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百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

Schumacher College

2009-01-29 23:18:16 | 循環
サティシュ・クマールは、このシューマッハカレッジの生みの親であり、また、平和活動家として世界的に知られている。
かつて彼は、ソビエトとアメリカの冷戦を終わらせることを願って、インドからモスクワのクレムリンを経、アメリカのワシントンのホワイトハウスまで歩くという、実に8000マイル(1万㎞以上!)のピースウォークを行ったことで世間に知られるようになった。
そのピースウォークで留意したポイントは次の3点だったという。
ひとつ目は、お金は一銭も持たない(お金を持っていたとしたら、疲れたらホテルに泊まり、お腹が好いたらレストランに入ってしまう。すると、人と話しをする機会もなくなってしまい、折角の旅の意味も薄れてしまう)。
二つ目に、ベジタリアンを貫く(ベジタイリアンであることを話すと、きっとみんなは何故ベジタリアンなのかを聞くことになる。それが、自分たちの非暴力と平和の理念を説明するきっかけになる)。
三つ目は、旅のルートは遠回りになっても必ず人が住む地域を通る(何も持たずに旅する者にとって、道中に住んでいる人達こそが、彼らを生き長らえさせ、旅を続けさせてくれるまさに守護神となる)。
ピースウォークのあとにイギリスに移住したサティシュは、雑誌の編集、平和運動、エコロジー、有機農業、教育など様々な活動を行ない、1988年から、それらに加えてシューマッハカレッジの設立と運営に尽力されたのである。
貨幣価値に重きをおかず、思想を持ち、物質文明に別れを告げ、知恵を育む、そんな中で未来の社会像は描けないか、今一度考えてみたい。



ニューディール政策

2009-01-27 22:39:47 | 循環
ニューディール政策とは…1933年、アメリカ合衆国大統領ルーズベルトが世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策のことを指し、自由主義的な経済政策から社会民主主義的な経済政策への転換でその意義は深い。
2009年、アメリカ合衆国の第44代目の大統領オバマは、グリーン・ニューディール政策を説く。その政策は、市場原理主義や無制限拡大し続ける資本主義社会からの脱出、そして持続可能な公正な経済社会づくりを目指すもので、金融・気候・エネルギーという「3つの危機」(Triple crunch)に対して、新エネルギーを核として組み立てられるという。
20日の就任演説でオバマ大統領は『新しい責任の時代』の到来を告げた。“新しい責任”とは何を指し、我々はどこへ向かうのか、近代経済モデルの前提は間違っていたのか、地方はどう生きていけばいいのか、税収が減少しても活き活きとした地方は創出できるのか、先ずは、みんなで考えることからはじめよう。私達が求める豊かさとは何で、幸せは何処にあるのかを。

不便が心地よい

2009-01-26 20:49:53 | 循環
明かりがあるのがあたり前
車があるのがあたり前
店頭には季節感のない野菜達が並び
どこの街も似たお店が立ち並ぶ
何時でも、同じ
どこでも、同じ
そんなことが心地よい??
明かりのない中
車のない中
季節感がしっかり感じられて
今しか出来ない、
今日しか出来ない、
ここでしかできない
そんことが楽しく感じられ
そんな不便が心地よい…
そんなライフタイルは如何。。

自然共生の社会

2009-01-25 20:53:24 | 循環
いまや世界中が「持続可能社会」なるものを模索しています。持続可能社会の大前提は二酸化炭素排出量の大幅な削減ですが、滋賀ではその目標を2030年までに50%としています。滋賀県琵琶湖環境科学研究センターでは、このたび(独)科学技術振興機構の支援をいただき、そのような目標に到達する社会の姿として、自然との共生の心がけを基本理念とし、環境負荷を大幅に削減しながらも新たな「豊かさ」を享受できる滋賀の将来像を探る研究を始めています。自然と共生する滋賀の将来の姿について議論するため、下記のとおり、フォーラムが開催されます。ぜひ、ふるってご参加ください。

「滋賀をモデルとする自然共生社会の将来像とその実現手法」
   平成21年1月26日(月曜日) 13:00~17:10
   コラボしが21 3階大会議室 (大津市打出浜2-1)



トランジション・タウン

2008-12-22 23:58:50 | 循環
持続可能なしなやかな強い地域づくりの具体的なツールとして“トランジション・タウン”が今後、注目を浴びそうだという!
それは、行き過ぎた経済グローバリゼーションに歯止めをかけ、地域の力を取り戻していくための世界的な運動で、ローカリゼーションの新しいうねりといっても過言ではないという。
小さなかたまりの中で、大きな体制に依存することなく、自分達の力で豊かさを模索する、なんとも時代背景をしっかり踏まえた興味深い活動だ。
僕も少し勉強してみることにしたいと思う。


あすはもう冬至!

2008-12-20 23:08:44 | 循環
今年もあと数日を残すばかり、明日はもう冬至・・・!!
今年を整理してみると、いろいろ楽しいお話はあったものの、なかなか成果が残せず、自分の力のなさを悔いるばかりです。
ただ、相変わらずたくさんの皆さんに支えて頂き、感謝、感謝・・・そして感謝です。
まだ今年は終わっていないので(まだ年賀状もかけていないので)、来年のことを語っている場合ではないのですが、来年は今までお世話になった方々に何か少しでもお返しする年としたい、そのためには着実に一歩ずつ成果を出していくことが大切、と思っています。

豊かさの考察

2008-12-19 21:51:27 | 循環
豊かさの本質
現代社会でやはり問い直されているのが、『豊かさ』の認識なのではないかと思っています。
おそらく貨幣で計っていた時代から大きく転換を強いられているのに、過去の成功体験から脱し切れていないのではないでしょうか。
所得が大きくても、働きづめであったり、家庭も顧みる時間もないような生活では、決して豊かとは言えないでしょう。そう考えると時間も大切な要因になりそうです。以前は私も家族での夕食は一週間に一度しか取れていなかったのですが、現在はほぼ毎日夕食を家族と共にしています。
また、時間があっても、その過ごし方が貧しくては、豊かとは決して言えないでしょう、つまり文化や教育、スポーツ、レジャー、ボランティア活動など、生活の奥行きのようなものが如何に充実しているかも当然重要になります。
しかし、豊かさを総合得点で表わすこともあまり正しいとはいえないかもしれません、少し自分の毎日の生活パターンを客観視した中で、本質を追い求め、自分なりの豊かさはどこにあるのか問いかけるべきでしょう。
物質の豊かさから、心の豊かさへの転換期、常にキラキラ輝く眼を持っていたいものです。

書を捨て野に帰ろう!

2008-12-18 22:20:21 | 循環
寺山修司が「書を捨てよ町へ出よう」を唱え、はやくも41年が過ぎた。
「あんたらこんな昼間からサ、こんな暗い映画館にやってきて、何かサ、イイ事ないかナ、と思ってやって来たんだろうけどサ、何もナイヨ。ここは闇。明りをつければ消エチマウンヨ」の台詞で有名な映画化から37年になる。
私たちの町はどこにあったのか。ところで私たちは何を求めたのか。
今一度、脚を止め、よく考えてみたい。
歩んできた道、これから歩もうとする方向をゆっくり見定めながら。




幸せの考察

2008-12-17 23:59:05 | 循環
幸せを実感する場合を、自分で思い浮かべると、結構些細なことにあります。自分のこだわりが何で、何もかも捨て去ったあとに残されるものは何か考えてみると、少し自分なりの幸せが見えてきます。それにはおそらく他人と比較する座標軸ではなく、自分の座標軸を持つことが大切なのではないかと思っています。百姓をするようになって、毎朝、朝陽を浴びています。朝陽は植物を抑制します。夕陽は徒長させるといいますが、朝陽を浴びているとなんとも気持ちか落ち着き、細胞がぞくぞくしてくる自分に気づきます。以前は朝陽なんかは見たこともなかったのですが・・・。無農薬・無化学肥料で栽培された玄米を食べると、一粒一粒が生きている感じが伝わってきたりします。そんなことは会社員であった時には感じたこともなかったのですが・・・。
何に幸せを感じるかはそれはおそらく個人個人で異なるのでしょう。個人の価値観でいいと思います。大切なことは、そういうことを感じられることに感謝することだと思います。
感謝すること、感謝する中にまた、幸せが潜んでいるのではないでしょうか。

肥料

2008-10-16 21:22:41 | 循環
あのWIKIPEDIAの中でも「肥料」の必要性について「農業は、土壌から栄養を吸って生育した植物を持ち去って利用する行為であるため、減少した窒素やリンなどを土壌に補給しなければ、持続可能な農業は不可能である。肥料はこの補給の目的で用いられる。」としている。
本当にそうなのか・・・。生育した植物は確かに肥料分を持ち去るが、その肥料分を誰かが生み出す事は、自然界の中(根粒菌や光合成細菌等が窒素を固定してくれる)ではありえることであり、そういう中で持続可能で循環型の農業が何とか成立させたく思っているのが私たちの活動でもある。
有機肥料が無機より優れているかどうかは、特に問題ではなく、植物にとってどういう成分がどの成長過程で必要で、それは直接植物が吸収するというより、土中の微生物や菌の活動により分子レベルで小さくなった物質(無機質でないとだめ、有機質でも吸収可能)が吸収されていると考えた方がなんとも適当で、俯瞰してみたときに生物多様性の世界を如何にして創り上げることが出来るか、また我々の手でどこまで保持出来るかなのではないか(出来るだけ自然界の邪魔をしないで・・・)。
肥料の考え方も、昭和25年に肥料取締法が施行されて、それ以降なかなか改訂されておらず、戦後リスクヘッヂ的な役割こそすれ、肥料の一般的な考え方は大きくは変更をされていない。
有機か無機かというより、肥料とは何で、発酵とは何を指し、堆肥とはどういう状態を指すのか、今一度しっかりと議論し、統一した見解をもち、今後の農業を語るべきなのでは・・・。