無意識日記
宇多田光 word:i_
 



いかんいかん、ヒカルの歌声に聞き入っていたら時間が過ぎてしまった。よって今夜は短め。

よくこれだけ毎日、多分年間ののべ再生回数だと数百回レベルで聴いてる人間を改めて感動させられるなぁと感心する。いや私の場合、出来るだけ(自分にとって)新しい音楽を聴きたい方なのだが、合間々々にヒカルの歌を聴いて気持ちを"リセット"する。時々感性が鈍っているのかな?と思う瞬間が、ずっと音楽を聴いていると訪れたりするのだが、ヒカルの声を耳にしてまだ自分の心が生きている事を知る。今や人として生きているかどうかを確認する為の最後の砦とも思える。この声を聴いて何も感じなくなったら、多分私は人としてもう死んでしまっていそうだ。幾ら生物として生きていようと。

そこまで言うかという気がしなくもないが、でもそれが実感である。これ以上確かなものは最早何もないという位に。歌はいい。カヲル君でなくてもそう言いたくなる。

でも、そうやって毎日この歌声を耳にしていられるのも、身も蓋もない事を言ってしまえば曲が多いからである。もしこれが10曲しかない状態だったら2年も5年も待てやしない。食事のメニューと同じで、大体何種類以上あればそれで一年回せる、という数がある。具体的にそれが何曲か、というと全くわからないが、光の場合取り敢えずその数を超えている感じだ。

光ばかりを聴いている訳では、勿論ない。全体からの割合としてはそんなでもないだろう。今はYoutubeを開けば一生聞き続けても聴ききれない程の音楽が溢れている。そんな情報飽和な巷間において、こうやって人生と生活の軸となる音楽が存在するのは幸せな事だ。

たま~に、手元に音楽プレイヤーがないケースも、生きていると存在する。そういう時は大抵ぼくはくまを口遊んでいる事が多い。やっぱりこの歌はこどもが唄うのがいちばんだが、おっさんがぶつぶつ歌ってても、格好はよくないが、何か面白い。老若男女誰が歌っていても、こう、それはそれでアリだと思える、そんな歌はぼくはくま位だろう。

いやまぁこの孤高を除けば、光の歌は歌の巧い人が歌わないと様にならない。光以外の人は無理、とすら時々思う。この歌声は必要不可欠にして唯一無二。本当にこの時代この時間限定の奇跡である。二年や五年引っ込んでいたいというならその程度は我慢しよう。

しかし、光自身にとってはどうなのだろうか。彼女の歌声は、彼女にとってめ必要不可欠で唯一無二なんじゃないの。シャワーしながら鼻歌歌ってたら自分の歌声に聴き惚れたりするんじゃないの。また新曲聴きたくなるんじゃないの。光自身にとって、1人の音楽リスナーとして、宇多田ヒカルの新曲が聴きたくなる瞬間が、あるんじゃないの。それがいよいよ訪れたならば復活の時だろうな。まぁそれまでは既存の楽曲をまわしておくことにしますよ。あれ今回中身なんにもないや。まぁ、いいか。

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ミュージシャンはお金じゃない、と言ってそれを体現出来るのはヒカルの場合、それでも圧倒的に売れているからだ。50万枚近く売っておきながら「さっぱり売れなくなったねぇ」と呟かれるのだから大したものである。

とはいえ、今やCD売上に基づいたランキングチャートはほぼ意味を為さなくなっている。何故動員数チャートがフィーチャされないか不思議な位、今や人気のバロメータはLIVEコンサートに軸足が移った。

米国のビルボードでは最近2つの動きがあった。ひとつは、あるアルバムのダウンロード販売で極端なディスカウントが期間限定で行われ、その週だけランキングの上位に名を連ねるという現象が起こった事。もうひとつは、チケットのおまけでアルバムをつける、という事でランキングの上位に顔を出す作品が現れた事。後者を仕掛けたのがUtaDAもお世話になったLIVE NATIONである。

結局、こういう事が起こるのも、音源とその流通の価格が(もしかしたら価値も)劇的に下がった事、及びミュージシャンがあげる収益がLIVE中心になったからだ。儲かるのはそっち、という身も蓋もない現実である。

こうなってくると生粋のアルバム・アーティストである宇多田ヒカルは厳しい。なんとなく、立ち位置が曖昧になってくる。Mr.ChildrenやPerfumeであれば元々LIVEが売りのスタンスだからCDの売上が落ちても(いや彼らは売れてますけどね)そこまで痛くはないが、ヒカルの場合は違う。

で、だ。となると照實さんが何をどう考え始めるか、である。ミュージシャンはお金じゃない、を地で行く人。スタジオ代の為に車を売った夫婦の夫の方である。お金じゃない、というか経済観念破綻の領域かもしれないが、そこまで"音楽自体"にこだわってきたからこそヒカルの本格的クォリティーは培われた。自分の娘がちょっと歌が上手いからと金儲けに走っていたらこんなことにはなっていなかっただろう。結果史上稀に見るお金儲けができたのだから人生わからない。

つまり、照實さんからすれば、世間の商業音楽の軸足がLIVEコンサートに移っていっててもそんなに気にはしないんじゃないかという事だ。スタジオワークに手を抜くとか予算削減するとか毛頭考えられない。そして、歴史は繰り返すというか、そんな世間の荒波をものともせず今までどおりクォリティー最優先で生きていけば、またここにお金が転がり込んでくるんじゃなかろうか。なんだかそれが楽しみなのである。ドッグイヤーな進歩を遂げる昨今、PHSやBlackberryを使った光の歌詞もどんどん古びていくが(色褪せはしないけど)、そんな中で終始「ミュージシャンは金じゃない」を地でいく照實さんが光復帰後にどんな判断を積み重ねていくのか。最初は傍から見てて「時代とズレてるなぁ」と思えても、どうなることやら。あとの心配は、U3が有名になりすぎてU2から苦情が来ないかどうかだけである。んなこたないか。

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