百姓通信
自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!
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初霜  


初霜の朝はこんなにも美しい。
この凛とした空気感は、
どういう言葉で表現するのが適切なのか、
なかなか思いつかない。
それにしても寒い。

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小雪  


本日はまさしく「小雪」ということで
初霜の朝を迎えた。
身も凍える寒さではあるが、
これもまた“幸せ”と思うと、
凛とした空気感に身も引き締まる思いがする。

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「わたしたちは、たった12種類の作物で生きている」といわれている。
米、麦、トウモロコシ、じゃがいも、キャッサバ等、人類は現在、限られた品種の作物を主食としているため、何らかの原因でそれらの作物の栽培が困難になった場合、われわれには全滅する可能性が出てくる。
戦争を“核”で行うのではなく、“病原菌”や“害虫”で行うことも可能な訳で、大規模なアグリビジネスの危険性が今一度問われていると言っても過言ではない。
単一栽培は簡単なようで自然の摂理に反しており、植物にさまざまな面で負担をかける。病原菌や害虫の増殖を安易にし、土壌への負担も大きい、まして連作になるとさまざまな局面への偏りが目立ち、一度均衡が崩れると元の状態に戻すことが大変難しくなる。
やはり多様性や環境の特性をうまく活用したそれぞれの土地にあった“農”のありかたをこの21世紀には展開すべきなのだろう。

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バンバンの名曲『「いちご白書」をもう一度』は1975年のリリース曲として有名だが、この曲はばんばん(ばんばひろふみ)を有名にしただけではなく、曲を作った荒井由美(現在の松任谷由実)の名を世の中に知らしめ、編曲を担当した瀬尾一三さんをアレンジャーとして生きていく決断をさせた名曲だったという。
それぞれの時代にそれぞれのマイルストーンになるようなものが明確にあり、さまざまな軌跡を生み出す。

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フォトリーディングとは、写真を撮るように本の情報を脳に送り込む速読術のこと
具体的にいうと、視線の動かし方が異なるようで、文字を1行づつ追うのではなく、右から左へ視野を狭めないでまるで1枚の写真を撮るかのように本を読む方法のこと
その速読術を身につけるには、まずは「本は一字一句飛ばさずに読まなければならない」という固定概念を捨て、新聞や雑誌で飛ばし読みの練習をすることが良いようで
速読の前に「みかん集中法」という方法をとること(山口佐貴子さん「才能が目覚めるフォトリーディング速読術」)も有効な手法のようです。
「みかん集中法」とは
・架空のみかんを思い浮かべる
・架空のみかんを食べてみる
・新しい架空のみかんをイメージする
・新しいみかんを後頭部の斜め上15〜20cmへ置く
・みかんの場所へ意識を集中し、リラックスする
という脳の空想トレーニングのことです。
私も今日から始めてみたいと思う。

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私たちはもっと“脳の性格”を理解した方が良いのかもしれない。
例えば、「脳は先回りする」ということ。
リスク管理のため、先回りしてする脳に私たちは判断を委ねるのではなく、もうひと頑張りしてみる。
例えば、「脳は快楽に弱い」ということ。
もうすこし想像性を活かして今日の自分が明日も続く、ということを想像してみる、その自分を愛せるかどうかについて考えてみる。
例えば、「脳は時間的な距離があると未来の細部の認識が遅れる」ということ。
所謂、計画の錯誤。記録をつける、失敗を恐れず、失敗に捉われ過ぎないことで対応したい。

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芸術や哲学、経済や法律、文学や政治等、人間が生み出した文化や社会は、“脳”が生み出したものと言える。
言葉や文字や数字は、われわれが文化や社会を創り維持するのに大変わかりやすいツールを授けてはくれたが、
言葉に頼ることで物事の本質を見誤ることもたびたびあったのではないか。
言葉は記号だといわれた時代がある。一方、昔から言葉は“言霊(ことだま)”ともいわれている。
言葉に頼らず、以心伝心出来る社会は存在しないものか。
脳は16万年前から進化していないともいわれている。如何に文明が進んでIT化が進んでも、人間関係で人が
把握できる人数は200人前後、以心伝心出来る範囲は15人前後でしかないともいわれている。
SNSで一瞬にして何万人と繋がれる時代でも、実は言葉のない時代と何も変わっていない。そんなことを考えると
あまり脳に頼らず感覚を大切にする時代をそろそろ迎えているのかもしれない。

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脳があることが、われわれに錯誤を生んでいるのではないか?
そんなことをふと思う時がある。
われわれは自らの意識によって主体的に行動しているように思っているが、決してそうではないというのが現実で、錯誤や認知エラーを含んでいるという人もいる。
例えば「ミュラー・リヤー錯視」や「エビングハウス錯視」は代表的な勘違いで、「味」は「におい」や「色」によって騙されるともいう。「青い色の食べ物は美味しそうに見えない」というのはただ単にそういう「青色の食べ物」にわれわれは慣れていないからだとも言われている。
脳に頼らない、もっと自然な生き方はないものだろうか。

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意識とは「脳」が創り出す幻なのか。
人間にとって「脳」はどういう役割を持っているのか。
「脳」は記憶を保管する臓器ではないのではないか。

ユングは、人の心の構造は3段階に分かれており、
・普通の意識・個人的無意識・集団的無意識にわけられるという。
また、この世のすべてのものは、繋がっている。
そして、共に連動している。
そういうシンクロニシティという考え方があるともいう。

「脳」だけでは判断できない意識があるような気がする。

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生物の進化とともに脳も進化してきたといわれている。その際にいう進化とは「高度な情報処理」のことをさしているようだが、単なる「情報処理」だけに着目すると今流行りのAIには敵わない。
人類の祖先はホモ・サピエンスといわれており、人類の脳は16万年前のそれと何ら変わっていないといわれている。
人類の暮らしは随分豊かになったと考えられるが、それは知恵があったからなのだろうか?
人類は言葉や文字、資産や文明、数々の文化を育んできたが、本当にそれらがわれわれを豊かにしてくれたのか?
われわれの脳は実は何も進化していない、われわれは単に楽になることだけを望んできたのではないか、
言葉を話さなくても本来、心は伝えることはできる しかし一方的に文字にすることで心が伝えられなくなった
人類は何故か不平等を好み、国の括りが争いごとを助長し、宗教が人間同士の殺し合いを肯定した。
脳は決して進化しない。
われわれの持っている脳にもっと正直な生き方はないものなのか。

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