日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
五・連帯保証人の横暴
昭和60年3月、先祖供養塔の完成した頃に実家の長兄宛に一通の
『金銭支払い催告書』・・・なるものが届いた。差出人は
石巻市日和が丘『弁護士日野市朗』となっている。
内容は倒産した大幡建設工業株式会社に連帯保証人として北日本相互銀行に対する昭和59年4月に担保提供した高橋福一なる者の土地建物の担保設定を解除し、元へ戻せ,というものである。
この弁護士は高橋宅と近隣に有り、高橋福一氏の依頼を受けて私と大幡紀子の実家である、吉野家の長兄に上記文書を送付したものである。
これは本来、『支払い義務無き者への請求』で、明らかに弁護士法違反の文書である。日野弁護士〔社民党の衆議院代議士〕に会って高橋氏が大幡光二郎と縁を持った事情や〔2009年4月27日付け、永人のひとごころ・・次第弱り・・を参照〕、大幡光二郎と高橋氏の取り決めで保証料として毎月大幡の会社から高橋氏に16万円を支払っていた事。
その合計が、昭和59年4月から12月まで延べ9回で144万円を超えている事、大幡の立場から見ればこれはべらぼうな金利に相当する事。高橋福一氏の目論見は個人が行う保証協会だったこと。
それらの事を話したら日野弁護士は
『片方だけの話を鵜呑みにして大変申し訳ないことをしました。お詫びします』と言うので日野弁護士を訴える事をやめ、その代わりじかに長兄宛にお詫びの電話をするように話し、高橋氏の担保は近いうちに吉野永人が代表の株式会社吉建工業という新会社が大幡建設工業に代わって北銀に支払い、担保を抜くということで高橋氏に伝えるよう話した。
ただし、高橋福一氏にも『良心があるなら』、せめて大幡建設工業から受け取った『保証料144万円の半分でも』返して欲しいと伝え、大幡の会社へ返す気があるのかどうか、確認したが、高橋氏は大幡と同じ強欲な男で、結局、ビタ一文も返す気などなく、実際返される事もなかった。
これは本来、正当に裁判すれば、大幡建設工業は高橋氏には勝てたが、私は身内の14億円の負債を払おうとするときに、他人である高橋氏の1000万円のことで、ガタガタ、ゴタゴタと足元で騒がれる事がその後の事業遂行上、大きく足を引っ張られる事に成るのは間違いないと直感したのである。
私の経営理念に理解を示していただいた石巻信用金庫門脇支店から借りて、7月には北銀へ残金の全額を支払い、高橋福一氏提供の土地建物の根抵当権を抹消したのだが、北銀の支店長は、このようなケースは『初めてだ』と非常に驚いていた。
この高橋福一氏は漁業振興功労者としてその後に勲六等の叙勲を得て石巻市内のグランドホテルで盛大に受賞祝賀会を挙行している。その後俄かに心臓を悪くし、入退院を繰り返し、商売も駄目になってやめ、次第に体を弱めて亡くなった。
非常に多くの金銭や財産を持って居たようだが、言行不一致の極めてモラルの低い人物だった。大幡の憧れだったと言うが、大幡光二郎の強欲さはこの人物に見習った結果かも知れないと思った。
日野弁護士も2003年68歳で癌により、呆気無く逝ってしまった。
・・・長男の処遇へ続く。
『金銭支払い催告書』・・・なるものが届いた。差出人は
石巻市日和が丘『弁護士日野市朗』となっている。
内容は倒産した大幡建設工業株式会社に連帯保証人として北日本相互銀行に対する昭和59年4月に担保提供した高橋福一なる者の土地建物の担保設定を解除し、元へ戻せ,というものである。
この弁護士は高橋宅と近隣に有り、高橋福一氏の依頼を受けて私と大幡紀子の実家である、吉野家の長兄に上記文書を送付したものである。
これは本来、『支払い義務無き者への請求』で、明らかに弁護士法違反の文書である。日野弁護士〔社民党の衆議院代議士〕に会って高橋氏が大幡光二郎と縁を持った事情や〔2009年4月27日付け、永人のひとごころ・・次第弱り・・を参照〕、大幡光二郎と高橋氏の取り決めで保証料として毎月大幡の会社から高橋氏に16万円を支払っていた事。
その合計が、昭和59年4月から12月まで延べ9回で144万円を超えている事、大幡の立場から見ればこれはべらぼうな金利に相当する事。高橋福一氏の目論見は個人が行う保証協会だったこと。
それらの事を話したら日野弁護士は
『片方だけの話を鵜呑みにして大変申し訳ないことをしました。お詫びします』と言うので日野弁護士を訴える事をやめ、その代わりじかに長兄宛にお詫びの電話をするように話し、高橋氏の担保は近いうちに吉野永人が代表の株式会社吉建工業という新会社が大幡建設工業に代わって北銀に支払い、担保を抜くということで高橋氏に伝えるよう話した。
ただし、高橋福一氏にも『良心があるなら』、せめて大幡建設工業から受け取った『保証料144万円の半分でも』返して欲しいと伝え、大幡の会社へ返す気があるのかどうか、確認したが、高橋氏は大幡と同じ強欲な男で、結局、ビタ一文も返す気などなく、実際返される事もなかった。
これは本来、正当に裁判すれば、大幡建設工業は高橋氏には勝てたが、私は身内の14億円の負債を払おうとするときに、他人である高橋氏の1000万円のことで、ガタガタ、ゴタゴタと足元で騒がれる事がその後の事業遂行上、大きく足を引っ張られる事に成るのは間違いないと直感したのである。
私の経営理念に理解を示していただいた石巻信用金庫門脇支店から借りて、7月には北銀へ残金の全額を支払い、高橋福一氏提供の土地建物の根抵当権を抹消したのだが、北銀の支店長は、このようなケースは『初めてだ』と非常に驚いていた。
この高橋福一氏は漁業振興功労者としてその後に勲六等の叙勲を得て石巻市内のグランドホテルで盛大に受賞祝賀会を挙行している。その後俄かに心臓を悪くし、入退院を繰り返し、商売も駄目になってやめ、次第に体を弱めて亡くなった。
非常に多くの金銭や財産を持って居たようだが、言行不一致の極めてモラルの低い人物だった。大幡の憧れだったと言うが、大幡光二郎の強欲さはこの人物に見習った結果かも知れないと思った。
日野弁護士も2003年68歳で癌により、呆気無く逝ってしまった。
・・・長男の処遇へ続く。
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