真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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集団自決「強制」削除検定は撤回を

2007年10月04日 | 国際政治

 集団自決「強制」削除検定は、日本の将来を考えると見過ごすことができないと考えます。インターネットの掲示板でのやり取りがあまりにもひどい状況なので、再度投降することにしました。
 確かに、「自決はまだ早い」という意味で思い止まらせたり、今に友軍が必ず来ると信じて、「生き延びろ」と言った日本兵がいたことは、住民の証言から事実であったと思われます。でも、「軍命」があったのかなかったのかで大事なことは、いよいよ米軍が迫ってきたときに「投降すること」を軍が認めていたのかどうかだと私は思います。
 沖縄戦では、日本軍が根こそぎ動員で多くの住民を軍の作業につかせました。そして、壕の状況や兵士の数、武器の状況まで日本軍の状態が少なからず住民に知られ、「住民が米軍に捕縛された時にこうした軍事情報が漏れる」ことを恐れたため、日本軍は投降することを許さなかったのではないかと思います。
 それは、「大宜味村渡野喜屋で、山中に潜んでいた日本兵がアメリカ軍保護下の住民をスパイと見なし虐殺した事件」や「鹿山正久米島守備隊長がアメリカ軍に拉致された住民3人を敵に寝返ったスパイとして処刑し、その家族までも内通者として処刑した鹿山事件」などの事実が証明しているのではないでしょうか。投降しようとした者はもちろん、アメリカ軍からの投降を呼びかけるビラを持っていただけで、スパイもしくは利敵行為であるとして処刑されたということもあったといいます。さらに、沖縄戦だけではなく、いろいろな戦場で、敵に投降しようとする日本兵が射殺された事実が記録されています。
 また、南風原陸軍壕では、米軍が迫り撤退する際「独歩患者だけを連れて行け」との軍命で、多くの患者を壕に残さざるを得なかったようですが、残された患者には青酸カリ入りのミルクが配られたといいます。捕虜になることを許さなかったからではないでしょうか。住民に手榴弾が配られた多くの証言とともに「自決」が軍命であったことを示していると思います。

 「自決はまだ早い」という指示は、「自決」について「軍命がなかった」ということにはつながらないと思うのです。
 多くの証言や事実から学ぶことが、今とても大事であると思います。

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