湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

皇后陛下が藤沢に疎開していた話・・・父の記憶

2014-12-23 15:04:19 | Weblog
今日は天皇誕生日です
天皇陛下は81歳になられました
すでに日本人男性の平均寿命を上回られました

幾たびか病を克服され、国民への深い思いを片時も忘れず
今尚、日々、ご公務に励まれる姿に
深い尊敬の念を抱いております

天皇陛下の御健康と御長寿を心よりお喜び申し上げます

昼食時、陛下のことが話題にのぼると
突然、父が語り始めた話を
ここに、覚え書き代わりに書き留めておこうと思います

戦後間もない混乱期、食糧難の時代です
農家である我が家には、食料の買い出しに来る人々がおり
祖母は、お腹を空かせて買い出しに来る人に
食事をふるまったりする人だったので
いろいろな人が我が家に来たそうです

そんな中で、ある日、とても上品な婦人が我が家に訪ねてきました
聞けば、江ノ電の鵠沼駅の近くに住んでいるということでした
親戚があったこともあり、父はその辺りに土地勘がありました

「わざわざ買い出しに来るのは大変でしょうから、私がお届けします」

父は、そう提案し、5回ほど、そのお宅に行ったことがあるそうです
その家の主人は父に名刺を渡しました
その肩書きは、父の記憶によれば

「日清製粉総務部長 涌井秀馬」

というものでした

父が特に印象に残ったのは
そんな立派な肩書きを持つ大変上品なご夫婦でありながら
野菜運びの少年に過ぎぬ父を、見下すような態度は一切無かったことでした

この時は、ご夫婦二人だけで暮らしていました
父は夫人から直接聞いた話を、なぜかいつまでも憶えていました

「戦争中の一時期、この家で正田家のお嬢さんを預かっていたことがあります」

現、皇后陛下、正田美智子さんのことです
皇太子妃として全国的に有名になる、ずっと以前の話です
皇后陛下は、戦争中の一時期、藤沢市内に疎開していたことがあったのです

その家は、あまり大きくなかったといいますから
正田家の別荘だったのかもしれません

父はよく

「美智子さんは戦争中、鵠沼に疎開していたことがある」

と話していました

その根拠が、このエピソードだったのです

当時の父は、日清製粉が大きな会社であることは知っていましたが
正田美智子さんが皇太子妃候補として有名になる前でしたので
「日清製粉」や「正田家」という言葉に特別な感情は抱かなかったそうです










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4 コメント

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Unknown (秋本さんを応援する会)
2014-12-23 22:59:08
私の妻は脳梗塞により32歳という若さでで亡くなってしまいました。
秋本さんもどうか長生きしてくださいね
私も妻の分まで頑張ります。
いつもタメになる話をありがとうございます。今度講演会などなさったらどうですか?
┏○)) アザ━━━━━━━━ス!
返信する
Unknown (Unknown)
2014-12-24 14:57:08
最近フェイスブックを更新されていないようですが、お元気でいらっしゃいますか?
返信する
Unknown (Unknown)
2014-12-24 15:16:10
秋本さんってもしかして柔道の秋本啓之さんのお父さんですか?
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Unknown (あきもと)
2014-12-25 00:25:07
別人です
返信する

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