EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

ジョン・メイオールファンクラブ会報 BLOW-UP No.11 & No.12

2024-06-21 16:19:09 | EL&Pのメンバーがメジャーになり始めた前後の周辺資料
ジョン・メイオールファンクラブ会報 
BLOW-UP No.11 & No.12

久々のジョン・メイオールファンクラブ会報になりますが、
確か、これで最後か、もう一つぐらいで、最後になるかと思います。

「BLOW-UP No.11」ですが、
装丁は、「BLOW-UP No.10」を踏襲していますが、
EL&P関連の情報は見つかりませんでした。



No.11の表紙

続く「BLOW-UP No.12」ですが、
装丁は「BLOW-UP No.9」のタイプに戻っており、
会報というよりペーパーを重ねた感じですね。



No.12の表紙
B4サイズ片面ガリ版印刷4枚

これは入れ込む内容が多い時は、
冊子のような仕様にして、
少ない時はペーパーを重ねた仕様にしていたのかも知れません。

「BLOW-UP No.12」の方は、
EL&P関連の情報が少し書かれておりましたので、
抜き書きしてみます。

新譜紹介のコーナーですね。

  • In The Court Of Crimson King――――King Crimson――――英Island ILPS9111
イギリスの6人グループのファーストアルバム。もっともこのグループは2枚目を出して解散してしまいましたけれど、全部がメンバーの手によるオリジナルでホーンのはいったクリムゾン流の音楽をきかせてくれます。解散したあとグループのメンバーのグレッグ・レイクはキース・エマーソンといっしょに演奏を行っているそうです。とってもいいレコードだと思います。

* Five Bridges――――The Nice――――米 Mercury SR-61295
ナイスの最後のアルバムでクラシックのオーケストラと共演した実況録音盤です。たいへんクラシックの色彩が強くてバックのオーケストラの影にすっかりナイスの魅力が隠されてしまいさびしい感じがしました。メンバーが自分達のために作ったようなレコードです。

ここに記載された事から判断すると、ナイスは解散して、キースとグレッグが一緒に演奏をした事までは情報が入っていたようです。

ただ、1頁目にジミ・ヘンドリックスの他界のニュースが記されているので、
ワイト島のフェスティバルでEL&Pとして演奏したという情報までは入っていなかったのかも知れません。

このジョン・メイオールファンクラブの会報は、
続きの号があれば入手してレポートをしてみたかったのですが、
ちょうど、EL&Pが始まった時点ぐらいで、
その後の会報が出品されていなかったわけです。

出品者がファンクラブを辞めたのかも知れませんね。

以上。

EL&Pを愛し続けてまいりましょう。

ジョン・メイオールファンクラブ会報 BLOW-UP No.9 & No.10

2022-12-20 13:38:16 | EL&Pのメンバーがメジャーになり始めた前後の周辺資料
ジョン・メイオールファンクラブ会報 
BLOW-UP No.9 & No.10

前にも書きましたが、ジョン・メイオールの日本公演のコンサートパンフを取り上げた記事へのアクセスが時々あります。

覗かれた方は期待している情報が全く得られなかったと思うわけです。

EL&Pの結成以前から始まっている、
ジョン・メイオールファンクラブの会報に、
ナイスの情報やコンサートレポートの翻訳も掲載されておりまして、
これまでも幾つか取り上げてきました。

私みたいに1977年からプログレを主軸に洋楽を聴いていた世代の方等には、
ジョン・メイオールの事を知らない方もいるかと思いまして、
手始めに、安く入手できた日本公演のコンサートパンフを取り上げたわけですが、
時々、アクセスしてくださる方々は、
ファンクラブの会報までは覗いてくれていないようです。

本日、取り上げた、「BLOW-UP No.9」には、
EL&P関連の情報は一つも記されていないのですが、
「BLOW-UP No.9」から「BLOW-UP No.10」にかけて、
会報の仕様の変更が為されています。

「BLOW-UP No.9」は、「BLOW-UP No.8」の仕様に準じており、
両面オフセット印刷のペーパー数枚を、
ホチキスで上部と綴じた仕様になっています。



BLOW-UP No.9の表紙の頁

「BLOW-UP No.10」は、
やや手が込んでいるつくりなのですが、
ファンクラブの予算が少なくなっていたのか、
ガリ版刷りになっています。

ガリ版刷りだと用紙によってはインクが染みこむ事もあり、
両面印刷にすると裏側の文字が透けて見えたりして、
あまりきれいとは言えない仕上がりになる事もあるので、
B4の用紙に印刷して真ん中から2つ折りにして綴じています。

前号を比べて印刷の質が落ちたのをカバーするためか、
色画用紙を表紙に用いています。



表紙のサイズはA4
それにB4を2つ折りにして
全10頁で綴じてあります

見方によっては、「No.9」の仕様よりも、
豪華かも知れませんね。



裏表紙

「No.10」には、ビート・インストゥラメンタル誌に掲載された、
1969~70年度のイギリスの人気投票の結果というのが記載されています。
読者層とか認知度とかは全く解りません。

ジョン・メイオールファンクラブで、
この人気投票の結果を載せたのは、
9部門の中の幾つかのランキングに、
ジョン・メイオールが顔を出しているからですね。

EL&P関連のメンバーはどうかというと、
キース、ザ・ナイス、ナイスのメンバー、カールが、
ランキングに名を連ねていました。

BASS GUITARIST

1.ジャック・ブルース
2.レオ・ライオンズ
3.ジョン・マクヴィー
4.ジョン・ポール・ジョーンズ
5.ジョン・アントウィッスル
6.グレン・コーニック
7.トニー・リーヴス
8.リー・ジャクソン
9.ポール・マッカートニー
10.リック・グレッチ

KEYBOARD PLAYER

1.キース・エマーソン
2.スティーヴィー・ウィンウッド
3.デイヴ・グリーンスレイド
4.リック・ライト
5.ニッキー・ホプキンス
6.ジョン・メイオール
7.ブライアン・オーガー
8.ヴィンセント・クレイン
9.グラハム・ボンド
10.アル・クーパー

DRUMER

1.ジンジャー・ベイカー
2.ジョン・ハイズマン
3.キース・ムーン
4.バディ・リッチ
5.ブリンキー・デヴィソン
6.ピート・ヨーク
7.ニック・メイソン
8.カール・パーマー
9.ミッチ・ミッチェル
10.ロッブ・タウンセンド

RECORDING VOCALIST

1.ロバート・プラント
2.ジャック・ブルース
3.ジョン・メイオール
4.ジョー・コッカー
5.ロッド・スチュワート
6.トム・ジョーンズ
7. スティーヴィー・ウィンウッド
8.ジャッキ・マクシー
9.ポール・マッカートニー
10.ロジャー・チャップマン

BEST BRITISH GROUP

1.ザ・フー
2.ジェスロ・タル
3.レッド・ゼッペリン
4.ピンク・フロイド
5.ザ・ナイス
6.テン・イヤーズ・アフター
7.ファミリー
8.フリートウッド・マック
9.ムディー・ブルース
10.テイスト

BEST GROUP ON STAGE

1.レッド・ツェッペリン
2.ビートルズ
3.ジェスロ・タル
4.コロシアム
5.ピンク・フロイド
6.ザ・ナイス
7.ムディー・ブルース
8.ジョン・メイオール・バンド
9.フリートウッド・マック
10.ザ・フー

他には、

LEAD GUITARIST

BRASS&WOODWINDPLAYER
(2位にイアン・アンダーソンがいるのはともかくとして、
9位にイアン・マクドナルドの名前が登場しています。)

SONGWRITER / SONGWRITING TEAM

の部門が、ありますが、
EL&P関連のメンバーはいないので、
省略。

本号には、これ以外のEL&P関連情報は、
記載されていませんでした。

以上。

EL&Pを愛しつづけてまいりましょう。

ジョン・メイオール ファンクラブ会報 BLOW-UP No.8

2021-06-08 14:26:47 | EL&Pのメンバーがメジャーになり始めた前後の周辺資料
ジョン・メイオール ファンクラブ会報 
BLOW-UP No.8



表紙にあたるところ

前号に続いて、ペーパーを数枚閉じた仕様になっています。
表裏の印刷で計6頁あります。
前号が計9頁でしたので、
やや情報が不足していたのかも知れません。

その中で、わずかながら、キース関連情報が掲載されていました。

内容は、ロッド・スチュワートのファーストソロアルバムのレポートで、
そこに登場しています。

抜き書きしてみます。

以下

THE ROD STEWART ALBUM

-Mercury SR61237

 作曲したり、ギターを弾いたり、
ロッド・スチュワートの魅力がいっぱいのレコードです。
 でも、ジェフ・ベック・グループの2枚のLPで聞かれるようなタイプの歌は、
歌っていません。
全体として演奏はキーボードが主体となっているようです。
 キーボードのプレイヤーとしては、ナイスのキース・エマーソンが1曲。
(あくまでも脇役としてのプレイで、おまけという感じです。)
マンフレッド・マンのメンバーだったマイケル・ダボが1曲。
(整ったきれいなプレイを聞かせてくれます。)
それからスモール・フェイセスのマックです。

以上、抜き書き終わり。

ロッド・スチュワートのこのファーストソロに関しては、
レコードやCDを当ブログで幾つか取り上げていますが、
当初、全く解らなかった国内アナログ初回盤に関して、
先日、写真ではありますが、ようやく確かめる事ができました。

当時を良く知る方とマニアの方以外は、
ジャケットの表側に関しては、
米国盤のジャケットデザインを踏襲したデザインで、
国内盤のシングルジャケットが制作されたと思っているようです。
ディスク・ユニオンさんでも、
国内初回盤という記載で発売している店舗もあります。

私自身、古い音楽誌を見ていく時に、
レビューのコーナーで、
ロッドのファーストソロアルバムのジャケットを見たのですが、
何かの手違いで、誤ってジャケットの裏側を掲載したのかも知れないと思っていました。

その後、ロッド・スチュワートのリリース物に関して、
記してある国内のサイトに行き着きまして、
国内のアナログ初回盤はデフジャケであるとの記載がありました。

但し、これは、英国盤から見たら、米国盤もデフジャケになるわけなので、
国内盤のジャケットデザインは、
米国盤のジャケットをモチーフにした独自仕様であった事が解りました。

先々月、ヤフオクに、即決価格¥50,000で、
ディスク・ユニオンさんから、この初回盤の出品がありました。

世の中にはレア盤コレクターがどのぐらいの数で存在しているのかは、
全く存じませんが、私が見た時には、ウォッチしている人が、
既に16名存在していました。

落札されたかまでは、追っていないのですが、
画像は保存しておきました。

これは将来的にも私が入手する事はないと思うので、
手にとって確かめてはいないけど、載せてみます。



表側
説明にプロモ盤との記述はありましたが、
初回通常盤も同ジャケットのようです



裏側

米国盤の内ジャケットのキースの写真が、
裏側に配置されたわけです。

この国内アナログ初回盤のジャケットを、
ロッド・スチュワートのCDのなにがしかの企画で、
ミニチュア紙ジャケットで復刻する可能性はとても低いでしょうね。

以上。

EL&Pを愛し続けてまいりましょう。

ジョン・メイオール ファンクラブ会報 BLOW-UP No.7

2020-09-28 11:32:16 | EL&Pのメンバーがメジャーになり始めた前後の周辺資料
ジョン・メイオール ファンクラブ会報 BLOW-UP No.7

ジョン・メイオール ファンクラブの会報は、
昨年の10月に「No.5」を取り上げました。

本日、取り上げるのは「No.7」になります。

「No.6を入手し損ねたのか?」

と思われる方もいるかも知れませんが、
幸いにも入手いたしております。

「No.6」は、
日本に伝えられる当時の洋楽ロックシーンの情報としては、
貴重な内容でしたが、
如何せん、キースの文字もナイスの文字も、
全く記載されておりませんし、
ジョン・メイオールの来日コンサートパンフのように、
あえて関連づける事柄を、
現時点においては見つける事ができませんでしたので、
取り上げるのは保留しました。

それで、
「No.7」ですが、
これまでとは、体裁が変わりまして、
小冊子タイプのモノから、
ペーパーを数枚閉じたモノになりました。

印刷はオフセット印刷ですね。



レポート用紙のように、
上部がホチキス止めされて、
下の方からめくるようになっています。

表裏の印刷で、
計9頁あります。

2頁目の
「LP COLUMN」のコーナーで、
ナイスのニューアルバムが紹介されています。

特にジャケットの絵柄はありません。

抜き書きしてみます。

以下

「 ※NICE-THE Nice- IMMEDIATE IMSP026

耳にひびく音楽は美しく、耳にひびかぬ音楽はことさらに美しい。
 ただこのレコードがあるというだけで、うれしいレコード。
 A面の最初の曲は”Azreal Revisited”、Azrealとは回教での臨終の人の魂を肉体から引き離す天使です。ロシアのピアニストRachmaninoffの作品からの引用があり、呪術的で、死の世界へ引き込まれていくような陶酔感を感じます。
 2曲目は”Hang On To a Dream”、ティム・ハーディンの作品です。キース・エマーソンが静かできれいなピアノを聞かせてくれます。
 3曲目は”Diary of Empty Day”、4曲目は”For Example”、両方ともジャズ(インドジャズ)風のすてきな曲です。
 B面はフィルモア・イーストの実況録音で、”Rond ‘69’ ”とボブディランの”She Belongs to me”が収められています。
 ナイスは音楽のことだけを考えていっしょうけんめい演奏してくれています。(日本盤がでました)」

終わり

この「LP COLUMN」のアルバム紹介では、
ナイスの前にルネッサンスやイエスのアルバムも紹介されていますが、
ナイスほどは詳しく記載されていません。
書き手の好みによるのかも知れませんね。

ただ、ルネッサンスに関しては、元ヤードバーズキース・レルフの絡みもあってか、
最終頁(9頁目)をほぼ全て使用して、「ビート・インストゥメンタル誌」からのキース・レルフの発言も含めた、紹介文が記載されています。

また、

News・news・newsのコーナーでは、

こんなニュースもありました。

「※ 新しいグループキング・クリムスンはデビューアルバム”In the Court of King Crimson”を出しましたが、人の顔を描いたジャケットが、「年間のアルバムの中でもっともおそろしいもの」といわれています。」

様々なバンドの小ネタは、
現時点の著名バンドの評価や有り様からは伺い知る事のできない、
バンドが胎動し始めた頃の洋楽ファンの認識を見る事ができますね。

以上。

EL&Pを愛し続けてまいりましょう。

ジョン・メイオール ファンクラブ会報 BLOW-UP No.5

2019-10-08 16:40:26 | EL&Pのメンバーがメジャーになり始めた前後の周辺資料
ジョン・メイオール ファンクラブ会報 BLOW-UP No.5


画像 表紙 3号から同じデザインが続いています

ちょっと間が空きました。

勤務先での仕事の処理が、
とてつもなく増えてしまった事と、
先週末に、大変、お世話になった70代の方が、
急に倒れられまして、
気もそぞろでした。

2度ほど取り上げたジョン・メイオールファンクラブの会報の3回目になります。

表紙裏を含めて、
全28頁
和文タイプ打ちで、
印刷はガリ版で両面。

印刷の方式もあってか、
写真は1つも登場しません。

18頁から20頁にかけて、
ナイス関連の情報が登場します。

以前にも書きましたが、
他のアーティストのファンクラブの会報において、
キース関連の情報に2頁半も使用されているわけです。
この時代の特徴とも言えますね。

抜き書きしてみます。

☆NICE
ナイスはとてもすてきなグループです。彼らの音楽を聴いていると楽しい気分になってきます。それでいてちゃんと引き締まっているのです。そんな魅力的なグループ ナイスのインタビュー記事が”CIRCUS”誌に載っていたので、早速訳してみることにしました。でも記事前半は良いのですが、後の方になると”GROUPIES”なんていう、意味深長なことについておしゃべりしているので、気品と格調を尊ぶ、わが会報といたしましては後半を省かせていただくことにしました。 あしからず  。

Q: あなたは毎晩 フィルモアでボブ・ディランの”She Belongs To Me”はナイスの出発点のようなものだと言いましたね。

KEITH:  ええ、僕達は最初P.Pアーノルドのバック・バンドとして出発したのです。そして 彼女が出る前に約20分ほど埋めあわせる時間をもちました。そこで僕達はみんなが一緒に演奏したいような種類のものをやることにしました。それが僕達の音楽の正体の起源であり次に何が起こるかの序曲のようなものだったのです。

Q: では、バック・バンドからあなた達は自分達のバンドになっていったのですね。巧みなトリックだ。

KEITH: ええ、P.P.アーノルドは仕事の許可法に従って行動するために、アメリカに戻らなければなりませんでした。そこで僕達は独立して行動しました。それ以来僕達はずっといっしょです。

Q: あなた達は確かに、オルガン、ドラム、ベースを用いて、十分にうまくやっていますが、リード,ギターを加えようといままでに考えたことはないのですか。

KEITH: あなたがなぜ、そのようなことをきくのか僕には理解できません。僕達は、今のやり方にとても満足しています。僕は一種のクラプトンのイミティターを加えてもしょうがないと思います。ほんとうに、そういう人達がたくさんいますからね。

BRIAN: 僕達は、お互いの演奏を補充しあうようになりました。僕達はそれぞれのソロに、それを無視しないで何かを加えてやることができます。そうすることは大変むずかしいことです。ほんとうにめいめいの演奏の中に溶け込んでいかなければなりません。ちょっとした瞬間でも、僕達の間では、それはかなり自由にそしてたやすく伝達されます。しかし、グループの人数が多ければ、多いほど、制限されてしまうものです。

Q: ”America”あるいは”She Belongs To Me”のような曲を行うとき、あなた達の心にはどんなことが浮かびますか。 どのように拡張して それを発展させているのですか。

LEE: 演奏の間じゅう、何が起こっているのかを眺めることを、なんだか1枚の絵を好むようなものです。僕達はこれらのことすべてが起こるのを見ることができます。そしてそれらを試み、表わすのです。たとえば”America”の場合 2つの異なったテーマが浮かびました。1つはアメリカが成長し始めていった方法の1つであるドボルザーク(交響曲”新世界”の作者)のイメージです。とても純粋な、あなたも知っているように 全アメリカ人の夢のような……。それから ギャング そしてすべての激しい、暴力的なテーマを取り上げたバーンスティンの扱い方があります。僕達は2つの相反したテーマに進みます。そして、それをはっきりと対照させるよりもむしろプロデュースするのです。

KEITH: あなたは僕達の作品の他の部分に多くの”Quotes”(引用)を見つけることができます。僕は、よいと思われる”Quotes”を、オルガンのリフ(反復される楽句)に用いることが好きです。僕は学生時代にかなりたくさんのクラシックを覚えていましたよ。 それから僕は多くのジャズを聞き始めました。そして、とうとう約20人の若い男達のやや大きなバンドに参加することになったのです。それはパートの読み方を学ぶのにとてもよい訓練場となりました。楽譜を配ってくれなかったのに僕達はすぐに譜表を読まなければ、ならなかったからです。

Q:あなたはオルガンを弾いている間じゅう、何について考えているのか少し教えてくれませんか。私はあなたが、それにむちを打つのを、ナイフを突き刺すのを、そしてほんとうにそれをステージから押し出してしまったのを見たことがあるのです。

KEITH: 僕は最高潮になり、音楽がそれに合わせてどんどん進んでいったとき、かつてそれを始めたのです。人々は本当に、それを非難しました。特に僕がむちを用い始めた後には。
それから僕は、ナイフや他の刃物を投げることが頭に浮かんだのです。でも それは実際破壊では、ないんじゃないでしょうか。それは激しさの特殊な形のあらわれにすぎません。自己から離れて、それを理解することは すばらしいことです。そうすることは驚くほど、おもしろいですよ。

抜き書き終わり。

ジョン・メイオールのファンクラブは、
ジョン・メイオールのレコードが、
キングレコードからの発売から、
日本グラモフォンからの発売に変更になったため、
11月から日本グラモフォンのお世話になる事になったと会報の冒頭に記されていました。

他の記事としては、
ジョン・メイオールへのインタビューや、
ブラインド・フェイスのアルバムへの感想、
ジャック・ブルースのソロレコードの背景の解説など、
会報が送付されてきた時に、
会員の方々は食い入るように一気に読んだ事でしょう。

EL&Pを愛し続けてまいりましょう。
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


ジョン・メインオール ファンクラブ 会報 BLOW-UP No.4

2019-06-07 13:07:08 | EL&Pのメンバーがメジャーになり始めた前後の周辺資料
ジョン・メインオール ファンクラブ 会報 
BLOW-UP No.4



画像 「No.4」以外は「No.3」と同じ表紙デザイン

平成最後の日に、「BLOW-UP No.3」に掲載されていたナイス関連の記事を載せてみましたが、
本号にも、ナイス関連の記事が2箇所ほど、掲載されていました。

ちなみに会報の仕様は「No.3」と同じですね。
表紙裏を1頁として全20頁。

記事の1つは、ナイスのツアーとサードアルバムに関するものです。

4頁の中頃にNEWS記事は、

* 8月の中旬から6週間に渡る ナイスのアメリカ旅行は11月14日に延期されました。この為彼らはヨーロッパ演奏旅行中です。
  また彼らの新しいシングル盤は9月にイギリスとヨーロッパ大陸で発売されます。3枚目のLP”NICE”(ライブ・アルバム)は既に発売されました。

というものです。

それと、
7頁から10頁にかけて
「☆ NATIONAL JAZZ & BLUES FESTIVAL REPORT 」というのが掲載されています。
8月の8日、9日、10日の3日間にわたって、行われた9回目のフェスティヴァルとの事。
開催場所はサセックス州プラムプトン・レース・コース。
メロディー・メーカー紙に載った記事をまとめて、みなさんにお知らせするという事で、
最終日に行われたナイスの演奏に関して、クリス・ウェルチのレポートの翻訳があります。

これに出演していた主なアーティストですが、

8日は、ピンク・フロイド、ソフト・マシーン、ブラッサム・トォウズ、キース・ティペッツ・バンド
9日は、フー、イエス、ロイ・ハーパー、ザ・ストローブス
10日は、ナイス、ファミリー、

このほかにジャズ系のミュージシャンも幾つか演奏していたようです。

以下抜き書き。

日曜日――クリス・ウェルチ

 日曜日のハイスポットはナイスのオルガニスト、キース・エマーソンとニューヨーク・フィルハーモニックのトップ・コンダクターであるジョセフ・イガー氏です。
 ナイスはロンドン・シンホニー・オーケストラのメンバーを含めた41人の弦楽器及びホーン・プレイヤーといっしょに演奏をしたのです。若者達は礼服を着たヴァイオリニストやセロ弾きの出現に一瞬、戸惑いましたが、すぐに落ち着きました。彼は昼間4時間だけリハーサルを行うことができました。そして彼らが克服しなければならなかった大事な点は、ナイスのオールエレクトリックな音とシンホニーのオール・アコースティクな音とのボリュームのパワーの調整でした。それはイガー氏が一生懸命援助してくれました。彼らはバッハのブランデンブルグ協奏曲、シベリウスのカレリア組曲、そしてリー・ジャクソンが独特なしわがれ声とごきげんなベースを聞かせる シー・ビロングス・トゥ・ミーを演奏しました。

抜き書き終わり。

「BLOW-UP No.3」を取り上げた時に、
ナイス関連の内容から、「少年易老学難成」のリリース後の会報かと思っていたのですが、
どうやら、国内盤の「少年易老学難成」が発売される以前に、
英国からの情報の翻訳を載せていたようですね。

以上。

EL&Pを愛し続けてまいりましょう。

2019年6月7日 yaplog!
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


ジョン・メインオール ファンクラブ 会報 BLOW-UP No.3

2019-04-30 09:11:41 | EL&Pのメンバーがメジャーになり始めた前後の周辺資料
ジョン・メインオール ファンクラブ 会報 
BLOW-UP No.3


ヤフオクには、洋楽アーティストのファンクラブの会報が、出品されていますが、
このジョン・メイオールファンクラブの会報もヤフオクで見つけた品物です。

このブログでは、EL&Pファンクラブの会報を幾つか取り上げていますが、
特に、WORKSリリースより前の会報というのは、
海外からの情報を容易に得る難しさも手伝ってか、
EL&P以外の著名ロックアーティストの情報も掲載されていました。

そんな事から、
EL&P以外のさらに古い洋楽アーティストのファンクラブの会報においても、
同様の事を掲載しているのではないかという事を考えたわけです。

たまたま、
この会報の表紙の写真を、
あなたにお勧めの品物か何かで、
目にする事になりまして、
あまりのデザインのシンプルさから、
1960年代末期から1970年代の初めの頃の薫りがしたので、
札を入れてみたわけです。

この会報ですが、
表紙のデザインはとてもシンプル。
中の文章は手書き文字ではなく、
和文タイプを打ったものになっています。


ホチキスのサビもほとんどない

両面印刷なのですが、
インクがやや滲んだ感じなので、
オフセット印刷でもないと思われます。
表紙を頁数とカウントせず、
表紙裏を1頁とカウントして、
裏表紙にも情報を記載して全19頁。
写真は一つもありません。

頁をめくると、
ジョン・メインオールへのインタビュー記事から、
ジェフ・ベックの関連記事も掲載されており、
他のアーティストを取り上げるという、
予想通りの展開になっていたわけですが、
ザ・ナイスに関する記事も、
半頁ほど掲載されていたわけです。

どうやら、
この「BLOW-UP No.3」は、
ザ・ナイスが解散する前に制作されたもののようです。

ちょうど、
「Ars Longa Vita Brevis」邦題(少年易老学難成)
がリリースされたのが、
日本では、1968年の11月頃なので、
それ以後の制作かも知れません。

このアルバムに関する、
キース・エマーソンと、
リー・ジャクソンのコメントが掲載されていました。

こんな感じです。





この会報はすこぶる状態が良く、
経年によるシミ等もほとんどありませんでした。

以上。

EL&Pを愛し続けてまいりましょう。
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


ジョン・メイオール 来日公演パンフ

2019-03-21 09:48:15 | EL&Pのメンバーがメジャーになり始めた前後の周辺資料
ジョン・メイオール 来日公演パンフ



パンフは全ての頁が白黒


ジョン・メイオールは、EL&Pのメンバーに先んじて、
英国ロックシーンに登場したミュージシャンです。

私は中学1年の後半から、
洋楽ロックを聴くようになり、
1年ぐらいは、ポール・マッカートニーやビートルズのアルバムを集める事に熱中していたわけですが、
クラスメイトは当時、3大バンドと称される事もあった、
クィーン、エアロスミス、KISSの中でも、クィーンとエアロスミスのレコードを購入していたので、
2つのバンドに関しては、クラスメイトから借りて鑑賞していたわけです。
KISSに関しては、従兄弟が、所持していましたが、
私も、1976年の12月に発売された「地獄のロックファイヤー」を購入しました。

1977年の3月に、
EL&Pに興味を惹かれて、
その後、一部のプログレのアルバムを熱心に集め出したので、
プログレ以外のブリティッシュ・ロックやアメリカン・ロックが、
私のロック鑑賞史からは抜け落ちる事になりました。

ツェッペリンやパープルのアルバムは、同級生が所持していた事もあり、
例外的にアルバムを聴く機会があったのでこれは幸いでしたし、
自分で廉価盤を求めたタイトルもあります。

但し、クラプトン参加のクリームの音楽をラジオ以外で聴く機会に恵まれたのは、
高校を卒業してからですね。

そして、ジョン・メイオールまでは、
数年前までは、全くたどり着けずにいたわけです。

ジョン・メイオールは、
今年の2月にアルバムをリリースしたのですが、
おんとし、86歳、創作意欲も衰えておりません。

このアルバムの事前告知では、
ジョン・メイオールのお気に入りのギタリストとも、
共演を果たしているという事だったのですが、
その中に、ラッシュのバンド活動を卒業した、
アレックス・ライフソンの名前もありました。

これは意外でしたね。

ラッシュが創造した音楽を考えると、
ジョン・メイオールの懐の深さを伺わせる共演だと思います。

ジョン・メイオールとEL&Pのメンバーの接点というのは、
特に存在していないと思われますが、
キース自伝翻訳本の55頁で、
このような言い方をしています。

「~略~クローダディ・クラブという、サリーのリッチモンドにあるかなり古いクラブだった。ここから“ブリティッシュ・ブルーズ・シーン”の全てが生まれた。
バンド・リーダーのジョン・メイオールはその創始者で、彼の結成したブルースブレイカーズの“ひな鳥”たちはみなここから巣立って、ブリティッシュ・ロックという内向きなシーンを彼ら自身の手で未来に向けて発展させようとしていた。」

キースの目に映っていたジョン・メイオールは、
現時点において、爆発的な売れ方をしていないにせよ、
ブリティッシュ・ロックの音楽のルーツにいるミュージシャンの1人なわけです。


パンフの内容の一部
系統図


ジョン・メイオールに関連した物品で、
EL&P図書室2号で取り上げたい数点が、
ご縁があって数年前に我が家に辿り着きました。

その前に、ジョン・メイオールに関して、
少しだけ触れておく必要があると思い、
ロック・ミュージシャンの来日史にその名を刻んだ、
ジョン・メイオールのコンサートパンフを、
取り上げた次第です。


70年10月25日公演のチケットも貼付添付

来日時は、ML誌の表紙にもなっていますね。

以上。

EL&Pを愛し続けてまいりましょう。
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


EL&P掲載なし 平凡パンチ 1970年10:5号

2017-04-10 13:23:23 | EL&Pのメンバーがメジャーになり始めた前後の周辺資料
EL&P掲載なし 平凡パンチ 1970年10:5号



この平凡パンチには、
ワイト島のフェスティバルの特集が組まれており、
カラーで、
全10頁の特集となっています。


扉の頁
下部はカットしております


とは言っても、
雑誌の性格上、
登場したミュージシャンに関する写真等は全くありません。

このコンサートを見るために、
ワイト島にやってきた人たちの中で、
オールヌードになる男女が次々と登場したという文化的な側面を、
写真として取り上げる事が目的の一つのようです。

とは言え、
オールヌードの写真を羅列するというものではなく、
そのようなことが生じてしまう背景の考察を含めて、
オーディエンスの側の会場の状況等、
様々なスナップ写真も掲載されています。

記事の書き手の方は、

このワイト島のフェスティバルによって、

「ロックコンサートにヌードはつきものという事になっていくだろう」

というこの時点における予測を述べていますね。


最後の頁

この時のフェスティバルの主催者は、

様々な難題を抱えながら、
最終的には観客側との競り合いから、
採算の取れない発言を、
自ら言い放ち、
イベント終了後も、

「もうやらない」

と発言していたようですが、

島の住民達の方も

「こんな催しは二度とやらせない」

と国会議員に申し入れたとの記載があります。

この時から、
30年以上経た2002年、
規模の方はわかりませんが、
イベント自体は復活しまして、
現在も続いているようです。

5日間で65万人動員したという、
この70年のワイト島のフェスティバルで、
EL&Pのファーストパフォーマンスがあったわけですが、
このイベントが、
日本の男性向け週刊誌でも、
趣旨はともかくとして、
触れられていた痕跡ですね。

以上。

EL&Pを愛し続けてまいりましょう。
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


この写真集にキースの姿はみえない

2012-07-18 08:18:46 | EL&Pのメンバーがメジャーになり始めた前後の周辺資料
60's(シックスティーズ) 伝説のロック・アーティスト
リンダ・マッカートニー写真集
1992年出版



画像 輸入版の表紙、国内版の表紙とは異なるようです。
大きさはLPよりやや小さいだけなので、
アナログLP盤収納箇所が置き場にふさわしいかも。


この写真集はリンダ・マッカートニーの没後に販売されたものですね。
ウィキによると出版年は、1992年になっておりますので、
日本国内向けの写真集は1993年の11月に発刊されたという事なのでしょう。

前々から気になっていた写真集でしたが、
中古のものでも、数千円はしています。
今回、たまたま海外で出版された方の写真集を千円台で入手できたわけです。

気になっていた理由としては、
書籍の説明やレビューには登場しない
キース・エマーソンの姿がそこにあるのかという一点でした。

写真を写したと思われる60年代後半という時期、
それと被写体になったミュージシャン達を見ていると、
その近辺にキース・エマーソンは間違いなく存在していると思えたからですね。

大きく取り上げていなくても、
隅の方にでも、ちょっと載っているかなあと、甘い期待を抱きました。

頁をめくりながら、キースの姿がないかを追っていくわけですが、
とうとう登場しませんでしたね。

ウイングスのアルバムの収録曲に参加したりして、
ポールと親交があるデイヴ・ギルモアの姿も、
この写真集に見あたらない事を考えると、
90年代には人気も影も薄れてきたキース・エマーソンを意図的に排除したわけではないと思われます。

ザ・ナイスがパット・アーノルドから独立したのが、1967年、
シングル「アメリカ」が全米チャート29位まで上昇したのが、1968年、
リンダがポールと結婚したのは、1969年ですから、
リンダが写真家として現役の時に、キースが被写体として追いかけるべきロック・アーティストであったかは、やや微妙な感じはあります。

とはいえ、
トット・ラングレンの若い時の写真も掲載されているので、
70年代に著名になる前からその瞳に才気を感じて撮影する機会があったのかも知れません。
(なかなかカワイイのよ。この写真が。)

トラフィックは1967年デビュー時にヒットを飛ばしたらしいですし、デイヴ・メイスンがウイングスの「あの娘におせっかい」でギターを弾いている事もありますから、
その関連で掲載された可能性もあると思います。
1967年の時点である程度メジャーなミュージシャンであれば、
リンダが撮影していた可能性はありますね。ザ・ナイスはやや微妙なところだったのかも知れません。


掲載ミュージシャン

ポール・マッカートニー、
ローリング・ストーンズ、
ドアーズ、
ザ・フー、
クリーム、
サイモン&ガーファンクル、
B・B・キング、
バッファロー・スプリングフィールド、
トッド・ラングレン、
アニマルズ、
ヤング・ラスカルズ、
ママス&パパス、
ジャクソン・ブラウン、
ブルー・チアー、
バーズ、
ジミ・ヘンドリックス、
ボブ・ディラン、
フランク・ザッパ、
ヤードバーズ、
ブルームフィールド/クイックシルヴァー、
オーティス・レディング、
ティム・バックリー、
アーロ・ガスリー、
ジュディ・コリンズ、
ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー(ジャニス・ジョプリン)、
カントリー・ジョー&フィッシュ、
アソシエイション、
ヤングブラッズ、
ニコ、
ビーチ・ボーイズ、
レイ・チャールズ、
グレイトフル・デッド、
ジェファーソン・エアプレイン、
アレサ・フランクリン、
デヴィッド・クロスビー、
タイニー・ティム、
キンクス、
トラフィック、
ホリーズ、
ミッキー・モスト、
ビートルズ、
クロスビー・スティルス&ナッシュ、
マイケル・J・ポラード、
ツイギー

私が名前すらも知らないミュージシャンも登場しています。

また、近年、若い頃のマイケル・ジャクソンも写っている新たなリンダの写真集が出版されたとの事。

できれば、こちらの方も確認してみたいところです。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーが関係している品物のあれこれを思い出や独自の感想と共に綴っています。
マニアを満足させる内容にはなっておりませんが、EL&Pファンのちょっとした楽しみになれば幸いです。
クイック応援よろしくネ。

2012年7月18日 yaplog!

にほんブログ村