最近 真田丸に夢中です
真田丸 ここ
真田丸2 ここ
真田丸3 ここ
そんな時に浮かんだのがあのフレーズです
「真田堀(さなだぼり)なら ネオン川・・・」
和歌山ブルースです カラオケで歌ったこともある思い出の歌です 昭和43年発売の歌です
故郷 和歌山へ 歌碑を探しに 行ってきました。
逢いたい見たい すがりたい
そんな気持ちに させるのは
ぶらくり丁の 恋灯り
真田堀(さなだぼり)なら ネオン川
和歌山泣きたい ああやるせない

歌碑は、レコード盤を模した直径1.8mの御影石製で、真ちゅうで作られたレーベル
部分に歌詞や一部の寄付した人の名前が刻まれ、ベンチとしても使えるようです。
近づくと「和歌山ブルース」が流れます。
後ろの方には 古都清乃さんの新曲のポスターが貼られていました
写真を撮ろうとすると先に座っていた若い人が譲ってくれました。和歌山の人はいいな~
ここは和歌山一の繁華街ブラクリ丁の途中にある雑賀川の橋の袂(たもと)にあります。
2004年(平成16年) の建立だそうです

アップにしてみました
センサーが見えます これで音楽が流れます

中ブラクリ丁の看板が見えます

そして北新橋西詰交差点の近くに・・・
「真田堀通り」の看板が。和歌山ブルースでおなじみの真田堀通りと表記されています

何故「真田堀」という名前なのか分かりませんでしたが
多分 真田家が徳川幕府に命じられてお堀を作ったのでしょう・・・
真田堀を撮影していると

サギが歓迎の飛来です(笑)
感動を胸に和歌山を去りました

当日の和歌山城天守閣です。
歌 古都 清乃
作詞 吉川 静夫
作曲 吉田 正
発売 昭和:43年 西暦:1968年
1.逢いたい見たい すがりたい
そんな気持ちに させるのは
ぶらくり丁の 恋灯り
真田堀(さなだぼり)なら ネオン川
和歌山泣きたい ああやるせない
2誰にもいえぬ おもいでを
夜がやさしく くれたのも
あなたとわたしの 和歌の浦
夢は消えない いつまでも
和歌山泣きたい ああやるせない

先日 三男がお土産に買ってきてくれました
初桜酒造の 本醸造九度山「真田忍び」
初桜酒造は以前に「高野山 般若湯」を呑んだことがあります
真田丸 ここ
真田丸2 ここ
真田丸3 ここ
そんな時に浮かんだのがあのフレーズです
「真田堀(さなだぼり)なら ネオン川・・・」
和歌山ブルースです カラオケで歌ったこともある思い出の歌です 昭和43年発売の歌です
故郷 和歌山へ 歌碑を探しに 行ってきました。
逢いたい見たい すがりたい
そんな気持ちに させるのは
ぶらくり丁の 恋灯り
真田堀(さなだぼり)なら ネオン川
和歌山泣きたい ああやるせない

歌碑は、レコード盤を模した直径1.8mの御影石製で、真ちゅうで作られたレーベル
部分に歌詞や一部の寄付した人の名前が刻まれ、ベンチとしても使えるようです。
近づくと「和歌山ブルース」が流れます。
後ろの方には 古都清乃さんの新曲のポスターが貼られていました
写真を撮ろうとすると先に座っていた若い人が譲ってくれました。和歌山の人はいいな~
ここは和歌山一の繁華街ブラクリ丁の途中にある雑賀川の橋の袂(たもと)にあります。
2004年(平成16年) の建立だそうです

アップにしてみました
センサーが見えます これで音楽が流れます

中ブラクリ丁の看板が見えます

そして北新橋西詰交差点の近くに・・・
「真田堀通り」の看板が。和歌山ブルースでおなじみの真田堀通りと表記されています

何故「真田堀」という名前なのか分かりませんでしたが
多分 真田家が徳川幕府に命じられてお堀を作ったのでしょう・・・
真田堀を撮影していると

サギが歓迎の飛来です(笑)
感動を胸に和歌山を去りました

当日の和歌山城天守閣です。
歌 古都 清乃
作詞 吉川 静夫
作曲 吉田 正
発売 昭和:43年 西暦:1968年
1.逢いたい見たい すがりたい
そんな気持ちに させるのは
ぶらくり丁の 恋灯り
真田堀(さなだぼり)なら ネオン川
和歌山泣きたい ああやるせない
2誰にもいえぬ おもいでを
夜がやさしく くれたのも
あなたとわたしの 和歌の浦
夢は消えない いつまでも
和歌山泣きたい ああやるせない

先日 三男がお土産に買ってきてくれました
初桜酒造の 本醸造九度山「真田忍び」
初桜酒造は以前に「高野山 般若湯」を呑んだことがあります