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昭和博覧会② 富田晃弘兵隊画集

2020-12-16 17:34:05 | Bibliomania
『兵隊画集』は、第二次世界大戦の日本軍、第12師団、歩兵第24聯隊で従軍した作者が、その経験をもとに描いた画と詩、文をまとめた作品だ。入隊から満洲、台湾と、戦地の軍隊生活が、兵隊たちの装備、柱に貼られた標語、生活用具など、細部に至るまで驚くほど細密に活写された画と、それに添えられた哀切な詩が、読者の心に鮮烈な印象を残す、傑作中の傑作だ。その魅力は年月を経ても全く減ずることはない。絵の中に描かれた一様にずんぐりむっくりした体型の兵隊たちは、著者の好みの男たちなのだろう。 —(薔薇族初代編集長・伊藤文學氏のブログより)



当時の若者は、小学校の低学年のころから「M検=性病の検査」を識っていた。「穴(ケツ)検=痔の検査」がどんなことをするのかもわかっていた。子供たちは軍隊の正面よりも、内務班の機微の方を早く馴染んでいたのである。徴兵検査でM検・穴検をされるときの予備知識が、十才前後の子供に、もうあったのである。「みんな委縮しているなかで、乃木将軍の二人の子息だけは昂然とエレクトしていた」という英雄神話が芯になっており、それは凡夫と大器との顕著な差であると同時に、精鋭な兵隊と凡俗な民間人とのちがいをも意味しており、「大丈夫(ますらお)とは」という一種の典型を教示していたのである。



湯はぬるく臭く、そしてすくなかった。古年兵が湯船から出るまで初年兵は洗い場でふるえながら待っていた。折角はいっても後からきた古年兵のために湯船を出ねばならなかった。「おい、風呂の中で顔を洗うちゃいかん」。あわてて初年兵を叱りつけているのはズーズー弁の高橋三吉招集兵であった。「古年兵はピイを買いに行きよるんじゃ。誰が淋病もっとるかわからんのじゃ」と彼は声をひそめた。「リン菌もろうてお前の眼が潰れてみィ、内地のお前の彼女が泣くぞ」、そう言って彼は初年兵の尻をピシャリと叩いた。



レントゲン撮影の結果なのか、それとも開業医の証明書が添付されていたのか、満洲要員の一人が除隊することになった。「帰郷して療養につとむるべし」という沙汰であった。それは戦死を免れる幸運であった。再び生を亨くる喜びであった。彼は此の幸運が突然、凶に変化することを恐れているのか、まるで遁れていくような慌ただしさであった。一人の古年兵が「嬉しそうな顔をしやがってこの野郎」となぐりつけた。「貴様は肺病なのか、裸になってみろ」と一人がいった。丸裸になった彼は古年兵たちから嬲られた。泣きだした彼はさらになぐられた。



基隆(キールン)陸軍病院。赤痢病棟にひとりだけマラリヤを併発している患者がいた。昏睡している彼は粥汁をすすることもできない。高熱のために唇の皮が剥けてささくれ、頬はこけて髭だらけであった。異様な臭気をたてているのは汗が熱で煮え、垢が熱でとけるからだ。しかも彼は下痢をしていた。ぼくはコンドーム三本のなかに氷の破片を詰めて結束した代用氷嚢を彼の額にのせた。数日が経って廊下で「お世話になりました」とペコリと頭を下げる兵隊がいた。よく見ると彼であった。ぼくは寝顔しか知らなかったのである。



中村軍医中尉の衛生講話は「性病予防」が主題であったが、話はソレて「性欲の処理」を軍医はくりかえした。「貴様たちのなかで皮かむりのヤツ、剥けていないヤツ、手をあげろ」。軍医は露茎の習慣をつけろと教えた。そのあと「確実に性病感染する私娼を買うよりも手淫をしろ」とすすめた。「貴様たちは慰安外出もないだろう。せめて戦友愛を発揮しろ、相互手淫しろ」。



東満の国境は枯れていた。白刀山子の表門を出た草むらに土まんじゅうが一基あった。木の墓標には上等兵の字だけが読めた。病死なのか事故死なのか、その姓名も死亡年月日もわからなかった。十二師団が老黒山地区の駐屯警備をする以前は九師団がいた。おそらくそのときの死亡兵であろう。


以上、富田晃弘『兵隊画集 戎衣は破れたり』番町書房1972より抜粋。富田氏は満洲と台湾に駐留した部隊に初年兵~一等兵として属し、戦後昭和40年代に記憶に基づいてこれらの絵を描いた。伊藤氏(当時の薔薇族編集長)が名付けた笹岡作治という筆名のゲイ小説作家と同一人物とみられ、彼が描く軍隊生活には同性愛的な願望と美化が込められているように見受けられる。


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