湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

長谷川町子と水木しげる

2008-09-20 18:55:57 | Weblog
体調が悪いので、家で寝転びながら

「サザエさんの東京物語」



「ゲゲゲの女房」

という本を読みました

「サザエさん」の作者、長谷川町子さんの妹の長谷川洋子さんが書いた本と
「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげる氏の奥様が書いた本です

どちらも面白い本でしたので
苦労せず、一気に読むことが出来ました

漫画家というのは、個性の強い変人であるということは
ある程度、想像できますから
そうしたエピソードに関しては、あまり驚きませんでした

むしろ、その生活力の強さが印象に残りました
生活苦や貧困などに、めげない力強さです

それと、もう一つ、家族の絆の強さです

漫画家の仕事は孤独な作業です
家族が総掛かりで、それを支えるのです
漫画家もまた、家族のために、創作に没頭するのです

作品は、家族に支えられて生まれ
また、家族を支えるために、生み出されてきたのでした

家族が書いた本ですから、当然のことながら
そこに描かれた、作品が世に出る過程は、家族の物語でもあります

もちろん、作品は
天才の孤独な精神が生み出した創造物でもあるのですが・・・

作品は、いつの時代も、そんなに簡単に世に出るわけではありませんし
それで生活が成り立つようになる人は、ほんの一握りの人々です
長谷川町子も水木しげるも、そうした少数者の一人です

数少ない成功者の物語でもあります
特殊な世界の人々の話でもあります
普通の人々にとって、何か参考にできることがあるでしょうか

私は大いにあると思いました
とにかく、漫画家も周囲の人々も
不運や不幸をものともせず生き抜く強さがあります
私は、こうした強さが大好きです

そして、繰り返しますが、家族の絆です
家族が一体となって、漫画家を支えたのです
いかなる天才といえども、こうした家族の支えなくして
作品を生み出し続けることはできなかったでしょう


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私生活は臨機応変が一番

2008-09-19 19:19:49 | Weblog
今日は体調が悪く何もしたくありませんでした
こういう日が、しょっちゅうあるのですが、一番辛いです
私のしょうもない性格が、これです
とにかく、何もしたくなくなるのです
一種の鬱なのでしょうか?

こうなると、ちょっと、人生はさびしいものとなります
人と性格が合わないというより
人前に出るのが嫌いな性格ですから
どうしても、一人きりでいることが多くなってしまいます

子供がいると、そうも言っていられないのですが、これがつらいです

ところで、台風はどうなるのでしょう?

私は計画的に何かをするのが嫌いです
もちろん、仕事は、ある程度、計画的に進めますし
どちらかといえば、時間厳守の方です
だからこそ、私生活では、あまり計画に縛られず
臨機応変にやりたいのです

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男のカッコ良さ

2008-09-18 19:27:09 | Weblog
スーパーで買い物をして
帰ろうと思い、エレベーターの前で立っていました
エレベーターのドアが開くと
中に親子連れらしい、お母さんと二人の小さな男の子乗っていました

お母さんと弟らしい方の男の子はすぐ降りてきたのですが
もう一人の、お兄ちゃんの方が、ドアの横に立ったまま降りてきません
小学校に入るかどうかくらいの年齢の男の子です

私は何時までも待ってもしようがないので、乗り込むと
彼はサッとエレベーターを降りて
母親と弟を追いかけて行きました

彼は、私が乗り込むまで「開く」のボタンを押し続けていてくれたのでした

私は、それに気付いて、あわてて彼の後姿に向かい

「ありがとう」

と声を掛けていました

あわてていたので、声がボソボソになってしまい
大きな声にはなりませんでしたが・・・

私の印象は

「カッコイイ男の子だな」

というものでした

彼はどこかで
エレベーターの乗り降りの時のマナーを、誰かに教えられたのでしょう
あるいは、そうした行動をする大人を見たことがあったのでしょう
そして、自分がそうすべき状況に遭遇したので、実践したのです

母親に命じられたのでないことは
母親が、さっさと行ってしまったことであきらかです
彼は自分の判断で、これを実践したのです

男のカッコ良さというものは
自分以外の人のことを考えられる心の余裕と想像力です
さらに、それを自分の判断で行動に移せる決断力と実行力です

私は小さな男の子から
男のカッコ良さの原点を教えられたような気分でした
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常識ある判決

2008-09-17 09:31:52 | Weblog
平成10年3月、岐阜県大垣市の国道で
トレーラー運転中に交通事故現場に遭遇した運転手は
トレーラーを止め、車を降りて救命作業中に
不幸にして後続車に追突され、死亡しました

トレーラーの運転手の妻は、同年9月
半田労働基準監督署に遺族補償年金などの支給を申請しましたが

「自らの判断で業務を中断したと認められ、業務上の災害とはいえない」

との理由で、申請を退けられてしまいました

妻は

「助けを求めている人がいるのに、見てみぬふりをして通過しろというのか」

「世の中の常識からかけ離れている」

として、昨年提訴に踏み切りました

「プロのドライバーとして、人として当然のことをした夫の行為を認めてほしい」

と訴え続けてきました

名古屋地方裁判所の遠藤俊郎裁判官は判決理由で

「事故車の同乗者からの要請を受けての救助行為は
長時間の自動車運転を行う労働者が業務上当然なすことが予想される行為」

と指摘し

「業務遂行中の災害と認めるのが相当」

と述べました

晴れて、労災が認定されたのです

以上、本日の産経新聞の記事からの引用です
近頃めずらしい、胸のすく常識ある判決です

行政の非常識はもとより
司法の非常識にも悩まされる昨今です
久しぶりに、裁判官にも常識ある人がいることを知らしめてくれた判決でした



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設計者の固い頭・・・等式と不等式3

2008-09-16 11:02:43 | Weblog
商売柄、建物の企画を立てることは日常的です
私の仕事のメインの一つがこれです
更地に新築を建てることもあれば
既存の建物のリフォームもあります

私は建築士ではありませんから
私のアイデアを設計士や現場監督に伝えるわけですが
はじめから細かな数字まで指示することはありません

しかし、いつもがっかりするのが建築関係者の頭の固さです

通路幅1mと思い込んでいると
1m以上に広くしても、何も問題の無い場所でも
1m幅の通路の図面を描くのです

駐車場の幅も2.5mと決めていますから
車椅子使用者の用には足りません

もちろん、商売である以上、コストや効率は最優先です

しかし配置の関係で、1箇所くらいは広い駐車場を作れるのです
入居者のすべてが車椅子使用者ではありません
むしろ少数派です
1箇所くらい、広い駐車場があってもいいのです
無理に緑地なんか作って、狭くする必要はありません

設計者や現場監督の頭を固くしているのが”等式の発想”です
通路幅は1m、駐車場の幅は2.5mという様に
”等式”として頭に叩き込まれているのです

本当は不等式なのです
1m以上であり、2.5m以上なのです

私は、全ての駐車場の幅を3mにしろと言っているのではありません
そんなことを言えば
それはそれで”等式の発想”になってしまいます
不等式の持つ”柔軟性と自由”を正しく理解してほしいのです


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予算というもの・・・等式と不等式2

2008-09-15 09:56:39 | Weblog
何かをしようとして
予算を決めたとします
すると人は予算を使い切ることだけを考えます

本当は、予算というものは
何円以下とか何円以内という様に表現すべきものであり
使い切ることは正しくありません
目的を実行するための費用と予算は”不等式”であるべきなのです

予算以内で目的を達し、お釣が戻ってくるのが正しいのです
お釣が多い人ほど有能だとも言えます

ところが、予算が余ると、見積もりが甘いということになり
かえって無能扱いされるのが、組織の論理です
組織の中では、予算を分捕る者ほど有能だとされます

予算と実行金額が同額でなければならないという
”等式の発想”が日本の行政を硬直化させ、予算を肥大化させてきました

同じく、歳出と歳入の関係も
これを同じにしようとする”等式”の発想は破綻します
どこかで嘘を吐かないと辻褄が合わなくなります
嘘が嘘を呼ぶ、予算使いきり行政となります

想定外の出費がある度に、赤字が累積するのです

歳出を歳入より少なくする”不等式の発想”
予算よりも実行金を少なくする”不等式の発想”が必要です

100万円の予算で200万円の仕事をする者は
200万円の予算で200万円の仕事をする者よりも有能です

日本の現状は、どんな仕事をするかではなく
100万円の予算よりも200万円の予算を勝ち取った者が有能とされます

100万円の予算では100何円の仕事しか出来ないと
人々が”等式の発想”に支配されているからです


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等式と不等式

2008-09-14 12:15:07 | Weblog
小学校で算数を習い始めてから
ほぼずっと、数式といえば等式です

「1足す1は2」の”は”に当たる部分の存在するのが等式です
一般的にはイコールのことです

何々は何々である・・・というのは
算数や数学に限らず、勉強には付きまとう形式です
そういう形で私達は、主に学校で、知識を学んできたのです

私はこれを「等式的世界観」と呼んでいます

自動販売機のジュースの値段や
スーパーマーケットのパートタイマーの時給は
確かに「等式的世界」がこの世に存在することを私達に教えています

しかし現実には、私達の身の回りは「不等式の世界」です
「等式的世界」は極めて例外的に存在しているのであり
実際の世界は不等式で成り立っています

試験が良い例です
「何点で合格」と言いますが
本当は「何点以上」で合格なのです

「以上」とか「以下」とか「未満」などという言葉が付くと
これが不等式となります
現実社会は不等式で成り立っています

物質世界も人間世界も
完全な同一、同質はありえないからです
この世に、同じ人が存在しないように
完全に同じ物も存在しないのです

モノを作る場合でも、材質のバラつき、加工のバラつき
そして、測定上の誤差も避けられません
設計は誤差を想定した上でなされます

現代の工業製品は
人間の感覚では差異を認識できない”同じモノ”となりました
”同じモノ”を”同じ値段”で買うという生活が、現代人の日常となっています
人々はいつの間にか「等式の幻想」に支配されています

学校教育も消費生活も
現代人の発想を”等式の枠”に閉じ込めようとてします




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意識と行動

2008-09-13 16:16:24 | Weblog
50歳を過ぎ、加齢とともに、思うのは
行動の基準が生理的になってきたということです

疲れることはしたくない・・・

あれほど好きだったドライブも、すこし苦になる時があります
長距離ドライブも、楽しみであるより
何か身構えた覚悟のようなものが先行します
以前なら、その日が来るのを楽しみにしたものですが・・・

仕事で東京に出るような時でも
前日から体調を崩さないように気を使います
こんな予定を入れなければよかった・・・などと
直前になって、後悔の念が起きることもあります

それでも、予定を消化したあとは、不思議な充実感があります

外出を億劫がっていると、毎日が退屈になります
これはこれで、心を腐らせるものなのです
やはり、外に出て、新しい刺激を受けないと、心が錆付きます

行動が意識を決定します
すくなくとも、行動への意欲が意識を決定します

何もする気が起きないときは
何もしなくても済むような理屈を、頭が勝手に考えるものなのです
頭というものは、現実を見ることよりも
自分に都合がいいことを、勝手に考えるもののようです

行動的であることは
現実を正しく認識する上でも重要な要件であるようです

健康と体力の維持は大事だということですね・・・
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生産力の拡大が貧しい人々を救う

2008-09-12 17:54:39 | Weblog
社会の平等を実現する手段は生産力の拡大です
貧しさとは、即ち生産力の不足なのです

今日まで、50年以上生きてきた私の実感は
モノを沢山作れば、値段は安くなり
手の届かなかった高級品が、安くて性能も良くなるということです

お金持ちの独占物と思えたものが
庶民にも手に入るようになるのです

企業活動を妨害しないことが
結果として、貧しい人々の生活を向上させるのです

それを貧富の差の解消と称して
金持ちや企業を虐めると、不景気にもなりますし
企業が倒産したり、税収不足が起きて増税されたり
庶民の寒い懐は、ますます寒くなるのです

こうして、実際の”貧富の差”が広がるのです

税金を安くし、企業活動をしやすくすれば
必ず、景気は良くなります
景気が良くなれば、貧しい人々の生活も楽になり
未来へのチャンスや夢が広がるのです

自由社会にあっては、誰にもチャンスがあります
しかし、必ず豊かになれるという保証はありません
リスクの大きい道を選べば、当然、危険はあります
堅実な道を選べば、多くの場合、生活に困ることはありません

庶民のつましい生活であっても
それは100年前の庶民から見れば
驚くような豊かで自由な生活なのです

実現不可能な完全平等を目指すより
実現可能な”実質的平等”を目指す方が、賢い決断なのです

私の言う”実質的平等”とは
人が人に支配されない社会のことです
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共産主義から情報共同体社会へ

2008-09-11 20:06:06 | Weblog
共産主義に代わる、労働者の希望の思想は何でしょう

それは「情報共同体主義」です

パソコンとインターネットを使った情報共同体を作るのです
すでにドットコミュニズムという言葉もあります
これが未来を拓く共同体主義なのです

もちろん、ただちに明るい未来がひらけているわけではありません
なによりも、物質の共有を目指す
既存の共産主義思想が強固に生きています

武力、警察力を背景とした
私有財産否定と強制徴税主義が猛威を振るっています
この物質主義の共産主義を打倒しないかぎり
情報共同体主義は実現しません

人々が生産活動に当たって
情報を共有することのメリットは大きいものがあります
それはすでに、民間企業の経営実践において、証明されています
一般業務も研究開発も、生産性が著しく高まります

これを社会全体に適用できれば、社会全体の生産性が高まり
豊かな社会が実現し、貧困や失業も改善されていくはずです

ただし貧富の差は残ります
これは自由社会の宿命です
豊かな社会は資本の不平等を避けられません

ここで念を押しておきますが、共産主義はもっと不平等です

自由社会の貧富の差は”富普の差”と呼ぶべきなのです
自由社会においては、貧困の意味が変わってきています

衣食住に不自由する貧困は撲滅されつつあります
人間が隷属状態に陥るような貧困が克服された以上
貧富の差の解消は、人間社会の重要テーマではなくなったのです

強引な貧富の差の解消は”自由の否定”を意味します

税制を少し変えれば
多くの人がゆったり過ごせる、とても豊かな国になれるのです
共産主義者は、それを認めません
彼らが作りたいのは”奴隷国家”だからです

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