goo

ジョアン・ジルベルト ①「想いあふれて」「ビンボン」

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)(1931年~2019年)はブラジル北東部ジュアゼイロに生まれ、1946年に父からギターを貰い夢中になり、音楽の道に進みました。リオデジャネイロで、1949年にヴォーカル・グループのガロートス・ダ・ルア(Garotos Da Rua)に参加、2枚のSPレコードを録音しました。1952年には独立し、SP「Quand El Sai」をリリースしますがヒットせず、その後数年間クラブでの演奏の仕事も殆どなく、友人のミュージシャンのアパートに居候するなど不遇な時代が続きました。

 1955年の初めには失意のどん底にあり、最後の友人であったキタンヂーニャ・セレナーデルのメンバーのルイス・テリスは、ジョアンをテリスの出身地のポルト・アレグレの高級ホテルで休養させます。ジョアンは街のクラブで歌手の伴奏をし、ギター・テクニックに多くの人が感嘆、地元の人気者になりますが、ルイス・テリスがグループを再編するためにリオへ戻らなければならず、ジョアンをミナス州のヂアマンテスに住んでいる彼の姉に預かってもらうようにします。ジョアンは1955年の9月から姉の家に住むようになり、1956年5月まで8ヵ月間ヂアマンテスで暮らしましたが、ほとんど外出もせず、とり憑かれたように一日中ギターを弾きはじめ、数年後にはすべてを変えてしまう音楽の創造に打ち込んでいきます。「ボサノヴァの歴史 ルイ・カストロ著 」(音楽之友社)より   

 

 

 

 ジョアン・ジルベルトのデビュー・シングル(SP)「想いあふれて(Chega de Saudade)」、作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)、作詞はヴィニシウス・ヂ・モラエス(Vinicius de Moraea)です。

 1957年にリオではジョアン・ジルベルトの革新的なギターとヴォーカルは、ミュージシャンの間では良く知られるようになっていました。アントニオ・カルロス・ジョビンは1958年の初めにはジョアン・ジルベルトが歌う”想いあふれて”をアセテート盤に録音し、レコーディングできるように奔走していました。ジョビンはオデオン・レコードのプロデューサーのアローイジオ・デ・オリヴェイラを納得させ、7月にジョアン・ジルベルトの”想いあふれて”と”ビンボン(Bim Bom”の録音が行われました。

 

 

 

 ジョアン・ジルベルトのデビュー・シングル(SP)、”ビンボン”です。作詞・作曲はジョアンジルベルトです。

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ノチャサ”この... ヘンリー・マ... »