goo

四・先祖供養塔

昭和59年11月、いわき市で新井さんというある会社の社長さんに京都の人物を紹介され、家内の実家である高木に土地を求め、先祖供養等を建立する事とし、約30坪の土地に京都から運ぶ石と土で吉野家先祖各霊と供養する為、私独自の精神修養の場所を儲けるよう準備をしていた。この準備は、大幡建設工業の商法上の会社整理の申請準備と重なっていた。

土地は家内の妹の夫から購入、山すその、野鳥のさえずりや沢のせせらぎの聞こえる、人々の余り近づかない閑静な盆地になった畑を農業委員会から用途変更の許可を貰い、事業墓として記念碑の建立を兼ね、業者を頼んで12月に造成完了、建立費用は総額700万円に及び、昭和60年3月に完成した。

この事は、三つの点で実家から私への誤解と障害を含んでいた。

第一点は、長兄からの誤解。大幡の会社整理だけでも大事(おおごと)なのに先祖供養塔を作るなど,何を考えているのか?弟は気が狂ったのではないか?、第一金も無いのにどうする気だ?

第二点は、長兄の嫁の実家が石材店を営んでいる。にもかかわらず、京都の石屋に頼むとは信じられない。弟は兄に向って兄弟の縁を切ろうとでも言う気なのか?

第三点は、先祖を拝むなら実家へ来ればいいことで、まだ新仏も居ない私の家で、墓のようなものを作るのは、無駄でも有るし、けしからん事でもある。・・・という私に対する感情的な批判を生んでしまった。

事前に相談すれば、頭ごなしの反対を受ける事は自明の理であり、会社整理の申請同様、世間にもらさずに行う事が肝要で、事後に知った周囲から批判や、非難が出てくることはある意味では仕方がないことなのである。

第一点から第三点に関して昭和60年2月の半ばに実家に呼ばれ、父と長兄に自分の本心を打ち明けたが、特に長兄の不愉快な表情と激しい怒怒りの心情は言葉の端々に一々表れていた。

私の言い分
第一点について。大幡の倒産による私の連帯保証人としての借金は約14億円だが、必ず返す積りで居る事。決して気が狂っている訳ではないから心配しないで欲しい。ただ、普通の感覚ではこの借金返済は並大抵の事ではなく、自分は吉野家のご先祖の力を借りてこの義務を果たしたいと考えていること。費用は家内の実家で義父が連帯保証をすることを条件に5年払いで、京都の石屋から借りることに成っている。

第二点について。この辺には無い造りで、京都の流儀でやる。それと支払いの面で石屋さんが面倒を見ることになっている。兄嫁の実家に頼めばいいのは解っているが、今回の特殊な事情をわかって欲しい旨を話した。

第三点について。一般的には実家で先祖に手を合わせることが普通であるが、私の場合は、46時中、生活の中に先祖の存在を感じており、昭和50年には部屋に仏壇も供えていた。

確かに新仏は居ないが、先祖は間違いなく居る訳で、実家は実家で、私は私で先祖祭りをすれば良いことで、この点は解って欲しいと話したのだが、実家の、特に長男は100%納得していなかったばかりで無く、説明を聞いてもまだ立腹の様子だった・・・先祖供養塔(その2)へ続く。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )