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ロックンロール大全集─25年だけさかのぼればよかった頃

2010-06-05 23:31:20 | 音楽
iTunesプレイリスト <さわりロックンロール大全集> 25分
1. "(We're Gonna) Rock Around the Clock" Bill Haley & the Comets (1954)
2. "Sixty Minute Man" Billy Ward & the Dominoes (1951)
3. "Sh-Boom" The Chords (1954)
4. "Ain't It a Shame" Fats Domino (1955)
5. "Long Tall Sally" Little Richard (1956)
6. "Come Go with Me" The Del-Vikings (1957)
7. "Little Darlin'" The Diamonds (1957)
8. "Sweet Little Sixteen" Chuck Berry (1958)
9. "Wipe Out" The Surfaris (1963)
10. "Proud Mary" Creedence Clearwater Revival (1969)



先日の「ラテン化2」に引用した記事で小野島大が触れた《広告出稿すれば特集記事組んでやるよ》とかレコード会社に要求する雑誌ってのは、おそらくロッキン・オンあたりでわないかと。あくどい商売やってそうな。
渋谷陽一や椎名誠がロッキン・オンや本の雑誌をミニコミ誌から全国の書店に置かれる雑誌に育てた経緯そのものが、今にして思えば、当時限られた情報しか得ることのできなかった読者にとって《ほんとうに聞く/読むべき音楽/本を探すための時間》を節約したいというニーズに応えるように見えて、実のところ独善的な見方を押しつけつつ読者の支持をテコにマスコミ業界の利権に食い込むという、音楽・本という公共財を人質にとるようなものだったのではないか。



↑借りていた部屋を、店子が夜逃げしてしまったので、債権者が居座って、いくらかでも大家から回収しようというのは、ある程度筋が通っているといえるが、ロッキン・オンや本の雑誌が音楽や本を人質にとって、作り手からサンプル盤や献本を受けつつ、読者に対し独りよがりな印象批評を押しつけるのは筋が通らない。
とりあえず時期的にかぶるので本の雑誌も引き合いに出したのだが、ことにロッキン・オンについては高校当時自分が読者だったこともあって、今だに小児病のような商売をあつかましく続けているのを許せないという思いが強いですね。高校当時=15才のオラにとって、かっこよくも見えた自己中心の、そのスタイル。そもそもロック音楽というのが、そういうものだと思っていた。
クイーン、キッス、イーグルス、レッド・ツェッペリン─そのころ洋楽を聞く者が通過せざるをえなかった音楽たち。白人の、4人とか5人のロック・バンド。
実はぜんぜん違っていた、ロック。少なくともロックンロールと呼称する場合は。
オラ15才の1980年、ロックンロール25周年ということを記念して、NHK-FMが夕方2時間枠の『軽音楽をあなたに』を月~金ぶっ通しで5日間『ロックンロール大全集』という特集を組んだ。たしか湯川れい子が監修したのだったか、今でこそ草創期のロックについてネットなどでいくらでも調べられるが、当時としては画期的に公正で幅広い選曲がされたと思う。FM番組をラジカセなどで録音する人も多かったので、最初の放送が反響を呼んで、冬に再放送されたようにも記憶する。
そのわりには今ネットで検索しても、誰も触れてないっぽいね…選曲リストもFM雑誌から切り取って保存しておいたはずなのに見つからないので、記憶に頼ってそこから10曲ばかり挙げてみました。
映画『ドリームガールズ』や『キャデラック・レコード』でも触れられたが、1950年代ころ、白人が黒人のように歌ったり黒人音楽をカバーしたりするのが、どういう意味を持っていたか。その番組では「Sh-Boom」や「Ain't It a Shame」の黒人によるオリジナルと、より大ヒットした白人によるカバー・バージョンが両方紹介された。
15才の頭で知っていた「ロック」と、ドゥー・ワップのような黒人コーラス・グループやファッツ・ドミノのような愛嬌あるブギウギが結びつかず、それらがロックのオリジネイターだとされることに釈然としなかったのも事実だが、やがて後になって聞く音楽の範囲が広がったり、ビートルズやストーンズの音の中にそれらの影を再発見したりなどで、番組から得た栄養に気づいたものだ。部外者である日本人があつかったロックの歴史としては、最高の番組だった。
同じころNHK-FMの夜10時台では『サウンド・ストリート』で渋谷陽一が信者を増やしており、それはそれで同時代の音楽については多少の説得力はあったと思う=「産業ロック」なんて言葉を作ったりとか=けれども、ビートルズより以前の歴史的なことについてはさっぱり不勉強だったね。今にして思えばリトル・リチャード抜きでポールのことを、チャック・ベリー抜きでジョンのことを語りようもないが。
そんな渋谷のロッキン・オンが利権を拡大するのに創刊したのが『ロッキン・オンJAPAN』。レコード会社や呼び屋経由でしか手を出せない洋楽と異なり、日本の音楽ならもっと直接的に影響力を行使できるでしょ。ワルよのお。たかだか25年ほどの歴史も学ぼうとせずにロックを商売とした渋谷陽一の姿勢には、“平成の大合併”で地域の歴史と無関係な四国中央市・甲州市・さくら市・みどり市とかのバカ地名が増えたり、近年の政治家が公務員の数を削減しつつ地方分権を拡大するなんていう矛盾した公約で人気取りするのとも共通したものが流れているのではないだろうか。

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