湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

名曲「神田川」誕生秘話

2022-05-28 14:43:23 | Weblog
ユウーチューブで音楽を聴いていたら
かぐや姫の「神田川」誕生秘話のテレビ番組の録画にたどり着きました

ノンポリだった南こうせつが、ヒット曲が欲しくて喜多條忠に作詞を頼むのです
喜多條は、こうせつとは違い、学生運動の最前線にいました
以前、自殺した学生運動のヒロインの詞を、かぐや姫のために書いたことがあったのです
そのような詞を、もう一度書いてほしいというのが,、こうせつの要請でした

締め切りは今日中、夜までに書き上げなければいけません
まだ、何を書くか、詞のの題名も決まっていません
家に帰る途中「神田川」という看板を設置する工事に出会いました
下に「川をきれいにする」という標語が書いてありました

これを聞いて、私は
近所の引地川に同じような看板があったのを思い出しました
日本全体で、公害問題が厳しく論じられるようになり
それまでドブ川のようだった河川を
浄化することを日本中の行政が取り組み始めていたのです
そういう時代背景だったのです

学生時代の喜多条氏は、神田川の近くの下宿で同棲生活をしていました
そういえば、あのドブ川か神田川といったな・・・
これで、題名が決まりました

当時、そのあたりに学生下宿が多く
三畳一間、トイレは共同、風呂は無し・・・だったそうです
彼女と一緒に風呂屋に行った想い出を書き綴りながら
これでは、ただの作文だと思いました
そこで

”若かったあの頃、何も怖くなかった”

という詞を付け加え
それに、空欄を設けた詞を続けました

”ただ(・・・)が怖かった”

そして、自分は何が怖かったのだろうと自問しました
機動隊に正面から突撃、殴られけられても怖くなかったのです
デモで機動隊ともみ合い、くたくたになって下宿に帰ると
彼女の作ってくれたカレーライスの匂いがし
優しいくつろぎが待っているのでした

自分は、やがて、このやさしさの中に逃げ込むであろう
喜多条氏は、それが一番怖かったのでした
そして、彼女と別れたのでした
(・・・)の中には(貴女のやさしさ)と書かれたたのでした

喜多条は、すぐに電話でこうせつに歌詞を伝えました
こうせつは、歌詞を書き写しながら、メロディーが出来てしまったそうです
すぐに、こうせつが喜多条にメロディーを電話で伝えると
今度は喜多条が、そんpメロディーに感動したのでした

「神田川」は、かぐや姫のアルバムに収められましたが
シングルカットはされませんでした
レコード会社の判断は
とてもシングルヒットするような曲ではない、というものだったからです
当時、こうせつが、自身の深夜放送で、一度だけ、この曲を掛けると
問い合わせが殺到したのでした

時間の無い中、急ごしらえで作られた曲が
レコード会社の思惑すら超えて、大ヒットになったのです
南こうせつと言えば「神田川」というくらい
ミュージシャンとしての彼の代表作となりました
また、この曲のイメージから「四畳半フォーク」という言葉も生まれたのでした

私が、この曲のことを最初に知ったのは高校生の時でした
偶然出会った、中学校時代の同級生の女の子が、しきり感動していたのです
実際に曲を聴いて、場面が浮かび上がるような良い曲だと思いました
ただし、自分は、東京で下宿生活や同棲の経験はありませんから
曲自体に深く共感することはありませんでした

番組の中で、私と同世代の榊原郁恵さんが、大好きな曲だと言っていました
おそらく、彼女にも、こんな人生経験は無いでしょう
それは、私に最初にこの曲を紹介した女の子とて同じなのです
にもかかわらず、この曲に惹かれる女性がいる・・・

怖いほどの優しさに包まれた、若く貧しい若者の恋
女性は、そんなところに憧れを抱くものなのでしょうか?
ちなみに、私の妻は、南こうせつも「神田川も」も嫌いです







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 妥協を肯定的にとらえる | トップ | 活字離れ、モノ離れ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事