マガジンひとり

自分なりの記録

旧作探訪 #150 - 男性・女性

2016-04-13 20:02:41 | 映画(映画館)
Masculin Féminin@早稲田松竹/監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール/原作:モーパッサン/音楽:フランシス・レイ/出演:ジャン=ピエール・レオー、シャンタル・ゴヤ、マルレーヌ・ジョベール、カトリーヌ=イザベル・デュポール、フランソワーズ・アルディ/1966年・フランス

カウンターカルチャーとポップスに彩られた60年代パリの青春
《マルクスとコカコーラの子どもたち》を描く


軍隊帰りの現代のウェルテル的青年ポール、その恋人のイエ・イエ歌手のマドレーヌ、ポールの友人で、ベトナムに平和をと叫ぶ、活動家ロベール、マドレーヌの女友達でポールの恋を妨げるカトリーヌ、ロベールが愛するおとなしい娘エリザベート。60年代後半フランスの若者たちの生活を彩る15のファクト。

『男性・女性』は、ベトナム戦争やビートルズ旋風など、撮影された65年当時のアクチュアルな現象を織り込んで、パリの若者群像をドキュメンタリー・タッチで描く(台詞やキャラクターは俳優たちへのインタビューから作り上げていったという)。「アンナ・カリーナ時代」の集大成ともいうべき前作『気狂いピエロ』のロマン主義的な色彩は影を潜め、政治と恋に明け暮れつつも、消費社会に取り込まれていく若者の姿が、ジャン=ピエール・レオー演じる主人公の目を通してドライに描かれる。

本作の最大の魅力は、時代背景や、レオーという俳優の実像と重なるヴィヴィッドなドキュメンタリー性といえるだろう。歌手の恋人シャンタル・ゴヤ相手に空回りする、レオーの一挙手一投足は愛おしくも、何ともイタい。「世界の中心は愛だ」と言ってのけるレオーに、「世界の中心は自分よ」と返すゴヤはチャーミングだが、夢想家のレオーとリアリストのゴヤとの温度差は際立つばかり(「男性」と「女性」の間の・には「深くて暗い河がある」のだ・・・)。ゴダール特有のロマンティシズムをレオーに託し、ドライな悲喜劇としてまとめた本作を境に、映画作家ゴダールの青春期も終わりを告げていく・・・。




◆夢と欲望、それってどう違うの?
2006~07年頃、観劇にハマッていて、若者主体の小劇団の公演で主演女優が吐いた、この台詞が忘れられない。考えさせられたものだ。
前にも述べたが、夢は個人の自由だ。他人には左右されない。が欲望は、他人より大きいとか小さいとか、勝つとか負けるとかで煽られ、時には自滅を招くようなものだ。そうした性質上、欲望を共有するとなると、いじめや戦争のような形をとり、夢を共有するとなると、「差別のない平等な社会を作りたい」=革命のような形をとる。で、夢と欲望は、どう違うのか。


◆有吉弘行はギャンブルが好きでないらしい
お笑い芸人というと、「飲む・打つ・買う」をイメージしてしまうが、有吉くんは飲む・買うはともかく、ラスベガスのカジノへ行った時も「1万円しか賭けなかった」らしい。スロットマシーンのボタンを押しても、ぜんぜん面白くないそうだ。他人が大勝ちしても、あまり煽られないのかな。例のバドミントン選手の話題が彼のラジオで出た際、語っていた。

そうした面は、誰それにどんな風にいじめられたいかという「わかるーー!」の投稿コーナーにもうかがえる。ありえないような設定の、珍妙な変態性欲ながら、周囲がどう言おうと、俺は分かるぜっていう、少数意見の擁護のおもむき。別件で、ボーイズラブ・腐女子について、土田晃之や坂上忍が批判的な見解を述べて、ヤンキー保守層の馬脚を表していたが、有吉くんは女装や同性愛についても寛容そうだ。


◆腐女子はプーチン大統領がお好き
しかし腐女子やゲイの人たちは、男性的記号の強い男に惹かれる。シンプルに「強い男が好き」。例えば、わりと富裕な専業主婦が、夫がキッチリ稼いでくれれば、外に女をこしらえようが子育てに非協力的だろうが汚職していようが我関せず、という態度と、腐女子がマフィア映画やロシア文化を好み、汚職を暴こうとするジャーナリストの暗殺を指令するような独裁者で悪人であることは問わず、プーチンさんは諜報部出身で柔道家でコワモテだから好きっていうのは共通している。専業主婦と腐女子、ヤンキーとオタクは精神風土が近しい。


◆右翼も左翼もTPPには批判的
プーチン大統領、ほか中国や英国の指導部も「パナマ文書」により、タックスヘイブンを利用した資産隠し・税金逃れが暴かれつつある。この問題、わが国の政府は調査する気がないそうだ。国民・ネット民も、矢口真里のCMには過敏に反応して叩き、放映中止に追い込むくらい、目につく小さな悪には不寛容だが、富裕層・権力層の隠れた巨悪はスルー。

中国やロシアはもちろんとしても、ジャーナリズムの層が厚い米国ですらパナマ文書への反応がいま一つなのは残念ではあるものの、現今の米大統領選で、ネトウヨに酷似した考え方のトランプ候補から、社会主義的な左派のサンダース候補、果ては最も大統領の座に近いと目され、大企業から献金を受けているクリントン候補まで、「TPPは労働者の利益にならない悪い貿易協定」として反対を表明しているのは注目される。少なくとも、労働者階級の味方を演じなければリーダーにふさわしくないという認識が定着しているのはうらやましい。




映画が後半に入ってしばらくすると、「この映画は『マルクスとコカコーラの子どもたち』と呼ばれたい。分かる人には分かる」との字幕が。「分かる人には分かる」は余計だ。自意識の腐臭がする。上映時間103分とのことだが、長く感じる。まだ終わらないのかな、と何度も思ってしまった。ストーリーらしいストーリーがなく、散漫で独りよがり。大学生が小論文にまとめる前の、断片的なメモやノートを見せられているよう。

おそらく同じ時代には、斬新な手法で、見終えた観客が、触発されて男と女の問題、共産主義や資本主義の問題を考えたり話し合ったりしようとする映画だったろうが、夢より欲望が優勢となり、マルクス主義が葬られた今のにっぽんでは、アンビバレンス=相反する感情・価値に悩む若者の心情が遠い。パリを舞台とする勝ち組の小演劇のようにも感じられてしまう。有吉くんのラジオや『闇金ウシジマくん』のような、今のリアルな肌触りを求めたい―
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