EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

EL&Pを伝える事に少しだけ成功した時の事

2015-05-09 13:04:27 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
EL&Pを伝える事に少しだけ成功した時の事

以前、秋田県在住の私の代わりに、
親友の奥様に、
KORGのイベントに参加していただいた事を述べました。

それまでは、
ほとんど邦楽しか聴いた事のない人だったのですが、
80年代に「恐怖の頭脳改革」のアナログ盤を貸したわけです。

(ちなみに親友である旦那は、邦楽ロックに驚異的なほど精通している強者でした)

私は、

「最初はとっつきにくいかも知れないけど、
曲が覚えるぐらいに聞き込むと、
絶対にカッコイイと思うはずだ。」

という話をしました。

彼女はとても素直な方で、
それを実践してみたようです。

しばらくして、アルバムの感想を聞いたのですが、
幸いにも、
「カッコイイ」という感想を頂戴しました。

そのころ、
私も社会人になって、
まだ数年でして、
仕事上の具体的な成果もまだ出していない状態でしたので、
休みを返上して営業活動をしており、
その他のアルバムを貸したりしている時間はなかったのです。

しかし、
何とか時間が取れた、お休みの日に、訪ねて行きましたら、
CD棚に見覚えのある品物を発見したのでした。

それは、

「3(スリー)」のCDでした。

私が買うように勧めたわけではありませんが、

CDショップで、キース・エマーソンの名前を見つけたらしく、
キースが参加している最新のCDという事で買ってみたとの事。

とても聴きやすかったので、
既に何度も聴いたらしい。

その話を聞いて、
恐怖の頭脳改革をカッコイイと言ってくれたのは、
私の機嫌を取るためのお世辞ではなくて、
本当であったのだと思った次第。

高校時代の洋楽好きや、
学生時代の寮友に勧めても、
無視され続けてきたEL&Pであったが、
ここに来て、その関連CDを、
身銭を切ってまで、購入してくださる方がいるとは、
思いもしなかったので、
ビックリしたのであった。

しかし、その後は、
旦那様の海外勤務等、
いろいろな忙しさも重なって、
EL&Pの他のCDは、「展覧会の絵」以外は、
購入していないと思われます。

以上。

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1978年、恐怖の頭脳改革のトッカータをクラスの演劇に使用してみた

2015-03-12 16:32:49 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
1978年、恐怖の頭脳改革のトッカータを
クラスの演劇に使用してみた


高校1年の時の思い出話です。

通っていた高校の文化祭においては、
クラスごとに限られた時間での演劇をする催しがありました。

当時は、1学年に、6クラスありました。

演劇の脚本は、良く知られている昔話や、
高校生向けの何かの演劇用の脚本を用いたりする事もありますが、
全くのオリジナルの脚本を制作する場合もあります。

高校1年の時、クラスでは、オリジナルの脚本を作って、
担任がある程度テコ入れをしたものを発表しました。

教室の中で主人公が、
暴力的な数人の生徒から
殴る蹴る等の暴行をされる事になるのですが、
人から人へと回されては殴られるシーンがありました。

監督をやった生徒は、
そのシーンに使用する音楽が決まらずにいたので、

私は、
「恐怖の頭脳改革のトッカータの一部」を使用したらよいのではと、
提案し、録音して聞かせました。

監督は、
他に適当な音楽を入手できなかったのか、
「トッカータの一部」をそのシーンに用いる事になりました。

そのシーンに合っていたかどうかは別として、
EL&Pの音楽を用いる事に成功した事は、
ファンとしては、「やったね!」でしたね。

高校1年の時は、
新校舎を建設中で、引っ越しが近いという事もあり、
外向けの様々な展示の企画等は全く行わないという方針だったようです。

そのため、
告知ポスター等も制作されずに、
クラスごとの演劇と、
クラスから選ばれた有志による、
歌と演奏のみの内輪の文化祭という感じでした。

歌などは、

「君のひとみは10000ボルト」や、
「女はそれを我慢できない」など、

を歌う先輩が多かった事や、

エレキを用いたバンドでは、
ザ・フーの「サマー・タイム・ブルース」を演奏している先輩もいました。
なぜか、その曲だけ洋楽ロックだったと思います。

翌年からは、
文化祭では全く別の担当をしていたので、
演劇の音楽に関わる機会はありませんでしたが、
仮に関わる事ができたとしても、
EL&Pを用いる事ができた可能性は低い感じです。

以上。

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FM番組サウンド・ストリート「年齢別リクエスト」の思い出

2015-02-03 11:37:04 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
FM番組サウンド・ストリート
「年齢別リクエスト」の思い出


私はラジオ番組にハガキを出してリクエストした事は、
これまで、ほんの少ししかありません。

そのうちの一つが、
このブログで取り上げた、企画番組「プログレベスト20」の時ですね。

最近になって、
その後も一度だけラジオ番組にハガキを出したのを思い出しました。

渋谷陽一さんが担当していた「ヤング・ジョッキー」が終わって、
「サウンド・ストリート」という45分間の番組が誕生したのですが、
その番組にリクエストハガキを出した事がありました。

ある時、その番組で、「年齢別リクエスト」みたいな企画がありまして、
EL&Pに投票したわけです。

ハガキにはグレッグ・レイクのイラストを描きました。

この時のEL&Pの順位は覚えていませんが、
当時の私の年齢に該当するところで、ベスト10に入ったのは覚えています。

EL&Pは、ベスト10にも入らないのではないかと思って、
ラジオの前でドキドキしていた記憶がうっすらとあります。

この時の渋谷さんのお話によると、
EL&Pへのリクエストハガキの内容の共通点として、

「もうすぐ解散間近のEL&Pをかけてください」

というのがあったようです。

どのハガキにも痛々しい文面が記されてあったとの事。

熱心なファンというのは、
EL&Pのその後に関して、
直感的に何かを感じとっていたのだと思います。

以上。

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紛失したラヴ・ビーチ告知のペーパー

2014-09-12 08:45:09 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
紛失した
ラヴ・ビーチ告知のペーパー


ラヴ・ビーチのジャケットに関して、
3人が並んでいる写真を使用している事を初めて知ったのは、
EL&Pファンクラブから送付されて来たペーパーに載っていたのを見た時ですね。

このペーパーは、B4サイズの用紙、3枚ぐらいに、
細かい手書きの文字でビッシリと埋め尽くされているもので、
オフセット印刷ではなくて、コピーをしたような感じのものでした。

手書きの原稿を書くにあたっては、このような罫紙を使用していたであろう事は、
しっかりと覚えています。



それが、お手紙送付用の茶封筒に折りたたんで入っており、
封筒がパンパンに膨れていた記憶があります。

ラヴ・ビーチ情報という事で、
カール・パーマーのインタビューがほとんどなのですが、
空手か何か、別の目的で来日していたけど、たまたまアルバム発売日の前という事もあって、
プロモーションもしなくてはならなくなったという感じでした。
それにアルバムジャケットの画像が、白黒で小さく載っていたわけですね。

「おぉ、メンバーの写真がジャケットか!」

それまでのバンドのキャラとか、そんな事には全く関心がなく、
ただただ、「メンバーがカッコよければいいじゃないか」と思っていた、
何も知らない少年にはちょうどよかったわけです。

インタビューの内容は全く覚えていませんね。

届いた翌日、
クラスの洋楽好きに見せびらかすために、
このペーパーを持って行きました。

男性が1人、女性が1人で、
いずれも中学からの旧知の友人でした。
私のEL&P好きが伝染する事はなかったのですが、
それでも、ファンクラブから送付されて来た資料ともなると、
きちんと目を通してくれたわけです。

ちなみに2人ともクィーンが一番好きとの事でしたね。

このペーパーは1981年に上京した時に、
家人にグラビアの切り抜きと一緒に廃棄されたと思います。

それまでのファンクラブの会報は、
上京時に持参したのですが、
ペーパーとか会員証は自宅に置きっぱなしのままにしており、
捨てはしないだろうと甘い考えでいたのがまずかったですね。

そもそもペーパーが送られて来たのは、
私がファンクラブに入会してからは、
後にも先にもこれだけでしたので、
そう考えると貴重と言えば貴重なものでしたが、

少年としては、
薄くても製本された会報ならともかくとして、
折りたたまれた紙きれ数枚よりは、
音楽誌のカラーグラビアの方が大事だと思っていました。

ファンクラブオリジナルの独自資料であるという希少価値を、
あまり感じていなかったわけです。

そのため、思い出の中にだけ存在する品物となりました。

以上。

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生徒会の会誌を探していた高校の時の事

2014-06-06 10:47:23 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
生徒会の会誌を探していた
高校の時の事


2日前、1974年のミュージックライフ誌を取り上げた際に、
その頃の自分の事を少しだけ触れましたが、
今日は高校時代の話を少し書いてみます。

私が通っていた高校なのですが、
高校1年の途中から、新しい校舎の方に引っ越しをしました。

高校1年の通い始めは、
自宅から歩いて5分もかからないところに校舎があったのですが、
新校舎は、山の上の方に建てられて完成したわけです。

そのため、坂道を徒歩15分ぐらいかけて、
登っていくというハードな条件になりました。

新校舎になってから2年目の秋に、
友人のつてがあって、新聞部に入ったのですが、
運動部と違い、課外の部活動とは異なる扱いのため、
クラブハウスが存在していませんでした。

(新校舎が落慶した翌年ぐらいに、個別の小さなクラブハウスが、運動部の数の分だけ、建てられていたように思います。ただの着替える部屋ですけど。)

そのため、新聞部では、
生徒会の部屋を何かと利用していたわけです。

生徒会室には、過去の生徒会の会誌が、収納されている棚がありました。

生徒会の会誌と言っても、
その年に在職していた先生方の寄稿文も載っている、
年に一度発刊されていた文集のようなものですね。
在校生の文章は、1年生から3年生まで、
学年を問わず載っているので、卒業文集とも言えないわけですが。

過去の生徒会の会誌は、
特に厳重に管理されているわけではないので、興味があれば、誰でも見る事ができました。

そこで、過去の生徒会の会誌を物色し、

(しかし、こうしてみると、当時からやっている事は、今と大して変わりませんな)

特に、「展覧会の絵」がヒットした年の生徒会誌に、
洋楽好きの先輩のどなたかが、
何かを書いている痕跡があるのではないかと思い、
パラパラとめくったわけです。

そしたら、やはり、そこには、「エマーソン、レイク&パーマー」、もしくは、「ELP」の文字があったわけですね。

限られた頁数という事もあり、
すべての在校生が自分の趣味に関わる事に関して、
原稿を依頼されているわけでもないでしょうが、
それを書かれた先輩は、
その年の風潮を綴るような形で、自分の音楽趣味を、
生徒会誌に載せる事に成功したようでした。

「洋楽ではエマーソン、レイク&パーマーの展覧会の絵(あるいはナットロッカー)などがヒットした。」

という感じの記述がしっかりとありましたね。

「おお、当校の先輩にもEL&Pを知っている方がいたのだ!」

と思って少し良い気分になりました。

それを同級生のイエス好きのプログレ親友に、

「どうだ!スゴイだろ!プログレ先輩がいたのだ!」

と見せましたね。

しかし、彼は「イエス」の事が書かれていなかった事もあってか、
反応は今ひとつでした。

今にして思えば、プレグレ先輩という決めつけは大袈裟でしたね。
その年の洋楽ロックが好きだっただけかも知れません。

言える事は、私はこの高校の先輩は、1972年当時、間違いなくEL&Pを気に入っていたのだと思いますね。

そして、その嗜好を生徒会誌に残すために、文章の中に織り込んだのでしょう。

以上。

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高校時代の通学時のカバン

2014-04-19 09:12:12 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
高校時代の通学時のカバン

高校時代は、取っ手のついた学生カバンを持って坂道を登っていました。

坂道を登って通学する高校と言ったら、あの高校か、この高校というぐらい、
地元の方であれば、すぐに解りますね。

あまり良くない習性がありまして、
時間割以外の教科書とノートもいつもカバンに入れていました。

「いつも全部そろえて入れておかないとなぜか心配!」

みたいな取り越し苦労を抱えていたわけです。

そのため、
カバンはいつも膨れあがっており、
当然、重たいわけですが、
その重たいカバンと部活のスポーツバッグを手に持って、
坂道を20分ぐらい黙々と登って歩いていました。

若いから出来た事ですね。

父の車で日帰りで行ける距離のどこかのお店に行ったときに、
アルファベットの大きめのステッカーが目に入りました。

即座に、

「これだ!」

って思いつきましたね。

黄色い色のステッカーで、
黒い縁取りがしてありました。

「E」と「L」と「P」の3枚を購入。

1枚につき幾らぐらいしたのでしょう。

100円ぐらいはしたかも知れません。

「&」はあいにく店頭にはありませんでした。

家に帰ってから、

黒いカバンの裏に早速貼り付けました。


カバンの概略図 裏側だよ

このシールの意味がわかるのは、
ほんの一握りのプログレ友達でした。
それでも自己満足に浸っていましたね。

以上。

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キング・クリムゾンの公演にまつわるEL&Pファンクラブスタッフとの思い出など

2014-03-26 14:44:29 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
キング・クリムゾンの公演にまつわる
EL&Pファンクラブスタッフとの思い出など



ディシプリンのアナログ盤に挟めてあります
初回ステッカーが見あたらない



私はアチコチでつぶやいているのですが、

洋楽ミュージシャンの来日公演の初体験は、
1981年に来日したキング・クリムゾンです。

このキング・クリムゾンが来日決定した時に、
この年の夏に、EL&Pファンクラブミーティングでお会いした、
大阪のEL&Pファンクラブのスタッフの男性から、
電話がありまして、

「浅草国際劇場のチケットを1枚買って欲しい。」

と言われました。

チケット入手のエピソードは、mixi内の日記に一度記した事がありますが、
スレスレで何とかチケットを入手したわけです。

どういう事かと言いますと、

田舎者は、
エリック・クラプトンのチケット発売が同日であるとは、
全く思いもせず、
間違ってエリック・クラプトンの列にしばらく並んでいたのです。

同じ寮に住んでいた男性と一緒に並んでいたのですが、
私たちの前に並んでいる若干年上と思われる女性2人が、
どうしても、キング・クリムゾンを聴くようなタイプに見えなかったので、
その間違いに気づいた次第。

幸いにもチケットが入手できて、
EL&Pファンクラブの男性に迷惑をかけずに済みました。

何がスレスレかというと、
私らのすぐ後に並んでいた男性は、チケットを入手できなかったのです。

公演の翌日、学校を休んで、
神保町界隈を散策するのにお付き合いしたのですが、
初めて、中古盤店巡りなるものを体験させていただきました。

中古盤そのものは、
銀座で購入した事もあったのですが、
70年代の主流ミュージシャンの中古盤を扱っていたので、
マニアックなお店ではなかったわけです。

しかし、
そのスタッフの方は、
神保町の中古盤店を歩きまわり、
東芝時代のザ・ナイスのベスト盤を取り出して、
私に見せてくれました。

このブログでは、まだ取り上げていない、
「白銀シリーズ」のベスト盤です。

そんな品物自体が存在する事すら知らなかったので、
少しビックリしました。
ジャケットもかなり傷んでいる品物でしたが、
メンバーのカラーフォトもジャケットの中にあったのを覚えています。

当時は、EL&Pのメンバー音楽そのものには、
もちろん、関心があったのですが、
いろいろな関連物を求めたり観察したりしようとする意欲が、
ほとんどありませんでした。

私は、このファンクラブのスタッフの男性から、

「torioden君はコレクターの気持ちがわかっていない。」

と別の方を介して言われた事がありますね。

その方の名前はしっかりと覚えていますが、
大阪のEL&Pファンクラブが東京に移設すると同時に、
連絡を取る事もなくなりました。

今でもEL&Pのファンをしてくださっていると良いのですけどね。

以上。

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なつかしの「プログレベスト20」にまつわる記憶

2013-10-10 13:52:07 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
なつかしの「プログレベスト20」にまつわる記憶

数日前に、
「ロックの殿堂入りに推奨するプログレッシヴロックのミュージシャン」への投票願いのリンクを貼りましたが、
それにちなんで思い出した事を少し。

投票というと思い出すのが、
ラジオ番組、ヤングジョッキーの「プログレベスト20」
という企画です。

(mixi内のプログレ友人の日記の中で、このプログレベスト20を絡めたコメントをした事もありますね。)

この企画より前に、
「ハードロックベスト20」というのがありまして、
組織票は無効という事を、番組サイドがつけ加えなかったので、
日本のロックバンド、「BOWWOW」が組織票で第3位に入った事がありました。
1人の方が、何百枚もハガキを書いて送ったとの事でしたね。

番組では、その時の反省を踏まえて、
「組織票は無効」という規則を設けて、
ハガキによる投票が行われました。

しかし、私は、「組織票が無効」という規則をきちんと聞いていなかったので、
EL&Pの名前を記して、全てジャケット等のイラストを書いて、20枚ぐらい一挙に自宅近くのポストに投函してしまったのでした。

その後で、「組織票は無効」との再度の説明をラジオから耳にし、
今度は、お詫びのハガキを送付しました。
私も当時は、まだ、純粋だったのです。
組織票かどうかは、消印等を見て判断しているとの事でした。

ところが、
お詫びのハガキをポストに投函したのもつかの間、
反省の心もどこへやら。

高校の総体で居住地から移動する事があったので、
筆跡が解らないようにレタリング文字を使用して描いたハガキを、
隣の市のポストに投函したのでした。

これも、ひとえに、
「EL&Pに第一位を奪取してもらいたい」という情熱からの行動ではありました。

この「プログレベスト20」への投票時期は、「作品第二番」以降でしたので、
チャートアクションの衰退ぶりから、
EL&Pファンはかなりの危機意識を持っていたのは間違いありません。

結果として、EL&Pはピンク・フロイドを抑えて、見事、第一位を獲得しましたが、
私のような気持ちでハガキを書いたEL&Pファンは何人もいたと思います。

以上。

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2013年10月10日 yaplog!
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星空の下の「ALL I WANT IS YOU」

2013-09-20 15:15:51 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
星空の下の「ALL I WANT IS YOU」

こんなタイトルを書くと、
「若かりし頃の恋愛話」ではないかと思う方もいるかも知れませんが、
全く違います。(笑)

アチコチで、省略して述べて来た事の詳細ですね。

数日前の9月16日に、
高校時代の親友A君が帰省しておりました。
帰省の季節でもありませんが、母親が一人暮らしをしているので、
連休を使って様子を見に来られたのではないかと思います。
朝早く関東を出発したので、台風による新幹線のストップもなく、順調に来たようです。
A君は、その夜に我が家を訪れたのですが、EL&Pの話等はしないで、
(A君は中学3年の文化祭で、エレキを弾いていたので、音楽に興味がないわけではありません。)
田舎の仕事に関する事で意見を交換したりしながら、梨を食べたりしました。

話は私の高校時代になります。
高校1年の秋も深まった頃ですね。

私のクラスメイトのT君が、
「星を観測する」という話を上述のA君から聞きました。
A君はその時は、隣のクラスだったのですが、
数学時のクラス編成が一緒だった事もあり、
その時にその話が出たのだと思います。

T君も、同じ町内の幼稚園からの知己の中でしたが、
私が星の観測には、ほとんど興味がないと知っていたので、
黙っていたのでしょう。
(興味があるとも言ってないのですが)

そもそも、T君が天体望遠鏡を持っている事すら知りませんでしたね。

そんなわけで、
T君とA君が秋の空の星を天体望遠鏡で見るというので、
流れにまかせて自分も参加する事になったのでした。

T君は、天体観測場に決めた野球場が家から近い事もあり、
暖かいお茶が入った魔法瓶とか、ラジオとかも持参してきたわけです。

その時、なぜだか、持参したラジオから、
FM放送ではなく、AM放送を流しはじめたわけです。

私などは、高校時代は、あまり音の良くないAM放送なんて全く聞いてもいなかったので、
なんでFMを流さないのかと思ったりしていましたね。

しかし、
その時に、
耳の錯覚かと思われる言葉が、あまり感度の良くないラジオから流れてきました。

「カール・パーマーさん!」

聞き間違いと思いつつ、ラジオの側に行って、
耳を傾けました。

「ニュー・ルバムのラヴ・ビーチのプロモーションで、来日しています。」

これには驚きましたね。

もともとAM放送はチェックしていないので、何の番組なのかも解りません。

そもそもニューアルバムが出る事も知らなかったし、
全盛時の頃はともかくとして、EL&Pのメンバーが、AMラジオに登場するとも思ってもいなかったし、
驚きと嬉しさが交じって、ラジオにクギ付け。

また、
「タイトルのラヴ・ビーチが情けない」とか、いっぱしの意見を言うほど、
ファン歴2年目の私は成熟しておりませんでした。

しかも、アルバムから1曲かけるというのですから、
これまた、驚き!
(プロモーションで出演しているので、ラジオでかけるのは当然ですけどね。)

そこで流れてきたのが、
「ALL I WANT IS YOU」

まだ、邦題も決まっていないらしく、
DJは、「ALL I WANT IS YOU」といいました。

私は、
「おぉ、グレッグの声だ!この感じ、作品第二番とは明らかに違うぞ!」
「ニューアルバム 楽しみ 楽しみ また、私の知らない頃の大人気が復活だ!」

天体望遠鏡は覗かせていただきましたが、
私の心の中では、それどころではない事態が発生し、ワクワクなのでございました。

これが、アルバム「ラヴ・ビーチ」の曲との最初の出会いですね。

この日以降の渋谷陽一氏のFM番組で、その番組最終回の予告が流れたように思います。

そんなわけで、
晴れている夜空の下で聞く事になった、「ALL I WANT IS YOU」

これが初めての屋外EL&P体験でした。

以上。

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2013年9月20日 yaplog!

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1977年秋、文化祭の思い出

2013-08-30 13:46:16 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
1977年秋、文化祭の思い出

今朝から急に寒くなったので、
いきなり夏が去った感じもありますね。

中学時代の秋の事を少し書いてみます。

中学の文化祭においては、
それぞれのクラスの担当すべき事項があり、
私のいたクラスでは、「演劇」を担当する事になったのでした。

もし、「演劇」を担当しなかった場合、
軽食のウェイターやウェイトレスを担当するクラスとか、
校門に掲げる文化祭用の大きな門の制作を担当するクラスとか、
クラスによって、まったく毛色の異なる担当事項が用意されているわけです。

「演劇」は、練習も必要ですから、担当事項としては、
なかなか面倒ですよね。
中学3年ともなれば、帰宅後は受験のために勉強に余念のない人もいますから、
「演劇」を担当する事は、どのクラスにも、あまり歓迎されない感じでした。

中学生が演劇をするための脚本みたいなのが、
中学校には何十点が存在しているようで、
クラス担任と、担当になった方々が、その中から演ずるタイトルを選びだしたような記憶があります。

タイトルは「若年」(じゃくねん)といいます。

脚本の詳細は忘れましたが、
一般的な男子の高校生が主人公です。
主人公の家庭内も家族間に寒い風がふいているわけでもなく、
割と平均的な家庭でした。
そのため、主人公の人生を左右する、特に変わった背景等はないのですが、
いわゆる悩める青春時代の渦中にいるわけです。

演劇の終盤になって、
その主役が、
知人の言葉や、自分自身の言葉を反芻しながら、
ステージ正面に立って、ある決意をしていくシーンがあるのですが、

そのシーンのバックにどんな音楽を流す音楽を、
音響担当者が探していたわけですね。

そもそも、田舎の一般的な中学生が、
クラス演劇のシーンで流す音楽に関して、

「このシーンには、あの映画のサントラのこの部分が相応しい。」

なんて、把握しているはずもないわけで、
誰1人、候補となる音楽を提供した人はいなかったようです。

しかし、私は、自分が夏休みに購入したレコードの1曲を、
カセットテープに録音して、音響担当者に差し出しました。

音響担当者は、なかなか慎重な人で、
「これが抜群に良い」とかは、一言も言ってくれませんでしたが、
最終的に他の音楽を見つける事もできなかったのか、
そのカセットテープに録音した一曲が採用となりました。

それは、
トリロジーに収録された「奈落のボレロ」です。

そのシーンで、数分間、使用される事になりました。

担任の美術の先生から、別の提案も意見もなかったので、
そこそこ、そのシーンにマッチしていたのだと思いますね。
(美術の先生だけあって?気に入らない時は、ハッキリと忠告してくる人でした。)

しかし、「奈落のボレロ」でEL&Pを宣伝し、
説明する事は、なかなか難しいわけでして、
この出来事によって、新たなEL&Pファンを獲得したわけではありません。

自分自身も文学に造詣がある不良少年の役で、
演劇に参加しましたが、
未だに吸った事のないタバコを、
主人公に進めるシーンもありましたね。

小道具担当は、
そのタバコを調達するのにやや苦労していました。

不良少年は、元の脚本に出てこないセリフが一言だけの人物を、もう1人用意したのですが、
それを演じたクラスメイトは、既に他界しております。

演劇の監督を務めた人も他界。

主人公を演じた人と、
音響担当の人は、
県内にいるので、
数年に一度ぐらいは顔を合わせる事がありますね。

しかし、
こうして、過去を振り返っているのは自分ぐらいのもので、
彼らは現在を生きています。

以上。

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2013年8月30日 yaplog!

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鈴木慶一氏はEL&Pをどうみているか - その1-

2013-08-01 17:34:33 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
鈴木慶一氏はEL&Pをどう見ているか
- その1-



画像 表紙

1978年のニューミュージックマガジン4月号に、
音楽評論家兼ミュージシャンの鈴木慶一氏は、
プログレに関する論考を載せています。

高校に進学する前の春休みに、
この雑誌をパラパラとめくり、
その記事をザッと読んだわけです。

EL&Pファン歴、ほぼ1年足らずの私は、
その記事の内容に、何ともやるせない思いをしながらも、
記事を切り抜き、ちょっとした手紙を添えて、
入ったばかりのEL&Pファンクラブに送付しました。

田舎では、コピーという事も簡単にはできなかった時代ですね。

まさか、その手紙の内容と、
切り抜いた記事の一部が、手書きで写されて、
送られてきた会報に掲載されているなどとは、
全く思ってもいませんでしたね。

中学を卒業したばかりの私に、
鈴木慶一氏の言いたい事がしっかりと解るわけもないのですが、
音楽の好きずきは人それぞれぐらいの事は理解していました。

なので、鈴木慶一氏が、EL&Pに惹かれない事を綴っている箇所は、
普通に受け止める事ができたわけです。

しかし、その文章の中で、
鈴木慶一氏は、「EL&Pはヘタだ!」という表現をしました

大人の事情(深い意味はない)も知らないEL&Pシンパの真っ直ぐな私は、
鈴木慶一氏を敵対視し、
それ以降、鈴木慶一氏の名前を音楽雑誌で見る度に、
鈴木慶一 =(イコール)「EL&Pをヘタと称したヤツ」
として、興味関心の対象から遮断してしまったわけですね。

これは、多感な少年時代に起きた事なので、
何を根拠として、ここまで言い切ってしまうかを、それ以上探求する事もなく、
時間は経過していきましたね。

書籍の問題の部分は、切り取られたまま、
捨てられずに我が家に残る結果となりました。

ただ、その記事、及びその前後の文章を読み返してみたい気持ちもあり、
古本を入手する事になりました。

それを読むと、また、少年時代とは異なった感想等も出てきたので、
別の機会に綴ってみたいと思います。

以上。

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あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
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2013年8月1日 yaplog!

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「レディーズ&ジェントルメン」の思い出

2013-01-23 11:21:28 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
「レディーズ&ジェントルメン」の思い出


画像① ジャケット


画像② 帯に表記された価格

およそ一ヶ月ぶりの更新です。

11月に一度退院した父が12月28日に再入院。
数日後の1月3日にこの世を去りました。

幼い頃は父と一緒に出かけて、
父から購入してもらったものに関する思い出もありますが、

EL&Pに関しては、
この「レディーズ&ジェントルメン」のアナログ盤が、
父との思い出の一つです。

私は1977年からEL&Pにはまっていくわけですが、
1977年は、EL&Pの再始動と重ね合わせる形で、
渋谷陽一さんのラジオ番組では、数度、EL&Pにまつわる特集が組まれました。

その時に、
この「レディーズ&ジェントルメン」に収録されていた、
「ホウダウン」や「アクアタルカス」のライヴヴァージョンを聴く事ができました。

リリース済みのアナログ盤を一通り揃える事ができた私は、
満を持して、この3枚組のライヴを購入しようと決めたわけです。

新聞配達のアルバイトもしていましたので、
欲求に見合った資金は所持していたのです。

当時のワーナーパイオニアのちょっとした洋楽ロックカタログに記されていた「レディーズ&ジェントルメン」は、発売当時より価格が上がっていたようです。

私が求める事ができたのは、
発売当時の価格(¥5100)のものでしたので、そのお店で売れ残っていた品物であると思います。

現在、「レディーズ&ジェントルメン」を購入したそのS楽器店は、
間口を狭めて、電化製品の修理等を請け負う電気店になっていますね。

購入した日は、日曜日なのですが、
その日は、母も妹も出かけていたのか、家におりませんでした。

その時に、
父に、
「隣の市まで連れて行ってくれないか?」
とお願いしたら、
一つ返事で車を出してくれたのです。

たったそれだけの事ではありますが、
父と二人だけでEL&Pのアナログアルバムを購入するために、
隣の市まで車を走らせたのは、
この時だけであったと思いますね。

ただ、それだけの事ですが、
親というのは、本当にありがたいものです。
ガソリン代だってかかっているわけですからね。

父は音楽の趣味は特に無かったのですが、
私の音楽趣味に関しては、
特に否定する事もなく、徐々に増えていくLPに関しても、
特に否定はしていないようでした。

1977年、
私の頭の中はEL&Pで埋め尽くされていて、
そこに最初のテレビシリーズが映画化される事になった宇宙戦艦ヤマトが、
初めてのブームを迎えていたと思います。
これにも飛びつきましたね。

いずれにしましても、
今日までEL&Pファンを続けて来る事ができたのも、
父の有形無形の恩恵が大きい事は間違いありません。

感謝。

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2013年1月23日 yaplog!

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Rock Fun誌に取り上げられなかったEL&P

2012-06-28 17:03:47 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
Rock Fun誌に取り上げられなかったEL&P

Rock Funとは、シンコーミュージックが1つのミュージシャンに対象を絞り、
そのミュージシャンの写真等を多く扱った写真集ですね。

確か、隔月で発刊されていたのではないかと思います。

当然、ネームヴァリューのあるミュージシャンが名を連ねています。

この写真は、昨日取り上げたミュージック・ライフに載っていた広告なのですが、
1977年の10月にエアロスミスの写真集が出る予定になっていたようですね。


画像 ML誌内の広告頁

1977年は、「衝撃のロックトリオ伝 エマーソン、レイク&パーマー」が発刊された年なのですが、「ELP四部作」のリリースと同時期ぐらいに発刊されました。
この書籍、一度に何冊刷られたのかはまったく想像もつきませんが、
1982年の時点において、第三冊(第三版)まで刷られていますね。

私は、この写真集のシリーズに、
いつEL&Pが登場するかと、
隔月ごとに心待ちにしていたのです。

ELP四部作の日本での売れ行き、あるいは評判といったものが、
今一つだったとはいえ、
キース・エマーソンのキーボードプレイヤーとしての人気は揺るぎのないものでしたし、
バンドとしての人気が下降しているとはいえ、
この写真集で取り上げられたミュージシャンの次ぐらいの位置は確保していると、
思っていました。

しかし、その望みは叶わずに現在に至っております。

EL&P四部作リリースのタイミングは本当に微妙なところでしたね。

むしろ、1年ぐらいリリースが遅れていたら、
写真集も発刊されたのではないかと思えてなりません。

昨日、ミュージック・ライフを見ていたら、
写真集を心待ちにしていた自分の少年時代について、
ちょっと記しておきたくなったので、
触れてみた次第です。

以上。

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2012年6月28日 yaplog!
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賢人から賢哲へ~EL&Pにまつわる少年時代の思い出~

2012-06-06 16:41:53 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
賢人から賢哲へ
EL&Pにまつわる少年時代の思い出


何度かこのブログで述べていますように、
1977年は私がEL&Pの音楽に出会った最初の年です。

なにしろ、多感な少年期である。

はまってしまった以上は、
すべてがEL&Pを中心にまわっていくわけですね。

私が通学していた中学の校長先生は、
地元では著名な書家でありました。

卒業する生徒達が、
それぞれ色紙一枚を用意し、
自らの気に入った文字(熟語?)を、毛筆で書いていただくわけです。

当時、
私には取り立てて信念などなく、
「一枚でも多くのレコードがあれば、
この世はハッピー♪」なんて思っていた、
めでたい少年でした。

少しでもレベルの高いところへ進学しようという志、
そしてそれを支える根気など、
まったくありませんでした。

そんな感じでしたので、
何を書いてもらうかは、
当日の朝まで決まっていない始末でした。

ふと浮かんだのが、
アルバム「展覧会の絵」の
「賢人」という曲。

辞書で「賢人」を調べて見ました。

「賢く、道理をわきまえた人」

という説明がありましたが、
そもそも道理が何であるかも理解していなかったと思います。
(今もそうでしょうが)

しかし、
当時は、
いくらなんでも、
「賢人」では、
何か色紙に書いてもらうには、
妙な感じを持ってしまったため、

せめて、
この中の「賢」の時を用いた熟語にしようと思って、
その周辺の文字から選んだのが、
この「賢哲」という言葉でありました。


画像 色紙


校長先生は、

「torioden、この意味が解っているのか?」

と、一切の嘘を見抜くような眼差しで私を見つめました。

私は、
「辞書では調べたのですが」

とか答えた覚えがあります。

校長先生は、

「このような人物になるという事は並大抵のことではないのだ。」

とか言ったように思います。

1978年の1月、学校の教師が不祥事をおこしたのが元で、
校長先生は異動になりました。

当時は田舎の地域での不祥事でしたので、
地域の人たちの胸におさまった事件でしたが、
今であれば、格好の週刊誌ネタになるような、
出来事でした。

校長先生が全校生徒の前で、
涙ながらに謝罪をされたのを、
しっかりと覚えています。

その校長先生も数年前には他界されました。

私がレコード欲しさに始めたローカル新聞の配達先に、
校長先生の家もあり、
集金もしていたので、
学校以外でも顔を合わせる機会が多かったです。

今にして思えば、
この色紙の文字が、
私が宗教や哲学や精神世界のジャンルに傾倒するようになった、
始まりであったかも知れません。

己の人生の背景にも、
EL&Pのアルバムからの一文字が横たわっていますね。

母がこの色紙を額に入れてくれたおかげで、
今でも我が家に飾られています。

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2012年6月6日 yaplog!
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