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韓国フォークソング/ チョン・テチュン&パク・ウンオク 「愛する者へ」「5・18」

 

 

 2019年4月7日の「開かれた音楽会」(KBSTVの歌番組)から「愛する者へ」です。このステージは5・18追悼音楽会(光州事件の追悼)として開かれたようです。チョン・テジュンとパク・ウンオク夫婦デュオがフィナーレを飾りました。

 歌っているチョン・テジュンとパク・ウンオクはそれぞれソロのフォークシンガーとしてデビューしました。

 夫のチョン・テジュンは1979年に「詩人の村」でデビュー。MBCの新人歌手賞やTBC作詞賞を受賞。
 妻のパク・ウンオクは1979年に”回想””ウィンウィ ウィン”でフォーク歌手デビュー。
 キム・ミンギやヤン・ヒウンと比較される吟遊詩人で, 敍情的な雰囲気と歌詞、独特な声で韓国フォーク音楽の典型と言われるほどです。
 二人は1980年に結婚し夫婦デュオとして、2枚目のアルバムをリリースしましたが、全く売れず、結婚はしたものの窮乏生活を送ることになります。
 3枚目のアルバム「立ち去る船」で大きく成功し、 以後 ”北漢江で”がまた大ヒットを記録。全国的にチョン・テジュン、バク・ウンオク旋風が吹きました。
 
 チョン・テジュンは1978年デビュー曲”詩人の村”が、韓国公演倫理委員会の審議で、相当部分改作されてデビューアルバムに収録されたことがきっかけで、韓国の「歌謡事前審議制度」に対する反対運動を始めました。
 1990年代初めに事前審議廃止運動を展開して、1996年には憲法裁判所の『事前審議違憲決定』を導き出しました。
 
 2009年9月チョン・テジュン、パク・ウンオク夫婦のデビュー 30周年を迎え、社会·文化·芸術界 100人が記念事業推進団を作りました。チョン・テジュン、パク・ウンオクの音楽史、社会的意味を照らし出すこの集まりには, 俳優のミョン・ゲナム、ムン・ソングン、歌手のカン・サネ、ユン・ドヒョンや、音楽評論家・作曲家・映画監督・詩人,・弁護士・大学教授,・ジャーナリストなど多様な分野の人々が参加しました。.(韓国Wiki)より
 
 
 以前録画したKBSTV「コンサート7080」のDVDから、「いい歌探し」をしていました。”愛する者へ”も、クォン・テスとキム・セファのデュエットで知りました。聴く者を大きな愛情で温かく包んでくれる”愛する人へ”です。
 
 「愛する者へ」
 
 あなたの美しい声に この胸は揺れ 僕はいつしか 愛していた
 深い夜にも眠れず あなたの姿だけが浮かび
 愛はこのように訪れては 僕の心を虜にする
 *ウー 月光が輝く夜には ウー 恋しさも深まり
 独りではあかせない 耐え難いこの夜
 いらしてください この夜道へ 月光の下 静かに
 震える僕の手をにぎって下さい
 この熱い想いを抱きしめて下さい*
 *~*
 
 

 

 

 
 5・18追悼音楽会(光州事件の追悼)として開かれた音楽会ではチョン・テチュンが「5・18」と言うタイトルの歌を歌いました。
 チョン・テチュンの詩はかなり過激です。
 
 5・18 翻訳機能直訳
 
どこにも赤い花を植えないでください 通り、丘の中腹、あなたの家の庭で
まだ生存者の心の中に それらの花はカンナよりもバルサムよりも赤いです
どこにも赤い花を植えないでください それらの花は伐採された日に明るく輝きます
松亭基地村を照らす太陽の光の中で 上昇するヘリコプターの翼の夕日を引き裂き、赤くなります
何を見ましたか 息子 私は旗のない暴動車を見ました 娘たち 戦車が行進しているのを聞いた
ああ 私たちの5月はまだ終わっていません その日 将軍の金メダルはどれも回収されませんでした
どこにも赤い花を植えないでください 少年の墓の前にメダルを埋めるまで~~
 
息子 私は屋上で狙撃兵を見ました 娘たち あなたは何を聞いたことがありますか
私は機関銃が発砲する音を聞きました
どこにも赤い花を植えないでください ここで私はマンウォルドんの丘の中腹の錨と話します
忘れないで忘れないでください
花びらのような剣と装飾 姉妹の墓の前に埋めるまでああ~~
 
息子 私は旗の下に死体をみました
娘たち あなたは何を聞いたことがありますか 私は悲鳴の嘆きの叫び声を聞きました
忘れないで忘れないでください
花びらのような剣を装飾 彼らが少年の墓の前にメダルを埋めるまで
 
 光州事件を生々しく歌い上げていますね。
 
 韓国のブログより
 
 この曲を聴くたびに、私の血が燃え立ちます。軍の足音とヘリコプターの轟音で始まる曲の終わりまでに、いつの間にか涙が流れています。
 チョン・テチュンにとって「1980年の光州」は、彼の歌人生を変えた大きな出来事でもありました。その年の5月4日、チョン・テチュンはパク・ウノクと結婚した。済州島での新婚旅行から戻ったとき、彼は緊急時に予備軍を動員するように命じられました。
 予備軍が集まった校庭で光州の話を聞きました。ファン・ソクヨン<光州レポート「死を超えて、時代の闇を超えて>を読むまでは、「詩人の村」でMBC新人賞を受賞したフォークシンガーでした。
 後で知った光州の真実は、きしむような批判的な若者を戦闘機に変えました。「叙情性」ではなく「リアリズム」を備えた楽曲を武器に、「舞台」ではなく「場面」を旅しました

 この曲は、光州のマンウォルドン霊廟で開催された「アンチビエンナーレ」に先立って1996年に作成されました。チョン・テチュンは、光州ビエンナーレに対する抗議であるイベントで歌うように頼まれました。意味のある舞台を作りたかったのです。5月18日の民主化運動の様々な資料を読み、歌詞を書きながら徹夜しました。もともとは「忘れない」というタイトルでした。光州ビエンナーレの大賞のタイトルは「忘れる」だったので、私はそれに不満を表明しました。

「5.18」は、近代史の悲劇に直面して沈黙を守ってきたポピュラー音楽業界の過ちを洗い流す曲になりました。40年後、チョン・テチュンは私たちに「赤い花」を植えることができるかどうか尋ねます。

 
  
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