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袴田事件への思い

袴田事件への思い

 130回

 ◎1966=昭和41年6月静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で味噌製造会社専務の自宅が放火され、焼け跡から一家4人の他殺死体が発見されるという事件が発生した。

 静岡県警清水署は同年8月味噌製造会社の従業員で、元プロボクサーの袴田巌当時30歳を強盗殺人・放火・窃盗の容疑で逮捕した。逮捕後、袴田は犯行を頑強に否認していたが、拘留期限の3日前になって自白に転じ、同年9月、静岡地裁が起訴した。

 しかし同11月に静岡地裁で行われた初公判で、袴田再び起訴事実を全面否認し、以降は一貫して無実を主張している。

 だが1968=昭和43年9月、静岡地裁は袴田に対し死刑判決を言い渡し、東京高裁への控訴、最高裁への上告も棄却され、1980=昭和55年12月、一審の死刑判決が確定した。

 弁護側は冤罪を訴えて、1981=昭和56年4月再審請求を行ったが、静岡地裁、東京高裁、最高裁とも棄却(2008=平成20年3月)このため弁護人側が08年4月、2度目の再審請求を行い、その審理は現在も静岡地裁で続いている。

 袴田は逮捕以降、40年以上にわたって拘禁され(現在も東京拘置所に拘留中)、死刑判決確定後は精神に異常をきたし、親族や弁護団との面会にも応じない期間が長く続いたという。

 現在は面会にも応じるものの、長期にわたる拘禁の影響で再審を求める弁護人らとの意思疎通に障害が生じたため、09年3月からは袴田の姉が「保佐人」(民法の成年後見制度に基づき、精神障害等により、判断能力が著しく不十分な人を助ける者)となっている。◎

 昔から、この「袴田事件」についてはずっと引っかかるもんがあったんだ。俺の地元の静岡で起こった事件だし、

 事件自体も凄惨なもんだったし。事件当時、俺は23歳かそこいらだったけど、あまりにえげつない事件だったから、よく覚えてるよ。

 おまけに犯人だって捕まった袴田さんが、一審からずっと「冤罪だ」と訴えているのに、40年以上たった今もまだ獄中にいるわけだし、最近でも「足利事件」とか「布

川事件」とか社会の注目を集めた事件はあるけど、この二つの事件の被告は。無期懲役の判決を受けたものの、釈放や仮出所で社会に戻ってこられた。

 けれど袴田さんの場合は「名張毒ぶどう酒事件」とおなじように死刑判決が確定していて、なおかついまだに獄中にいるんだ。  続く

 

 

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (長沢知輝)
2012-11-29 10:25:14
吉野先生、此方の事件は、私の生まれ故郷の事件でしたので、良く覚えております。調査過程で警察官の証拠捏造も明らかになっているのですが、何故か免罪にならない、不思議な事件だと思います。場所は横砂という町で、港に近いために沖中士が多く、流れ者が真犯人の可能性がありますが、何とか解決して欲しい事件です。死刑確定がネックになっているようです。
 
 
 
柔軟性を持って (長沢先生)
2012-11-29 19:48:24
柔軟性を持って対応すれば、物事の解決は早いのだと思いますがね。

死刑を下されたものでも明らかにえん罪と分かるものは。検察のメンツなどを問題にせず、解決しなければならないと思うのですが。
 
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