マガジンひとり

自分なりの記録

NEON PARK (ネオン・パーク)

2010-06-21 22:24:46 | Bibliomania
Weasels Ripped My Flesh─1969

  

ネオン・パーク(Neon Park・1940~93)=本名マーティン・ミュラー(Martin Muller)というアメリカのイラストレーターで、テーマパーク内の道路にネオンを飾りつける仕事をしたとき、それをネオン・パークと名付け、以降自身もそう名乗るようになった。彼が注目を集めるきっかけとなったのはフランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションが1970年にリリースしたアルバム『いたち野郎』のカバー・アート(いちばん上の画像)で、同時に彼はマザーズにいて後にリトル・フィートを結成するローウェル・ジョージと意気投合し、1stを除くほぼすべてのアルバム・カバーを手がけ、リトル・フィートのイメージを決定づける不可欠な存在となったのである。
ネオン・パークと2番目の妻チック・ストランド(Chick Strand・実験映画監督)↑は1年のうち多くをロサンジェルスで、残りの期間をメキシコで過ごし、次第にメキシコ先住民文化の影響が作品に表れるようになった。また、テープを貼り付けたり複数のモチーフを一つにまとめる技法に優れた才能を発揮した。彼はリトル・フィートやドクター・ジョンのアルバム・カバーのほか、プレイボーイ誌やナショナル・ランプーン誌にイラストを提供するなどしたが、1983年ころから筋萎縮性側索硬化症(ALS)に襲われ、絵筆が持てなくなってからも詩を書くなどしたものの1993年に生涯を閉じた。



Sailin' Shoes─1971



Last Record─1975



Waiting for Columbus─1973



Midnight Train to Georgia─1985



That's What I Like About the South─1987



Down for the Count─1979



Aztec Stereo─1981



Freudian Express─1986



Jayne Duck─1977



Bogart Duck─1977

  

ネオン・パークのイラストには、有名人をアヒル化して描いた「Ducks」と呼ばれるシリーズがあり、上掲の『カサブランカ』のハンフリー・ボガートや、ケネス・アンガーによるスキャンダル暴露本『ハリウッド・バビロン』のジェーン・マンスフィールド↑がモチーフとなったことから、彼のときに虚構色の強い世界観はハリウッド映画産業から多くのインスピレーションを受けていたことがうかがえる。またパークは1978年10月号から79年10月号まで大阪の情報誌『プレイガイドジャーナル』の表紙を担当し、アヒルのものなど未発表作や描き下ろし作が用いられたほか彼のコメントも添えられたといい、78年12月号↑に用いられた「Arbuckle Trauma」はローウェル・ジョージが惚れ込んで所有していたものだともいわれる。 ─(画像と経歴は作品集『Somewhere Over the Rainbow: the Art of Neon Park』より)
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