EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

ジョン・ウェットン ファンによるミニコミ誌

2019-07-20 09:21:08 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ジョン・ウェットン ファンによるミニコミ誌



画像 表紙

昨年、中古で出品されていたのを入手したものです。

昭和59年6月に発刊。

印刷は両面の白黒オフセット印刷で、
きちんと製本がされています。
全126頁と、ファンによるミニコミ誌としては、
かなり厚い方に入るのではないかと思います。

日本語で書かれている記事は、
手書きで、
英字はタイプを打ったモノだと思われます。

編集者と協力者の名前を見ると、
83年頃に、
お話をした事がある方も、
いらっしゃいました。

主な内容は、

1.ジョン・ウェットン参加アルバムの全データ。
ジャケット写真入りで、
収録曲も全て記載されています。

2.ジョン・ウェットンの語録。
出所が不明なものもありますが、
海外の音楽誌に掲載されていたものを訳したものが、
ほとんどではないかと思われます。

3.ジョン・ウェットンの写真類
様々な雑誌から姿を切り取ったと思われるものも含めて、
後半にかなりの頁数が割かれています。

ジョン・ウェットンの語録となると、
エイジアにまつわるメンバーの話題等も、
含まれているので、
当然、カールに関しても触れられているところもありますが、

興味深かったのは、
グレッグに関する事が書かれている箇所でした。

77年の6月に、
ウェットンが語った、グレッグとの6ヶ月ほど前の出来事というのがあります。
EL&Pとしては、
ほぼ、ELP四部作の制作が完了していた頃かも知れないですね。

次のような事が記載されていました。

グレッグがスイスに転居する前に、
ウェットンはグレッグの家を訪ねて、
2人で飲んで酔っぱらってしまったそうです。
夜中の3時に涼みに出たりしてとても楽しかったとの事。

グレッグの家のそばに、
キツネが出てニワトリがしょっちゅうやられるというので、
キツネを撃ちに出かけたとの事。
真っ暗だし、ひどく寒くてまいったそうです。

「キツネをつかまえたか」と、
質問者に尋ねられたようですが、
ウェットンは、
「まさか!2人ともヘベレケに酔っているのに!(笑)」
と答えたようです。

短い記事ですが、グレッグとの交流を垣間見る事の出来るものでした。

このインタビュー記事は、
グレッグがスイスに引っ越してからの収録であれば、
77年の6月のものではないと思われますが、
思い出話自体は真実でしょう。

以前も述べましたが、
私は、手作り感溢れるミニコミ誌はとても好きなので、
プログレ系のミニコミという事で、
入手してみたわけです。

その中で、
わずかではありますが、
グレッグとのエピソードが登場したのは、
嬉しい事でした。

以上。

EL&Pを愛し続けてまいりましょう。

2019年7月20日 yaplog!
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


ファンクラブにおいて、1枚70円で写真が発売されていたようです

2014-02-13 12:59:56 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ファンクラブにおいて、
1枚70円で写真が、
発売されていたようです


ファンクラブの会報の中に、1枚もののペーパーが入っていました。


クイックすると大きくなるかも

ここにある写真のほとんどは、
書籍「衝撃のロックトリオ伝 エマーソン・レイク&パーマー」
に使用されているようです。

大キャビネ判で1枚70円との事。

リストの写真をすべて注文すると、840円になりますね。

中学生や高校生のお小遣いは、
昔から地域格差と家庭格差もあるようですが、
普通に働いていて、
そのお金をすべて自分で使う事が許されている人であれば、
コンプリートできたであろう金額だとは思います。

私が入会してからのファンクラブにおいては、
このような販売企画はやっていませんでした。

カールが空手のために来日した時には、
その時に撮影した写真が、たくさん会報に掲載されていたのですが、
(この時の会報が見つからないのですが)
その写真を焼き増しして、
会員から希望を募るという手間暇は、
その時のスタッフにはなかったようですね。

洋楽への目覚めがもう少し早くて、
ファンクラブに早く入会していれば、
入手する事ができたとは思います。

現時点で、私の手元には、
メンバーの生写真というと、
1983年にエイジアの武道館公演の外で買った、
非正規品のグレッグの写真しかありません。
お写真ブートです。

「コンサート会場の前で、売っているのだから、悪い品物ではないのだな。」

と素直に思って購入しました。

しかし、実際には、非正規品をずうずうしく勝手販売をしているわけです。

今では、好きなミュージシャンの写真は、
個人的にネットからドンドン拾ってくる事ができるので、
生写真をコンサート会場の前で販売する人達もいないのかも知れませんが、
80年代前半にはそのような風景がありました。

21世紀になってからも、
2005年のキース・エマーソンバンドの厚生年金会館からの帰りの歩道でも、
プレイヤー誌からスキャンした画像をプリントアウトして販売しているのを見かけましたね。
立ち止まって見ている人はいませんでしたけど。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーにまつわる品物、
あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
世代を越えたEL&Pファンのちょっとしたお楽しみになれば幸いです。
ランキングに登録しています。更新の励みになりますので、
下記のバーナーをポチッとして応援してくださればとてもありがたいです。
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


ファンクラブの会員証はこんな感じのものでした

2014-01-25 14:34:40 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ファンクラブの会員証は
こんな感じのものでした


1981年の3月に上京をしたのですが、
雑誌類はすべて自宅に置いたままでしたね。

一部の書籍だけを親に送付してもらったわけです。

1978年にEL&Pファンクラブに入会してから、送付されてきた会員証というのがありました。

会報の中にはミーティング時に会員証を持参するとか、
会員証がパスになるとか記されている箇所がありました。

しかし、その会員証を作ったファンクラブ自体は、
上京時の一年ほど前ぐらいに解散してしまいましたので、
ファンクラブ企画のビデオ上映会もミーティングもありえなかったわけですね。
(※ 幾度か書きましたが、大阪のファンクラブは存在していました)

それで上京時に持参する事もなく、自宅の引き出しの中に、放置したままになったわけです。

会員証はこんな感じです。


画像 うっすらとした記憶を頼りに描いたモノ

黒色の台紙は光沢がありました。
黄色っぽい文字で描いたところは、金色でした。
書体は、ほぼこんな感じ。

会員番号と氏名は、黒色のダイモテープに打ち込みをして貼っていました。

ダイモテープというのは、テープにアルファベットやカタカナの文字を打ち込むと、
打ち込んだ文字が浮き上がります。
シール式になっているので、はがして目的の箇所にはるわけです。
今はテプラがあるので、ほとんど使用されていないと思います。
(この名称もすっかり忘れていたので調べました。)

会員証の金色の文字の書体がとてもお洒落だと当時は思っていましたが、
今はこうやってパソコンでサクサクと再現できますから、
便利と言えば便利な時代。
書体に対する有り難みが薄れる感じも少しはあるか。

この会員証は、おそらく貴重な音楽雑誌類や、丁寧にアルバム保存をしていたカルビーの仮面ライダーカード等と一緒に父に廃棄されたと思われます。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーにまつわる品物、
あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
世代を越えたEL&Pファンのちょっとしたお楽しみになれば幸いです。
ランキングに登録しています。更新の励みになりますので、
下記のバーナーをポチッとして応援してくださればとてもありがたいです。

2014年1月28日 yaplog!
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


ファンクラブ会報 PROGRESSIVE Vol.9

2013-12-18 14:18:18 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ファンクラブ会報 
PROGRESSIVE Vol.9



画像① 表紙 銀色


画像② 裏表紙 
見やすいように横にしました


表紙を含めて、全22頁のオフセット印刷の会報です。
漢字の後に英字が出てくる時の隙間等から見るに、
和文タイプを使用しているのかも知れません。

内容を見ると、会報の制作時期は、「レディーズ&ジェントルメン」をリリースした後ですね。

会報の中に白黒の写真が何点か登場しますが、
いずれも、「衝撃のロックトリオ伝」に使用されているものが、ほとんどです。
つまり、会報に掲載された写真の方が、先行しているわけですね。

当時、ファンクラブに入っていた人達は、これらの写真を楽しげに眺めていたのだと思われます。


INDEXは、

前書き
Carl Palmer Talks About The Recent Movement
ELP News
Rock will back to its roots (by Chris Welch)
訳詞コーナー
スタッフ紹介
クイズ・コーナー
告知版
編集後記

という順番です。

カールのインタビューで興味深いのは、ソロアルバムを制作するにあたって、
曲を作った事を言っています。
「バンドの外で作曲をするといい曲が書ける事を発見した。」と述べています。
作品第二番に収録されている、バックドアと演奏している曲の事を指しているのかどうかまでは解りません。

それと、レディーズ&ジェントルメンに関しては、ほぼ、コンサートの流れをレコード上で体験できるようにしているが、悪の教典#9の後で、アンコールとして「展覧会の絵」が演奏されているような事も言っています。

私は当時の海賊盤等を収集しているわけではないので、よくは解りませんが、カールの言っている通りであれば、その流れになっていると思われます。

ELPニュースのコーナーにおいて、ある海賊盤の中に、「BRAIN SALAD SURGERY」という曲が入っている事が知らされており、なぜ、本編「レディーズ&ジェントルメン」に収録されなかったかは、よくわかりませんと記してあります。
日本国内においては、ファンクラブのスタッフの位置にいる人達にとっても、当時は、未知の曲だった事が解ります。

また、ELPニュースとは言っても、他のバンドのニュースが、その大半を占めていますね。
クリムゾンのレッドがリリースされるとか、イエスのイエスタディズが出るとかのニュースで埋まっています。

グレッグのインタビューではソロ作品をピートとの作業で行っている事などを少し語っています。

訳詞コーナーでは、「聖地エルサレム」と「スティル・ユー・ターン・ミー・オン」が載っています。
ワーナーさんは解説に訳詞をつけなかったので、このような企画は需要があったはずですね。

告知板コーナーは、いわゆる「売ります。買います。」。
主にファンクラブの会報のバックナンバーの購入希望を告知している方がいます。

編集後記ですが、スタッフの好みのグループの中に、クィーンが浸食して来ていることがわかりますね。
フレディが頭から離れないとか、まるで、ELP離れが始まる事の前兆のような記述です。

カールとグレッグのインタビューからは、ソロアルバムを制作中ではあっても、
解散の「カ」の字も見いだせない、グループに対する信頼感を見る事ができますので、
キースだけが、この時点で、ピアノコンチェルトを作曲してソロツアーに出ようという思惑を胸に秘めていたのでしょうね。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーにまつわる品物、
あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
世代を越えたEL&Pファンのちょっとしたお楽しみになれば幸いです。
ランキングに登録しています。更新の励みになりますので、
下記のバーナーをポチッとして応援してくださればとてもありがたいです。

2013年12月18日 yaplog!
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


ミュージックライフ 1974年4月号 その2

2013-07-12 13:08:56 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ミュージックライフ 1974年4月号
その2


帰宅してから昨日のブログに取りあげたミュージックライフをじっくりと眺めていたのですが、
EL&P関連の見落としが幾つかあったのに気がつきました。

後半の方に1頁の白黒グラビアが掲載されていたのと、
英国のニューミュージカルエキスプレス誌でのランキングの発表。

それはこのブログでも何度か取りあげている、
当時のバンドの勢いの象徴そのものといえるわけですが、
私としては、次の告知がとても興味を惹きました。

ペンフレンドの募集等のコーナーがあるのですが、

その中に、

「●EL&P・F・Cスタッフ募集!
F・Cの会員の方で、是非F・Cの仕事をやってみたいという人を募集します
日時:3月26日(火)P.M.5:00~
場所:W・パイオニア社 4階会議室
 会員証を持参の上、お集まりください。」

なんと、雑誌という媒体を使って、ワーナーさんでは、EL&Pファンクラブのスタッフを募っていたわけですね。

このわずかな記事から解る事は、

1.この時点で、EL&Pファンクラブは既に存在しており、会員証なるものが存在しているという事。

2.表向きは、ワーナーさんが陣頭指揮をとって、EL&Pファンクラブのスタッフを募集しているという事。

3.何らかの原因で、それまでのスタッフに欠員が生じたか、あるいは、この時点までは、ワーナーさんのEL&P担当者がファンクラブのスタッフを兼任していた。

等ですね。

この募集に対して、一体どれだけの人数が集まったのでしょうね。

希望者が多い場合は、希望してもスタッフにはなる事ができないでしょうから、
ボランティアスタッフといえども、「狭き門」という感じになりますね。
その場合、英訳ができるかどうかの選考基準もあったのかも知れません。

いずれにせよ、スタッフになった方々は、まさに、ワーナーパイオニア公認のEL&Pスタッフである事には違いないわけで、
来日時のスケジュール情報等も、当然、入手できる立場にはあったと思います。

私がEL&Pファンクラブに入会した時は、
空手関連の事で単身来日したカール・パーマーへのインタビューが会報の特集で組まれていましたし、
スタッフならではの苦労もさぞかしあるのだろうと思っていました。

しかし、ワーナーさんがスタッフの募集をしていたとなると、名ばかりの「公認」ではないようなので、インタビューのアポ等は容易に取りやすかったのかも知れません。

但し、EL&P・F・Cとワーナーさんとの関係は、1979年の頃は、かなり薄れているような感じにも会報から見受けられましたので、
ミュージシャンの人気の衰退そのものが、レコード会社とファンクラブの濃密な関係も、
徐々に薄めていく事につながったとも考えられます。

それから、EL&P・F・Cの会員証、私も入会時に頂戴しました。

どこへ行ってしまったのか?

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーにまつわる品物、
あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
世代を越えたEL&Pファンのちょっとしたお楽しみになれば幸いです。
ランキングに登録しています。更新の励みになりますので、
下記のバーナーをクイック応援してくださればとてもありがたいです。

2013年7月12日 yaplog!

にほんブログ村


ファンクラブ会報 Progressive vol.8 昭和49年7月15日発行

2013-04-08 18:52:47 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ファンクラブ会報 
Progressive vol.8 
昭和49年7月15日発行


B5判サイズ
表紙を含めて26頁


画像①
表紙


私が入会する以前のファンクラブの会報の一つですね。

会報のタイトルは、「Progressive」と称されていたようです。

以前、紫色の表紙の会報を取り上げた時にも書きましたが、
この時期のファンクラブの会報の特徴の一つとして、
和文タイプないしは活字を用いたオフセット印刷である事があげられます。

ファンクラブの会報としてそれは珍しい事ではないのでしょうが、
私が入会時に頂戴した会報が手書きでしたので、
サークルの会報は手書きが普通なのだと思い込んでいましたね。

もっとも会報の仕様は、
ファンクラブに加入されている方の人数により、
それによる予算によって決まる事もあると思うので、
私が入会した頃よりは加入者が多かったのかも知れませんね。

盛り込まれている情報量は、
77年以降のファンクラブの会報に比して、
そんなに多いわけではないのですが、
一つ一つの情報を格調高いものにしようとするスタッフの意気込みが感じられますね。

内容は、
クリス・ウェルチによるキースへのインタビューの翻訳。
グレッグへのインタビューの翻訳。
これに大きく誌面を割いていますね。

キースへのインタビューは、
「BRAIN SALAD SURGERY」をリリースする前ぐらいの内容なのですが、
アルバムは完成しているが、タイトル等がまだ決まっていない頃のものですね。
引っ越し先の近所にロジャー・ダルトリーがいて、彼はとてもいいやつだとか、
そんな内容もあります。
会報が出た時には「BRAIN SALAD SURGERY」は既にリリース済みなので、
少し前のインタビューを訳して掲載したのでしょう。

グレッグへのインタビューは、Jamemes Johnsonによるものです。
「BRAIN SALAD SURGERY」リリース直後のインタビューなのですが、
その内容は「衝撃のロックトリオ伝」に記載されているのと同じですね。

面白いところでは、
ファンクラブ・オリジナルグッズの通信販売があります。
マンティコアスカーフとマンティコアハンカチ。
希望の色が選べるようになっています。
会報もこの部分だけカラー刷り。
とても親切です。


画像②
丸ごとカラー刷りの印刷物より、
面白みがありますね


今日のように、オリジナルグッツを個人がPCでホイホイと作れるわけでもなく、
アーティストのグッズそのものも多くはなかった時代でしょうから、
ファンクラブに籍を置いている事の有り難みが増すような企画ですね。

ニュース欄には、
多くのグレッグファンをガッカリさせる「グレッグ結婚」の話や、
イエスをリックが脱退した話など、英国系の他のミュージシャンの事にも少しだけ触れていますね。
それと、
EL&Pのニューアルバムがライヴ3枚組になると決定した事が、ファンにとって最大のニュースだったかも知れません。

EL&P最盛期真っ只中の頃の会報です。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーにまつわる品物、
あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
世代を越えたEL&Pファンのちょっとしたお楽しみになれば幸いです。
ランキングに登録しています。
更新の励みになりますので、クイック応援してくだされば幸いです。

2013年4月8日 yaplog!

にほんブログ村


ファンクラブ会報 KARN EVIL#9 VOL.6

2012-12-07 14:43:34 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ファンクラブ会報 KARN EVIL#9 VOL.6


画像① 表紙

ファンクラブ関連のカテゴリーで、
前回ご紹介したファンクラブの会報の続きの号になります。

内容は前号に引き続き、
エイジア来日時のプライベートレポートがメインですね。

執筆者の筆がこなれてきており、
読み物として、とても面白い仕上がりになっています。

ただ、メインスタッフの1人に心境の変化がありまして、
その頃、来日をしていたアラン・ホールズワースのコンサートを見た事で、
アランにぞっこん状態。
「グレッグへの想いは一体どこへ」のような文章の展開が、アチコチに散見されます。

結局、
カシオペアの最新アルバムをグレッグにプレゼントに向かうわけですが、
グレッグは極度の酩酊状態にあり、
せっかくのプレゼントを渡しても、紳士的な応対をしてくれなかった事が綴られています。
そんな事も重なって、気持ちはアラン・ホールズワースに益々傾いていくという感じですね。

エイジア来日時、カールは、あまりグレッグと親しくしていなかったようですね。

ウェットンの代打を務めてくれとグレッグに直接電話をしたのは、カールであるとグレッグはインタビューで語っていますが、
いざ、グレッグが代打として参加をすると、

カールとしては、

「ここはエイジアだし、エイジアでの先輩はオレだ。
俺たちは一世を風靡した昔の仲間ではあっても、
他のメンバーの手前、ちょっと距離を置きたいね!」

のような感じでいたのかも知れないですね。

ただ、グレッグとしてはそれが寂しくもあって、アルコールの量が自然と多くなってしまっていたかも知れません。

「カール、人をわざわざ、呼んでおいて、その冷たい態度っていったい!」

(グレッグの繊細な心中を推し量って、良く解釈した場合ですけどね。)

例えば、この記事。


画像②

当初、グレッグは代打とは言われて無くて、
パーマネントメンバーになったのであるという情報で来日しました。
当時のパンプレットを見てもそのような解釈が為されています。

なので、

「えっ!もう辞めちゃったの!」

みたいな感じで、
グレッグ参加のエイジアのオリジナルアルバムへの期待が雲散霧消してしまうわけです。

やるせない気持ちをこんな形で表現しているように見えなくもないですね。

グレッグとしては、さすがに自分が制作に参加していないゴールドディスクを受け取っても、
どうしようもないって感じですね。

それでも、笑顔を作っているグレッグはさすがにプロですね。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーに関する品物のあれこれを思い出、感想、記事の一部抜粋、気ままな意見と共に綴っております。
EL&Pファンのちょっとした楽しみになれば幸いです。
ランキングに登録しております。更新の励みになりますので、クイック応援よろしくネ。

2012年12月7日 yaplog!

にほんブログ村


ファンクラブ会報 KARN EVIL#9 VOL.5 1984年3月

2012-08-22 14:21:50 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ファンクラブ会報 KARN EVIL#9 VOL.5


画像 表紙
記事の内容にキースが少ないので、
それなりに気を遣った表紙と思われる。


1984年3月発行
表紙裏の目次1頁から裏表紙の21頁まで。
B4用紙2ツ折り製本。
コピー印刷。

エイジア来日特集号を既に取り上げましたが、
EL&Pファンクラブスタッフが、
グレッグ、カールにアタックした時の奮戦レポートが掲載されています。
エイジアファンクラブとの合同取材だったようですね。

その中にはスタッフの実名が頻繁に出てくるので、
スキャンして加工するとちょっと手間暇がかかるので、割愛させてください。

この号の特徴としては、
グレッグ、カール、ジェフ・ダウンズの生の声をつぶさに拾ったネタを、
ふんだんに取り込んで編集しているところですね。

音楽誌には掲載される事のない皮膚感覚的な記事が魅力になっています。

5頁より
「GREGはいなかへ行きたいとしきりに言っていたが、
合歓の郷も充分いなかだから安心しなさいといってやる。
(torioden注:合歓の郷でリハーサルを行っている。)
もし時間があったら、京都より奈良へ行くべきだとアドバイスすると、
「奈良はどこにあるの?」
地図がないから説明できないよと言うと、
なぜかGEOFFが日本地図を持っていた。彼は色々持っている人だ…。
GREGは、日本のバンドでは、カシオペアが大のお気に入り、コンサートみたいみたいとしつこく言っていた。」

20頁より
『1983年11月15日 AT HOTEL LOBBY GEOFF DOWNES SAID
「ELPのSTAGEは見た事がないけど、THE NICEは見たことがあるよ!」』

さらにはコンサート会場で拾ったこんな言葉も、20頁

「83 12/6 AT BUDOKANの外

見知らぬ少女「ねぇ、JOHN、かっこ良かったでしょ?」
その友人「うん。すてきだったね。 」

いやはや、EL&Pファンとしては、喜んで良いのか悪いのか。(笑)

当時のエイジア人気を支えていたのは、
見知らぬ少女のような人達だったのかも知れませんね。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーに関する品物のあれこれを思い出、感想、記事の一部抜粋、気ままな意見と共に綴っております。
EL&Pファンのちょっとした楽しみになれば幸いです。
クイック応援よろしくネ。

2012年8月22日 yaplog!

にほんブログ村


EL&Pファンクラブ会報 THE COLLECTED NEWS OF ELP VOLUME 10 その2

2012-07-31 14:50:58 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
EL&Pファンクラブ会報 
THE COLLECTED NEWS OF ELP VOLUME 10
その2
ブライアン・メイ氏にとってのEL&P


先日、ご紹介した会報には、EL&Pファンクラブの関係者が、ブライアン・メイから頂戴したレターの内容が記載されています。

クィーンとEL&Pの両方のファンである方も、70年代当時からいらっしゃると思います。

ただ、この会報は、EL&Pファンクラブの会報なので、特にクィーンに関する記事を扱う必要はないわけです。

但し、EL&Pファンクラブの関係者がブライアン・メイにお手紙で質問した内容が、EL&Pに関した質問であり、
それに対してブライアン・メイが率直に回答をしているので、
あくまでも、「EL&Pに関しての意見」であるという事で取り上げたようです。

これは個人の質問に対する回答という事で、掲載にあたっては、かなり慎重な取扱をしている様子が伺われますが、1975年のものですので、少し抜き書きしてみます。

以下、その内容です。

Q「メロト・ロンやシンセサイザーについてどう思いますか?またELPやリック・ウェイクマンのようにキーボード中心にやっているグループについてどう思いますか?」

A「僕はシンセサイザーがフィーリング(感情)をもってうまく使われるならば好きです。でもこれはとても難しい事です。僕はELPは多少退屈だと感じますが、リック・ウェイクマンは非常に尊敬しています。」


このEL&Pファンクラブのスタッフは、あらゆる状況を想定して、配慮しているようで、
この回答に対するコメント等は特に掲載されていませんね。

次号に、ファンクラブの会員からの意見が掲載された可能性はありますけどね。

しかし、この見解に基づくと、
ブライアン・メイにとって退屈な音楽を、
好んで何度も聞いているEL&Pファンというのは、
かなりの物好きという事になるのでしょうか?

どんな音楽が退屈かは個々人によって異なるでしょうし、
ブライアン・メイにEL&Pの音楽はあまり好きでないと言われるよりは、
良かったというべきかも知れません。

ちなみに私はクィーンの音楽は退屈だとは思っておりませんので。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーに関する品物のあれこれを思い出や感想と共に綴っております。
EL&Pファンのちょっとした楽しみになれば幸いです。
クイック応援よろしくネ。

2012年7月31日 yaplog!

にほんブログ村


EL&Pファンクラブ会報 THE COLLECTED NEWS OF ELP VOLUME Ⅹ 1975年発行

2012-07-30 19:44:49 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
EL&Pファンクラブ会報 
THE COLLECTED NEWS OF ELP VOLUME Ⅹ
1975年発行


本ブログもおかげさまで200回以上になりましたので、
それを記念して、入手がやや難しい品物を今日は紹介したいと思います。

これは、数年前に古書店から購入しました。

見つけた時は、
「このような品物まで販売されているのか!」
という感じでしたが、
ニーズがあると思えば、商品として売れると判断するのでしょうから、
当然、ニーズはあるわけですね。
いくらで購入したかは忘れましたが、¥500~¥1000ぐらいの価格であったと思いますね。
ファンとしてはお得な買い物でした。


画像① 表紙
紫色の用紙を使用しています。
これが、ただの紫の色画用紙ではなくて、
裏は白いのです。
その白い部分に、
あなたの会員ナンバーはいくらで、
会費は何月分まで収められていますと、
記されています。
これはなかなか賢い遣り方だと思いました。
別紙に記したら、紛失するからです。



画像② 裏表紙 キースの半ズボン写真ってあるかな


画像③ 目次


画像④ 内容の一部
ツアースタッフの詳細図ですね。
マンティコアオフィスからの情報によると思われます。


この会報は、活版印刷が為されており、きちんと製本されています。

ちなみに私が入会したのは、これらを製作されたスタッフが、スタッフを辞められてからだと思われます。

この中に記されている情報の一部等が、
衝撃のロックトリオ伝の内容に反映されていますね。

衝撃のロックトリオ伝に、EL&Pファンクラブも協力したような記載がありましたので、
この時期のファンクラブの会報から得た貴重な情報も多いと思います。

マネージャーのスチュワート・ヤングがマネージャーになった経緯も、
本号に記されておりましたので、
ここから引用したのかも知れませんね。

このスタッフによって、少なくとも、10冊は製作された事だけは、解りましたね。

あと、
この中で、ほんの少しではありますが、かなり興味深い内容もありますので、
それはこの次に紹介いたします。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーに関わる品物あれこれを、思い出や感想と共に綴っております。
EL&Pファンのちょっとした楽しみになれば幸いです。
クイック応援よろしくネ。

2012年7月30日 yaplog!

にほんブログ村


ファンクラブ会報 KARN EVIL#9 VOL.7

2012-07-10 19:30:46 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ファンクラブ会報 KARN EVIL#9 VOL.7

1984年の10月に発刊された会報です。

表紙を含めて全12頁。
B4の用紙6枚を二つ折りにしてホッチキスで綴じてあります。


画像① 表紙
このカッコイイ、イラストだけが救い。
顔が無くても絵になる男



画像② 目次 個人名は消してあります


画像③ 目次の次の頁

先般、ご紹介したエイジア初来日記念の特集号は、オフセット印刷でしたが、
いつの頃からか、コピー機によるコピーの会報になったようです。

エイジアからグレッグ・レイクも脱退したという話でしたので、
エイジアが存続するかどうかも定かでない頃であったと思います。

最もスティーヴ・ハウのインタビューとグレッグ・レイクの発言には見解の相違がありますね。
当時のスティーヴ・ハウのインタビューだとグレッグを迎えて新生エイジアがスタートするような事を述べていましたし、
グレッグは後日のインタビューで一時的な代打を務めただけだと言っていましたし、どちらが真相なのかは解りませんが、結果として、アルバム1枚も残さないまま、グレッグはいなくなってしまいました。

幻魔大戦以降のキースの情報も少なかったですね。

EL&Pファンクラブ自体も、まだ社会人になっていない方々が中心になって運営していおりましたので、
遣り方における諸問題を抱えていた事も確かでした。

「この時点で、会報を買ってくださる方が、20人を切ってしまった」と、スタッフが8頁で説明していますが、その原因というのもあります。

10頁に掲載されている、ある会員さんからのメッセージが、
当時のファンクラブの状況を表しているようで、寂しい感じですね。

「Nice、EL&P、Asia などの廃盤、ブートレッグ、シングル盤、ライヴ・テープを譲ります。60円切手でリストを送ります。」
都内某男性より。

「譲ってください」ならともかく、廃盤を売るとまでおっしゃっているのですから、
ファンクラブの会員としては珍しいタイプですよね。

カール・パーマー参加のエイジアの「アストラ」がリリースされるまでは、
もう一年またなくてはならなかったわけですね。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーにまつわる物品のあれこれを、思い出や独自の感想と共に綴っております。
EL&Pファンのちょっとしたお楽しみになれば幸いです。
クイック応援よろしくネ。

2012年7月10日 yaplog!
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


ファンクラブ会報 EMERSON LAKE & PALMER Volume 2 

2012-05-10 17:56:54 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ファンクラブ会報 EMERSON LAKE & PALMER Volume 2 


画像① 表紙


画像② 裏表紙


画像③ 前書きは個人名があったので消しました。目次


画像④ インタビューの頁

1978年に発行。

東京に本部があったエマーソン、レイク&パーマーファンクラブの会報の2冊目です。

目次のページからカウントして、全26頁の分量です。
オール手書き。
モノクロ。

内容は、

○ コンテンポラリーキーボードのキース記事の翻訳。
この記事にはキースへのインタビューも含まれています。

○ 来日時のEL&Pインタビューのテープを起こしたもの。

○ 会員さんからのお便りの紹介
ほとんどボツがなく掲載されていると思います。

○ 質疑応答コーナー
会員さんからファンクラブに寄せられた質問にスタッフが答えています。

○ IFORMAION
いわゆる「売ります。買います。」のコーナーです。
当時の音楽誌と同様、本人名と住所が記載されています。

○ FC NEWS
原稿の募集とかがあります。

○ イラストと写真のコーナー

○ スタッフの紹介

77年頃からEL&Pファンになった私のようなファン達には、すべてが釘付けの内容であったと思いますね。
質疑応答がなかなか面白いので、抜き書きしてみます。

Q 連中(EL&P)が来日した時Keithが、誰かからグルーピー嬢の集まっている場所を聞いてCarlをつれて「よーし、いこう!」とがんばったそうですが、エレノア夫人にみつかって行けなかったとか……。本当ですか。

A Keithは大変な恐妻家らしいです。エレノア夫人とのつきあいはNice以前からというから、相当長いのです。そして、その頃、Keithは生活に困っていてエレノア夫人に大変お世話になり、今でも彼女には頭が上がらないそうです。大阪公演の時、エレノア夫人を帰らせ、Keithはグルーピーを探していたといううわさがありますが、あくまでもうわさなので、よくわかりません。

Q Greg Lakeの女性関係を教えてください。

A あえて言うほどの事がないほど盛んな人です。

あとは、Answerの方は省略しますね。

Q 入手可能なプライベート版を教えてください。

Q ロンドの入っているレコードを教えてください。

Q 音楽専科 1978年3月号にグレッグが昔の職業を必死にかくそうとしているとあったけど、あの人、昔、何をやっていたのですか?
(これがわからないと私はアホにされるのです。みんな、ゲイボーイだったとか、ダンサーだったとかいうんです。)

Q キースに奥さんがいることは有名(当然)でも、子供がいるかいないかについては、いろいろ説がありまして、…どうなのでしょう?
キースの奥さんのお年は?

Q 現在の会員の人数は何人ぐらいですか?また、男女の別ではどのくらいですか?


あと数問ありますが省略します。

本日は以上。

本ブログはEL&Pにまつわる品物等を思い出とともに語っております。
遅れてきた若いファンの楽しみの一助になる事や、ちょっとでも、EL&Pのファンを増やせたらという想いで綴られております。
クイック応援よろしくね。

2012年5月10日 yaplog!
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


Emerson,Lake&Palmer Fan Club 会報 KARN EVIL #9 vol.4 エイジア来日特集 1983年

2012-03-27 13:02:18 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
Emerson,Lake&Palmer Fan Club 会報 
KARN EVIL #9 vol.4 エイジア来日特集 1983年


ファンクラブの会報は何度かご紹介してきましたが、
これは、バンドとしてのEL&Pが活動休止状態に陥って、
東京から大阪にファンクラブの本体が移り、
再度東京に戻ってきた時の、ファンクラブの会報、vol.4という事になります。



画像① 表紙


画像② 目次の頁


画像③ ディスコグラフィー扉の頁


画像④ ディスコグラフィー最終頁


画像⑤ グレッグとカールのサインの頁

1983年は、グレッグ・レイクの「マヌーヴァース」がレコードショップの店頭に並ぶのと同じ頃に、エイジアの「アルファ」も店頭に並び、
タワーレコードでは、「ドント・クライ」をショップ内に頻繁に流していたと思います。

エイジア来日にグレッグが参加するとあって、
EL&Pファンクラブはここで会報の一つもつくらないと、
何をやっているのかも解りゃしないという状況であったと思います。

オール手書きの原稿になるわけですが、
ディスコグラフィーを担当してくれと言われました。

せっせせっせと、
英文字を同じ大きさでマスに埋めていく作業はなかなか根気のいる仕事でした。

グレッグとカールが参加しているアルバムの、
ジャケット写真を用意してくださった方がいたのですが、
「ポセイドンのめざめ」の写真が準備されておらず、
シンコーミュージックのキングクリムゾンの本をコピーして間に合わせました。

また、扉絵になる写真資料もあいにく手元になかったので、
当時の音楽専科の東芝のカラー広告を切り抜いて、(泣!)
適当に仕上げた後がありますね。

この会報が仕上がった後、
グレッグに会報を見てもらったとの事。

グレッグのシングルの中には、
グレッグ本人も知らないものが含まれていたみたいで、
グレッグ本人にこの会報を見せる事ができた時に、
「ジェフリー!こんなシングルが出ていたなんて、ボクも知らなかったよ!」
なんて会話をダウンズとしていたそうです。

こんなエピソードを聞く事ができたのも、
当時の勇猛果敢(?)な女性スタッフのおかげですね。

カールの「ザ・クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」時代のヒットシングル「ファイアー」の国内盤が存在していた事も初めて知る事ができました。

確かに頭の上で火が燃えていますわ。

当時のスタッフはまだ学生で、
ファンクラブの運営に関しても、プロの仕事をしているわけではないので、
いい加減な対応等も多くありましたが、
度胸だけはあったと思います。

本ブログはEL&Pにまつわる私が所持している様々な資料を若い人にお見せして、
その偉大さをよりいっそう認識してもらうための一助として綴られております。
クイック応援よろしくお願いします。

2012年3月27日 yaplog!
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


ファンクラブ会報 The Young Person's Guide To Emerson Lake & Palmer vol.1

2012-03-03 16:55:45 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
ファンクラブ会報 
The Young Person's Guide To Emerson Lake & Palmer vol.1


画像① 表紙


画像② 裏表紙


画像③ ページをめくるとこんな感じ

70年代に存在していた、
ワーナーパイオニア公認の
エマーソン、レイク&パーマーファンクラブが、
情報不足故に解散。

それでも、
大阪のEL&Pファンはファンクラブを続けたいという意志があり、
立ち上げようとされた方の周辺にも、
EL&Pファンがいたらしく、
大阪で「Battlefield」という名称のEL&Pファンクラブが続いていくとの情報が、
一枚の葉書によって告知されました。

ガリ版刷りの輪転機で刷ったと思われるその葉書は、
大阪で継続されるEL&Pファンクラブの「Battlefield」の住所もほぼ不鮮明であり、
果たして、入会申込をしてもきちんと届くのかさえ、
危ぶまれました。

高校生がそんな不安を抱えながら、
手紙を出したわけですが、
ファンクラブの会長の方から返事が来ましたので、
住所は間違っていなかったようです。

その時のEL&Pファンクラブの会報第一号の表紙が、
写真の「白地に黒のタイトル文字」の冊子なわけです。

あまり意識しておりませんでしたが、
どうやら、
よくも悪くも「ELP四部作」ショックは心の中にあるようで、
それを模倣したようなシンプルすぎる会報の表紙になっています。

先般紹介した表紙も、
78年に一番最初に手にした会報の表紙も、
こんな感じでシンプルでしたね。

本会報の特徴としては、
B4サイズの手書き原稿を作って、
それをコピーして、
2つ折りにして、
ホッチキスで止める。

という手順ですね。

それまでのファンクラブの会報は、
オフセット印刷で、
薄くともきちんと製本されていましたが、
ここに来て、
もろに手作り感が出てしまった感じです。

写真も音楽雑誌の写真をコピーしたものだと思われます。

表紙に関しては、
本当はイラストにしたかったらしいですが、
あいにく、
イラストが一枚もなかったとの事。

しかも裏表紙には、
それ以前の解散したファンクラブの会報に、
使用されたイラストがそのまま使用されていました。

実はこのイラスト、
墨の濃淡を何段階かに使い分けた力作なのですが、
オフセット印刷の段階で、
その濃淡の具合が全く反映されずに終わったという悲劇があるのです。

ま、
私が描いた絵なので実情を知っているわけですが。

それから、
墨の濃淡で表現した絵は、
印刷する時にきちんと仕上がらないと受け止め、
描かない事にしました。

会報全体の内容としては、
当時の情報不足が最も反映されている感じです。
コープランドがEL&Pに庶民のファンファーレの演奏収録を許可した時の、コメントも載っています。

「まえがき」を転記します。

「みなさまこんにちは
本当に長らくおまたせいたしました。
東京本部の解散に続いて、
ELP自身の解散など、
私たちにとって、まったく最悪の事態となってしまいました。
私たちスタッフもELPの解散のショックからなんとか立ち直る事ができ、
このようにがんばっております。 以下略-」

その時々のEL&Pファンは、
いろいろなショックを抱えつつも頑張っている様子が見えてくるまえがきです。

EL&Pを素晴らしいと思う人は、
下記のバーナーのクイックを是非、お願いいたしますね。

2012年3月3日 yaplog!
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村


EMERSON LAKE & PALMER ファンクラブ会報KARN EVIL #9 VOL.1 経年劣化

2012-01-28 14:49:09 | ファンクラブ等の資料Emerson,Lake&Palmer
EMERSON LAKE & PALMER ファンクラブ会報
KARN EVIL #9 VOL.1 経年劣化


画像① 会報の表紙 
スキャンしたら2頁のエイジアの写真がちょっと透けたわ



画像②入会のご案内 
何故か会報に挟まっていました。



1980年の末頃に大阪に移ったエマーソン、レイク&パーマーファンクラブ。

1982年の末頃には再度、東京に戻る事になります。

その時に制作された第一号の会報です。
83年の2月に発行。
裏表紙にも頁ナンバーが表記されていて、全18頁になります。

表紙がシンプルですが、
この文字は確か、販売されていたアルファベット文字の転写シールを用いて、作ったのであると思います。

「♯」「9」数字の「1」が手書きですね。

内容はすべて手書き。
ミニコミ誌は手書きが主流で、本格派がタイプや活字を使用していたと思います。

2頁目が目次で、
大阪のファンクラブの前会長の挨拶。

新生EL&Pファンクラブスタッフの挨拶。

内容は、グレッグ・レイクのプロフィールという事で、アトランティックのプレス・キットの翻訳が冒頭に来ます。

News&Topicsには、イタリアのみでリリースされていたキースのホンキーが、ドイツのリリースが決定した話。
日本のワーナーからもリリース予定との話がありますが、これはリリースされずに終わったかも知れません。
幻魔大戦のためにキースが来日してレコーディングした話も取り上げられていますね。

グレッグ・レイクバンドは、メンバーの相次ぐ脱退で解散した話もあります。
マヌーヴァースは解散後にリリースされたわけです。

特筆すべきはネタに苦慮しているところです。

スタッフの個人的好みなのか、マイケル・シェンカー・グループ、ミッシング・パーソンズ、ゲイリー・ムーアの記事に多くのページを費やしています。

ロンリー・ハートイエスが、まだ、シネマの名前でレコーディングを頑張っている時の情報が載っていますね。

ネタに苦慮しても、ゲイリー・ムーアはグレッグ関連からともかくとして、マイケル・シェンカー・グループやミッシング・パーソンズを取り上げる必要はないだろうとの意見が提出された事もあります。

私もそう思いました。
マイケル・シェンカーは聞いた事すらなかったですし。

新生という事で、イラストの1点も集まっていなかったので、
紙面を埋めるのに苦労したのであると思いますね。

このスタッフの制作した会報に関しては、次の会報から、私もお手伝いをした事が
あります。

この会報が出た頃は、
カールはエイジアにて爆発的な売上をものにしたところでしたし、
「EL&Pの再結成なんて、ありうるはずもない。」
とファンは思っており、それでも、ソロ活動に期待するような感じの空気でした。

しかし、それらの会報が、どこに行ってしまったのか、全く見あたりません。

父に廃棄されたと思いますね。

2012年1月28日 yaplog!