米価の下落対策として、余剰米を34万tを年内に買い入れ、備蓄米を100万t積み増すことに決定・・・。備蓄することで、米価を維持するというのが、政府の考え方であり、この決定に拍手をする百姓もいるが、本当にこういう政策でいいのだろうか。
少し考えればわかる通り、ただ単に市場の原理を税金で歪めただけに過ぎず、今回の政策は抜本的な対策でもなんでもない。政府は集約化、大型化を進めてきているが、その過程で米価が下落してもある程度仕方がないとしている、つまり、低下した売上分を規模拡大で補おうというしているのであり、急に豊作になると、思惑以上に米価の下落速度が加速し、戸惑ってしまう百姓が増えるために、何とかその不安感だけ一掃したいとする付け焼刃的な対策なのではないかと思う。
百姓は、汗水たらして、一生懸命栽培した作物を、決して倉庫に隠したいわけではなく、また、圃場で廃棄したいはずがない。なぜ、そういう事態に陥るのか、百姓は百姓なりに真剣に考える必要がある。豊作と不作、凶作等、異常気象や様々な自然の要因でなかなか思い通りの栽培が出来ないのが農業ではあるが、まずはその自然との共生を今一度科学し、分析し、それでいてしっかり自然に任せる農業のあり方を追求する必要がある。農薬や化学肥料に頼っている限り、百姓は貧困から脱却は出来ない。また、不作や凶作、どうしても駄目な場合は、保険のようなもので所得を保障可能な仕組みを活用すべきで、政府に簡単に頼ってしまうから政府にうまく利用されるだけになってしまうのではないか。そして、やはり最も大切なのは、しっかり農業の本質を理解してくれる消費者と連携をとることだ。10キロ4,000円のあきたこまちでも1食分で換算すると50円ぐらいにしかならないという。百姓の水稲の栽培に関わる全ての労働時間(時給800円)を足しこんだとしても1食100円にもならない、つまり、今まで政府が保護をしてきたことで、米の望まれる価格帯がみんなにわからなくなってきている。主食だから保護をしなければ、とか、米農家が多いからなんとか守らなければという論議から、そろそろ未来を見据えた農業政策が必要になってきており、それは安易な税金の投入ではなく、国防の意味合いも持たせた農業保護政策と環境保全、食の安全を踏まえた国内農業推進策であり、地産地消をベースとした地域社会の活性化施策なのではないだろうか。
《追記》
百姓は、時給では生きていないし、時給換算では、決して生きてはいけない。でも時給以上に価値のある時間をゆっくり生きている、そんなことを誇りに思う。
少し考えればわかる通り、ただ単に市場の原理を税金で歪めただけに過ぎず、今回の政策は抜本的な対策でもなんでもない。政府は集約化、大型化を進めてきているが、その過程で米価が下落してもある程度仕方がないとしている、つまり、低下した売上分を規模拡大で補おうというしているのであり、急に豊作になると、思惑以上に米価の下落速度が加速し、戸惑ってしまう百姓が増えるために、何とかその不安感だけ一掃したいとする付け焼刃的な対策なのではないかと思う。
百姓は、汗水たらして、一生懸命栽培した作物を、決して倉庫に隠したいわけではなく、また、圃場で廃棄したいはずがない。なぜ、そういう事態に陥るのか、百姓は百姓なりに真剣に考える必要がある。豊作と不作、凶作等、異常気象や様々な自然の要因でなかなか思い通りの栽培が出来ないのが農業ではあるが、まずはその自然との共生を今一度科学し、分析し、それでいてしっかり自然に任せる農業のあり方を追求する必要がある。農薬や化学肥料に頼っている限り、百姓は貧困から脱却は出来ない。また、不作や凶作、どうしても駄目な場合は、保険のようなもので所得を保障可能な仕組みを活用すべきで、政府に簡単に頼ってしまうから政府にうまく利用されるだけになってしまうのではないか。そして、やはり最も大切なのは、しっかり農業の本質を理解してくれる消費者と連携をとることだ。10キロ4,000円のあきたこまちでも1食分で換算すると50円ぐらいにしかならないという。百姓の水稲の栽培に関わる全ての労働時間(時給800円)を足しこんだとしても1食100円にもならない、つまり、今まで政府が保護をしてきたことで、米の望まれる価格帯がみんなにわからなくなってきている。主食だから保護をしなければ、とか、米農家が多いからなんとか守らなければという論議から、そろそろ未来を見据えた農業政策が必要になってきており、それは安易な税金の投入ではなく、国防の意味合いも持たせた農業保護政策と環境保全、食の安全を踏まえた国内農業推進策であり、地産地消をベースとした地域社会の活性化施策なのではないだろうか。
《追記》
百姓は、時給では生きていないし、時給換算では、決して生きてはいけない。でも時給以上に価値のある時間をゆっくり生きている、そんなことを誇りに思う。