釣鐘の撞木で撞く箇所を「撞き座」という。
この釣り鐘は八角梵鐘で、天明3年(1783)二代目住職泰宗のとき鋳造にかかり天明5年10月に完成、その供養には61ヶ寺、3200余名が集まったと記されている。
鋳造に当たっては「松阪御代官井二目付二人番人八人立会ス」と記され、余程の大事業であったことをうかがわせている。泉州佐野の大富豪、食野次郎左衛門が寄付したものだが、天下の豪商三井家に嫁いだ娘に子が無く、同寺の子安観音に祈願したところ一子を授かり、その恩に報いたものといわれる。
この「撞き座」には特徴があり、通常なら蓮の台座が多いが、この「撞き座」は紋章のようになっており、十字架を表現しているという。
隠れキリシタンの里ということなのだろう。
この釣り鐘は八角梵鐘で、天明3年(1783)二代目住職泰宗のとき鋳造にかかり天明5年10月に完成、その供養には61ヶ寺、3200余名が集まったと記されている。
鋳造に当たっては「松阪御代官井二目付二人番人八人立会ス」と記され、余程の大事業であったことをうかがわせている。泉州佐野の大富豪、食野次郎左衛門が寄付したものだが、天下の豪商三井家に嫁いだ娘に子が無く、同寺の子安観音に祈願したところ一子を授かり、その恩に報いたものといわれる。
この「撞き座」には特徴があり、通常なら蓮の台座が多いが、この「撞き座」は紋章のようになっており、十字架を表現しているという。
隠れキリシタンの里ということなのだろう。