無意識日記
宇多田光 word:i_
 



FINAL DISANCEは、何度も繰り返し指摘してきたようにボーカル/ピアノ/ストリングスの三位一体が魅力の曲である。メロディーと歌詞はDISTANCEと大体同じであるのだからどういう編曲を施すかが鍵になるのだが、この時はまるで「FINAL DISTANCEという"答え"に辿り着く為にまずDISTANCEが必要だった」ように感じられた。それ程までにこの曲の居住まい、"姿"は美しい。この曲の特別さは特別である。のちにヒカルはFlavor Of Lifeでもバラード・バージョンを制作して大成功を収めるが、それもこの時の経験があったればこそだ。

その特別に特別な楽曲を、完成したばかりの時期に、大人数のストリングス・チームとグランド・ピアノが設えられた舞台が出迎えるだなんて出来過ぎである。しかも、そのステージ・コンセプトは「スナックひかるへようこそ」、飾らない素のヒカル、普段着のヒカルを見せる事にあった。これもFINAL DISTANCEの元々のコンセプトに合致する。DISTANCEからビート、リズムを抜いて"裸になった(get naked)"のがFINAL DISTANCEなのだ。確かに、あの絢爛豪華なPVのお陰でこの曲にはスケールの大きさがイメージとしてつきまとうが、まずはガードを脱ぎ捨てて素材を剥き出しにする所にこの曲の妙味があった。DISTANCEからFINAL DISTANCEに至るスピリットは、まさにエレクトリックの鎧を脱ぎ捨てて楽曲の素材と歌のよさで勝負しようという"Unplugged"の精神そのものだったのだ。

メイキングによればどうやらこの企画はU3側からの提案でもあったようだが、それにしたってタイミングが合わなければMTV側からもGOサインは出まい。恐らく、この曲のレコーディング時同様、幾つもの偶然が折り重なって必然的にここに辿り着いたのだろう。運命を手繰り寄せる楽曲の力がここにはあったのだ。

そして、それは出来るだけ"素の自分"を見せるヒカルのチャレンジの幕開けだったともいえる。その試みはすぐさま"光"という、自らの本名の漢字を冠した楽曲の発表に結びついた。この流れを作るには、一度でいいからFINAL DISTANCEを人前で披露する機会を得る必要があったのだ。"見せる"というチャレンジに挑むからには、本当に見てもらわねば。総てが裸になった美しい楽曲FINAL DISTANCEをファンの目の前で歌う事。その時のヒカルの歌唱は、ビデオを見てうただければ瞭然と思うが、一節々々大切に大切に歌っている。ここまで大事にされて楽曲も幸せだろう。その溢れる気持ちを斜に構えることもなく冷笑的に捉える事もなく、真正面からありのままの素朴な歌う姿を人前で"見せる"事で、ヒカルはより自分自身を楽曲に投影する方向へと進んでいく。FINAL DISTANCEとUnpluggedは、その分水嶺となる大きな通過儀礼、passageであったのだ。(続く)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回は駆け足で振り返った為書き方が荒かった。ちょっと補足。ボヘサマ2000は夏場に行われたので、その頃には既に、後にDistanceアルバムに収録される曲の半分がシングルとしてリリースされていた。なので2ndの曲が総て不遇という訳でもない。あクマでフルスケールのショウをやるには曲数が足りなかった、2nd発売後にコンサートをやればちょうどよかったのに、という話だ。

さて、そのDistanceが発売された後唯一行われたライブイベントがUnpluggedだった。ライブといっても基本的にはTV番組の収録だし参加できたファンも極限られた人数だったから、意義としてはヒカルのアーティストシップに関する点に注目がいく。

元々Unpluggedという米国MTVの企画は、何もかも豪奢に派手になっていった80年代の文化の反動として世に出てきた印象がある。その80年代の文化を形成したのもまたMTVであった訳だが、それに対するカウンターカルチャーを提示したという意味においてUnpluggedもまた"オルタナティヴの90年代"の申し子だった。その為、ヒカルが2001年に歌う頃にはUnpluggedの定式や伝統みたいなものが既に定着していた。既存の手法を遂にヒカルが採用した、という感じなのか。

読者にとってはどうでもいい話かもしれないが、筆者個人は"Unplugged"というコンセプトをあまり評価していない。というのも、ひとのことばを借りれば「マイクを使っている時点でUnpluggedじゃない」から、だ。いずれにせよ電気を通して音を増幅させるのならば、ただエレクトリックギターとシンセサイザー抜きで既存の曲をリアレンジする、という以上のものではないからである。コンセプトを評価していないというより、"看板に偽り有り"と思っている、と書く方が妥当かな。

なので、Unpluggedのミュージシャンシップについての意義は、アコースティック・サウンドそのものよりそのリラックスしたセッティングにある、と私は解釈する。名言「スナックひかるへようこそ」は、その状況を端的に表現したものである。

時は2001年7月21日。照實さんの誕生日に開かれたこのライブは、FINAL DISANCEの制作直後に開かれたものだでた。この曲をナマで歌う為にこの場が設けられたといっても過言ではない。お誂え向きにストリングス・チームも大勢フィーチャされていた。渡りに船とはこのことだ、と当時も思ったし今でも思っている。運命を引き寄せる力を、この楽曲は持っていたのだ。続く。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )