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ルイス・ボンファ ① 映画「黒いオルフェ」より「カーニバルの朝」「オルフェのサンバ」

 ボサノヴァの最重要アーティストの一人、ブラジルのギタリストで作曲家でもあるルイス・ボンファ(Luiz Bonfa)(1922~2001年)の紹介をしていきます。安岡孝一・安岡素子様のルイスボンファのディスコグラフィーを参考にさせて頂いています。ルイスボンファのディスコグラフィーとして世界最高のものだと思います。安岡孝一・安岡素子様には感謝の気持ちしかありません。ありがとうございます。

 ルイス・ボンファは11歳でクラッシック・ギタリスト、イサイアス・サビオに師事し、熱心にギターを学びました。ボンファが初めて広く知られるようになったのは、1947年にラジオ・ナショナルに取り上げられてからで、新進気鋭の才能豊かな音楽家として認められていきました。1940年代後半にはボーカル・グループ「Quitandinha Serenaders」のメンバーでした。

 ルイス・ボンファは1945年にSPをContinentalレコードで初レコーディング、1949年までに自身の楽団、「Quitandinha Serenaders」の録音も含めてSPを14枚リリース.1950~1952年にはオデオン・レコードからQuitandinha SerenadersのSPを12枚録音しました。

 1951年からは自身の楽団の他、ギタリストとして男性歌手ディック・ファルネイ(Dick Farney)、ルシオ・アルヴェス(Lucio Alves)などのブラジルの歌手の伴奏も務め、1957年2月まにでContinentalレコードから35枚のSP、1955年にはSinterレコードから2枚のSPをリリースしました。1957年にPolidorレコードからディック・ファルネイのバックで4枚のSPを録音。1957年8月から1962年までオデオン・レコードから10枚のSPをリリースしました。初LPは10吋レコード(8曲入り)「Luiz Bonfa」で、1955年にContinentalレコードからリリースされました。

  ブラジル・フランス・イタリア合作の映画「黒いオルフ(Black Orphues/Orpheu Nigro」(1959年)はマルセル・カミュの監督で、カンヌ国際映画祭でパルムドール、アカデミー外国映画賞、英国アカデミー賞などを受賞しました。ルイス・ボンファとアントニオ・カルロス・ジョビンが音楽を担当し、ルイス・ボンファが作曲した”カーニヴァルの朝(Manha de Carnaval)”と”オルフェのサンバ(Samba de Orfeu)”は世界中でヒットし、ルイス・ボンファの名は一躍有名になりました。

 

 

 

 「黒いオルフェ」のサウンド・トラックからアゴスティーニョ・ドス・サントス(Agostinho dos Santos)の歌で”カーニヴァルの朝”です。ルイス・ボンファの伴奏で録音しましたが、サントスはホベルト・メネスカル(Robert Menescal)のギター伴奏で録音をしてしまったため、ルイス・ボンファの演奏は前半部分のギターだけになってしまいました。

 

 

 ルイス・ボンファのギター伴奏、エリゼッチ・カルドーソ( Elizeth Cardoso)の歌で”カーニヴァルの朝”です。映画のために録音されましたが、映画では使われませんでした。

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ジョアン・ジルベルト ③「E Luxo So」「Rosa Morena」「Ho-Ba-La-La」

 

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)のファースト・アルバム「Chega de Saudade」(1959年)から"E Luxo So”です。ブラジルの国民的作曲家のアリ・パポーザ(Ary Barrosa)(1903~1964年)の”作品です。ジョアン・ジルベルトは昔のサンバやサンバ・カンソンでも自分の好きな曲をレパートリーにしていますが、この曲も気持ちよさそうに歌っています。

 

 

 

 ジョアン・ジルベルトのファースト・アルバム「Chega de Saudade」から"ホーザ・モレーナ(Rosa Morena)”です。ブラジル音楽の重鎮で、作曲家・作詞家・歌手のドリヴァル・カイミ((Dorival Caymm()1914~i2008年)の作品です。

 

 

 

 ジョアン・ジルベルトの2枚目のSP「デサフィナード(Desafinado)」のB面「オーバララ(Ho-Ba-La-La」です。ジョアン・ジルベルトの作詞、作曲でファースト・アルバム「Chega de Saudade」に収録されています。

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ジョアン・ジルベルト ②「Aos Pes Da Cruz」「Morene boca de ouro」

 「ボサノヴァの歴史」(ルイ・カストロ著)で”すべてを変えた1分59秒”と呼ばれた、ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)のSP”想いあふれて(Chegade Saudade)”と”ビンボン(Bimbom)”は1958年8月にリリースされました。続いてSP”デサフィナード"と”オバララ(Ho-Ba-La-La)”が1959年11月にリリースされました。

 アントニオ・カルロス・ジョビンはジョアン・ジルベルトのLPを制作するために、オデオン・レコードに働きかけ、1959年1月にファースト・アルバムの録音が始まりました。

 SPで発売された4曲以外にジョビン作曲の”喧嘩にさよなら(Brigas Nunca Mais)”、カルロス・リラの”Lobo Lobo”"Saudade Fez Um Samba""マリア・ニンゲン(Maria ninguem)”、アリ・パポーザの”Morene boca de ouro” "E Luxo Só"、 ドリヴァル・カイミの”ホーザ・モレーナ(Rosa Morana)”、マリーノ・ピントの"十字架の木の下で(Aos Pés da Cruz)"の録音が2月4日に終わり、ファースト・アルバム「Chega DE Saudade」は4月にリリースされました。

 「ボサノヴァの歴史」(ルイ・カストロ著)より

 

 

 ボサノヴァの歴史を作った、ジョアン・ジルベルトのファースト・アルバム「Chega DE Saudade」(1959年)から、マリーノ・ピント(Marino Pinto)の"十架の木の下で(Aos Pes Da Cruz"です。

 マリーノ・ピントは300曲以上作曲し、"十字架の木の下で(Aos Pes Da Cruz"はマリーノ・ピントの最初の大ヒット曲です。ジョビンとの共作も”数学の授業(Aula de matemadica””スセデウ・アシム(Sucedeu assim)”他全5曲あります。

 ジョアン・ジルベルトの小さな声でスムースに歌うヴォーカルは、それまでのブラジル音楽にはないものでした。若く瑞々しい歌声も素晴らしいです。 

 

 

 

 ジョア・ンジルベルトのファースト・アルバム「Chega DE Saudade」から、アリ・パポーザ(Ary Barrosa)(1903~1964年)の”Morene boca de ouro”です。アリ・パポーザはブラジルの国民的作曲家で、”ブラジルの水彩画(Aquarela Do Brasi)l”は1942年にディズニー映画に使われ、世界中で多くの歌手や演奏家に録音されました。

 ジョア・ンジルベルトはボサノヴァやモダンなナンバーにこだわらず、自分が好きな昔のサンバやサンバ・カンソンの曲をレパートリーにしていました。

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ワルター・ワンダレイ ⑥「It Hurts to Say Goodbye(さよならを教えて)」フランソワーズ・アルディー

 

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 ブラジルから渡米後、クリード・テイラー(Creed Taylor)のプローデュスで傑作アルバム「Rain Forest」(1966年)を録音したワルター・ワンダレイの「Cheganca」に次ぐ、米国での3枚目のアルバム「BATACUDA」(1967年)から、”It Hurts to Say Goodbye”です。

 この曲のオリジナル」は米国のポピュラー歌手マーガレット・ホワイティング(Margaret Whiting)で、アルバム「The Wheel of Hurt」1966年 )に収録されました。英国の歌手ヴェラ・リン(Vera Lynn)が1967年に録音、ビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートで7位にランクされました。2人ともドラマチックに歌い上げるアレンジです。

 ワルター・ワンダレイはソフトで美しいロマンチックなアレンジにして、メロディーの良さを引き出し、新しい曲のように生まれ変わらせました。ヴェラ・リンの歌と聴きくらべると、同じ曲なのかと思ってしまうほどです。

 

 

 

 

 フランスの女性歌手フランソワーズ・アルディー( françoise hardy)は、”It Hurts to Say Goodbye”を、ワルター・ワンダレイとカラヴェリのアレンジをベースにフランス語の歌詞をつけ、”Comment dire adieus”のタイトルで録音、1968年にEPとシングルをリリースしました。

 日本では1973年に”さよならを教えて”の題名でシングルがリリースされ、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1973年年間チャートで58位に選ばれています。

 

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ワルター・ワンダレイ ⑤ 「Samba De Bossa」「Samba Brasileiro」

 

 

  ブラジルのオルガン奏者ワルター・ワンダレイが渡米前に、1965年にブラジルでサンバと名のつく曲を集めて録音したアルバム「Walter Wanderley/Samba So!」から”Samba De Bossa”です。作曲はこのアルバムに参加しているギタリストのエラルド・ド・モンチ(Helard do monte)です。

 

 

 

 ワルター・ワンダレイのアルバム「Walter Wanderley/Samba So!」から”Samba Brasileiro"です。ワルター・ワンダレイほこの曲をアルバム「Samba E' Samba Com Walter Wanderley」(1961年)でも録音していますが、ボサノヴァ以前とボサノヴァ以降のサウンドの差が歴然としています。

 

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ドルヴァル・フェレイラ ④「Chuba」クラウデッチ・ソアレス、オス・ガトス、

 ドルヴァル・フェレイラ(Durval Ferrira) はブラジルの作曲家、編曲家、ギタリストで、タンバ・トリオ、エウミール・デオダートなどと演奏しています。作曲家としては、”Chuva” "Balanco Zona Sul" "Tristeza De Nos Dois" "E Nada Mais" "Estamos Ai"などの名曲を残しています。

 

 

 ブラジルの女性歌手クラウデッチ・ソアレス(Claudette Soares)の2枚目のアルバム「Claudette Soares」から、”Chuva”です。

 クラウデッチ・ソアレスは1950年代後半から、ルイス・エサ(Luiz Eca)のコンボと共にボサノヴァを歌い始め、デビュー・アルバム「E Dona Da Bossa 」(1964年)はボサノヴァ・アルバムとして高い評価を受けました。

 2枚目のアルバム「Claudette Soares」はジャズ・ピアニストのマンフレッド・フェスト(Manfred Fest)、ジョンゴ・トリオ(Jongo Trio)など7種類ものトリオ、オーケストラでレコーディングされ、女性歌手のボサノヴァ・アルバムとしては最高のものの一枚に数えられています。

 

 

 

 ドルヴァル・フェレイラ とエウミール・デオダート(Eumir Deodato)をリーダーとするバンド「オス・ガトス(Os Gatos)」(1964年)のファースト・アルバム「Os Gatos」から”Chuva”です。

 オス・ガトスはドルヴァル・フェレイラ とエウミール・デオダートの他に、ハーモニカのマウリシオ・アインホルン(Mauricio Einhorn)、フルートのベベート(Bebeto)、ギターのネコ(Neco)、サックスのパウロ・モウラ(Paulo Moura)、ドラムのウィルソン・ダス・ネヴィス(Willson das Neves)など、当時最高クラスのスタジオ系アーティストが1964年に一時的に結集して作られたグループです。1966年にセカンド・アルバムをリリースしています。

 

 

 

 

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ジョアン・ジルベルト ①「想いあふれて」「ビンボン」

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)(1931年~2019年)はブラジル北東部ジュアゼイロに生まれ、1946年に父からギターを貰い夢中になり、音楽の道に進みました。リオデジャネイロで、1949年にヴォーカル・グループのガロートス・ダ・ルア(Garotos Da Rua)に参加、2枚のSPレコードを録音しました。1952年には独立し、SP「Quand El Sai」をリリースしますがヒットせず、その後数年間クラブでの演奏の仕事も殆どなく、友人のミュージシャンのアパートに居候するなど不遇な時代が続きました。

 1955年の初めには失意のどん底にあり、最後の友人であったキタンヂーニャ・セレナーデルのメンバーのルイス・テリスは、ジョアンをテリスの出身地のポルト・アレグレの高級ホテルで休養させます。ジョアンは街のクラブで歌手の伴奏をし、ギター・テクニックに多くの人が感嘆、地元の人気者になりますが、ルイス・テリスがグループを再編するためにリオへ戻らなければならず、ジョアンをミナス州のヂアマンテスに住んでいる彼の姉に預かってもらうようにします。ジョアンは1955年の9月から姉の家に住むようになり、1956年5月まで8ヵ月間ヂアマンテスで暮らしましたが、ほとんど外出もせず、とり憑かれたように一日中ギターを弾きはじめ、数年後にはすべてを変えてしまう音楽の創造に打ち込んでいきます。「ボサノヴァの歴史 ルイ・カストロ著 」(音楽之友社)より   

 

 

 

 ジョアン・ジルベルトのデビュー・シングル(SP)「想いあふれて(Chega de Saudade)」、作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)、作詞はヴィニシウス・ヂ・モラエス(Vinicius de Moraea)です。

 1957年にリオではジョアン・ジルベルトの革新的なギターとヴォーカルは、ミュージシャンの間では良く知られるようになっていました。アントニオ・カルロス・ジョビンは1958年の初めにはジョアン・ジルベルトが歌う”想いあふれて”をアセテート盤に録音し、レコーディングできるように奔走していました。ジョビンはオデオン・レコードのプロデューサーのアローイジオ・デ・オリヴェイラを納得させ、7月にジョアン・ジルベルトの”想いあふれて”と”ビンボン(Bim Bom”の録音が行われました。

 

 

 

 ジョアン・ジルベルトのデビュー・シングル(SP)、”ビンボン”です。作詞・作曲はジョアンジルベルトです。

 

 

 

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バーデン・パウエル ⑤「Apelo」クアルテート・エン・シー&タンバ・トリオ、エリゼッチ・カルドーソ&バーデンパウエル

 

 クアルテート・エン・シー(Quarteto Em Cy)が第2期タンバ・トリオ(Tamba Trio)と組んで作ったアルバム「Som Definivo 」(1966年)から”Apelo”です。

 クアルテート・エン・シーはブラジルの4人組女性コーラスグループで、フォルマレーベルからファースト・アルバム「Quarteto Em Cy」(1965年)をリリース、「Som Definivo 」は2枚目のアルバムです。タンバ・トリオはピアノのルイス・エサ(Luiz Eza)、ベース・フルート・ヴォーカルのペペート(Bebeto Castilho)、ドラムスは初代のエルシオ・ミリート(Helcio Milito)からルーベンス・オアーナ(Rubens Ohana)に交代しています。クアルテート・エン・シーはルイス・エサが編曲した、難易度が高い高度なコーラス・アレンジを見事に歌いこなしています。

 

 

 

 エリゼッチ・カルドーソ(Elizeth Cardoso)(1920~1990年))が、1986年に「TV Globo」の音楽番組に出演した際のヴィデオから、バーデン・パウエル(Baden Bowell)のギター伴奏で「Apelo」です。

 エリゼッチ・カルドーソは1940年代後半から活躍するブラジルの名歌手で、日本でも評価が高くアルバムも数多く紹介されてきました。ただ個人的には歌が上手いためか押しつけがまさを感じてしまう時があり、今まではアントニオ・カルロス・ジョビンの曲でもUPしてきませんでした。しかし66歳になってからのこのライヴでは、エリゼッチの真摯な歌そのものがストレートに心に伝わりました。伴奏のバーデン・パウエルのギターも素晴らしく、舞台袖で真剣に見つめるシコ・ブアルキ(Chico Buarqui)の表情が印象的です。

 

 

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ドルヴァル・フェレイラ ③「Chuva」バーデン・パウエル、サンサ・トリオ

 

 バーデン・パウエル(Baden Powell)のアルバム「Tempo Feliz」(1966年)から、ドゥルヴァル・フェレイラ(Druval Ferreira)作曲の"Chuva"です。ハーモニカはマウリシオ・アインホルン(Mauricio Einhorn)で、しっとりとした美しさは格別です。

 

 

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 サンサ・トリオ(Sansa Trio)のセカンド・アルバム「Vol.2」(1966年)から”Chuva”です。サンサ・トリオはピアニスト・編曲家・作曲家のジョゼ・ブリアモンチ(Jose Briamonte)が1960年代半ばに率いていたボサ・ピアノ・トリオで、1965年にファースト・アルバム「Sansa Trio」をリリース。セカンド・アルバムのメンバーはジョゼ・オルドニェス(Jose Ordonez)(b)、アイルト・モレイラ(Airto Moreira)((ds)です。

 

 

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ドゥルヴァル・フェレイラ ②「Chuva」シルヴィア・テリス、クアルテート・エン・シー、

 ドゥルヴァル・フェレイラ作曲、ペドロ・カマルゴ(Pedro Camargo)作詞の”Chuva”は、英語詞で”The Day It Rained”、”Rain”のタイトルがつけられています。

 

 

 シルヴィア・テリス(Sylvia Telles)のブラジル録音のアルバム「It Might as Well Be Spring」(1966年)から”Rain(Chuva)”です。このアルバムは米国ではKAPPレコードから「The Face I Love」のタイトルでリリースされました。12曲中10曲を母国のポルトガル語ではなく英語で歌っていますが、シルヴィア・テリスは英語のイントネーションが良いので違和感は全くありません。品格と爽やかさを持った声質で、"Chuva(Rain)"のヴォーカル・ヴァージョンではベストだと思います。

 

 

 

 ブラジルの女性コーラス・グループ、クアルテート・エン・シー(Quarteto Em Cy)が渡米後に、米ワーナーからリリースした2枚目のアルバム「Revolution con Brasillia(The Girl from Bahia)」(1968年)から、"Chuva(The Day It Rained)"です。編曲はオスカー・カストロ・ネヴェス(Oscar Castro Neves)です。

 

 

 

 

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