べられるのは祭りか正月くらいなものだった。当時は米が配給制だったので、今の世のように好きなだけ、米を食べれるわけではない。ご飯と言えば麦飯のことだ。麦の配合が多ければ子ども心でも、マズイが良く分った。麦メシよりもマズイのは外米(輸入米)だった。なんと言っても外米特有の、鼻をつくあのニオイ。いやでした。
農家の子どもは白米を食べていると知ると、羨ましくてしょうがなかった。新米の季節になっても、古米(前年収穫した米)の方がが安いので、なかなか新米が食べれない。
”しろめし”は”麦飯”に対抗する言葉で、あこがれのご飯だった。米が余り減反政策で休耕田が増え、農家の老齢化が進む近い将来の日本はどうなることだろう。憂いているうちに、こっちがどうかになっているかも。