EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

2019年の年賀状

2019-01-11 17:21:50 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
2019年の年賀状

年末はとても忙しかったので、
1月2日の夜に、
思いついていた絵を描き始めました。

細部まで丁寧に描くとなると、
翌日に投函できないので、
サインペンと水彩を使用して、
2時間ぐらいで仕上げました。


骨のTARKUS文字に倣って、亥を横に倒して骨文字を目指したけど、
適当さが災いして何だか良く解らない感じになった


翌日の午前中に、
筆ペンで宛名を書いて本局ポストに入れました。

昨年同様、EL&Pを知っている知人以外の人にも、
同じものを送付しました。

受け取られた方は、
昨年に比べて、随分とカラフルになったと思った事でしょう。

もともと、
私の出す年賀状は、
カラフルなデザインが多かったので、
昨年は、地味な部類だったと思います。

そう考えると、
昔からの知人が私の年賀状に対してイメージしている、
鮮やかなものに仕上がったわけですが、
タルカスを知らない人には、
太った猪にキャタピラのようなモノが付いていると思った事でしょう。

以上。

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2018年の年賀状は久々に手描きをスキャン

2018-01-06 10:25:41 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
2018年の年賀状は久々に手描きをスキャン

とうとう今年も年賀状を書くのが、
2018年の元旦になってしまいました。

2009年の年賀状から、
ネットから拾ってきた干支の絵や画像等を
拝借し、それに適当な文言を付け加えて年賀状を仕上げていました。
つまり、とても楽な作業をしていたわけですね。

楽な作業をするとは言っても、
宛名書きだけは今でもコダワリがありまして、
筆ペンを使用して手書きで行っております。

プリンターで印刷する前はどうしていたかというと、
被写体をベースにして、
それなりに自分でアレンジした年賀状を、
プリントゴッコで、コツコツと制作していたわけです。

コリにコッた多色刷りをした時は、
時間もお金もかかりましたが、
パソコンとプリンターが普及する前は、
その多色刷りの労苦を察してくれた数人の方から、
年賀状の絵柄を毎年楽しみにしているという有り難い言葉も頂戴しました。

一般に普及していたプリントゴッコが終焉を迎えてからは、
国民総プリンター時代みたいになって、
私自身のコダワリ年賀状を制作する気持ちは、
ほとんど失せてしまいました。

今年は、昨年末に、ふと年賀状の案を思いつきました。

これが浮かびました

但し、きちんと下書き等すると、
また多くの時間を費やす事になるので、
被写体を見ながら、カラーペンと絵の具を用いて、
サッサと描いてスキャンしました。
絵を描くために家内が私にくれた用紙が和紙調だったので、
文字も滲んだ感じになりましたね。
なんだか、小学生の絵みたいになってしまいました。


でも、戌には見えないな。怪獣だよ!

ま、この手描き感が良いといえば良いのですけどね。

描いているうちに気が付いた事もありましたので、

それは、また、次の機会に記そうと思います。

本年も宜しくお願い申し上げます。

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あの赤文字の告知ハガキが見つからない

2017-07-17 09:01:58 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
あの赤文字の告知ハガキが見つからない

先日、「イン・ザ・ホット・シート」の紙ジャケットCDをアップした際に、
思い出した事がありましたので、
少し書いてみます。

まぁ、多くのEL&Pファンにとっては、
どうでもよい事ではありますが、
チケットが送付されてきた封筒をもアップする当ブログでは、
大切な記録物の一つです。

「リターン・オブ・ザ・マンティコア」のCDボックスや、
映像作品「ウェルカム・バック」を、
ビクターエンタテイメントさんがリリースした時に、
EL&Pグッズプレゼント申し込み用の丸いシールが、
シュリンク上に貼られていました。

熱烈なEL&Pファンや、
懸賞好きのロックファンであれば、
この丸いシールをハガキに貼り付けて、
抽選プレゼントに申し込みをしたと思います。

その時に初めてリリースされた、
「リターン・オブ・ザ・マンティコア」や、
「ウエルカム・バッグ」のVHS、
「ワークス・ライヴ」等のニュータイトルのみを購入するだけで、
10,000円以上は投資する事になるわけですが、
丸いシールを貼ったハガキを3枚を送付しても、
プレゼントは一つも当たらなかったわけです。

それはそれとして、
この時に、多くのEL&Pファンの、
住所・氏名のデータを、
ビクターエンタテイメントさんでは、
ストックする事が出来たのだと思います。

ブラック・ムーンに続く、
スタジオ録音のニューアルバムが、
リリースされるという告知ハガキが、
自宅まで送付されてきたのでした。

仮のタイトルとELPマークが、
赤系統の色で記されていたのですが、
「イン・ザ・ホット・シート」
ではないタイトルでした。

特に熱心なファン向けに、
先行予約で頂戴できる特典等は、
何も記されていなかったように思います。

後にも先にも、
現時点において、
EL&Pのニューアルバムがリリースされることを、
メーカーがハガキで告知してくるというのは、
稀な出来事でしたので、
そう考えるとただのハガキとは言え、
貴重な記録であります。

それにしても、あのハガキは、
一体どこに行ってしまったのか?

以上。

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グアムのホテルにて

2017-05-10 10:36:48 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
グアムのホテルにて

1986年の夏頃の事です。

就職先の会社では、営業目標をクリアするために、
売上成績と利益が絡んだ特典付きのイベントを企画しました。

当時、関東圏内には30店ほどの店舗があったのですが、
およそ2ヶ月の期間に限定して、
売上成績と利益率などで、
それぞれの店舗に順位付けをします。

そのランキングのトップと第2位までが、
イベントの特典を勝ち取る事ができるわけです。

特典とは、
その店舗に配属されている全ての従業員が、
グアム旅行に行けるというものでした。
ちなみに1つの店舗には、パートさんを含めて、
5名から6名が配属されていましたが、
このイベントの特典に関しては、
店舗スタッフという事で、
社員とパートさんの垣根はありませんでした。

私が配属されたところの店長は、
このイベントの特典の獲得に執念を燃やし、
見事栄冠を勝ち取る事が出来たのでした。

今にして思えば、就職して1年も経っていないのに、
海外旅行という恩恵に預かる事ができたわけでして、
私はとても運が良かったと言えます。

この時にグアムのスーパーで購入したカセットテープの話はしましたが、
もう一つの出来事も忘れられないものですね。

ホテルに着いてから、
会社の先輩がテレビのスイッチを入れたのですが、
何分もしないうちに、
アメフトの映像が流れまして、
その時に、

「Welcome back my friends to the show that never ends~」

のグレッグの声とメロディーが流れて来たのを覚えています。

何かイベントのCMだったのかも知れません。

先輩は音楽好きで、邦楽には詳しかったのですが、
EL&Pに関しては、バンドの名前ぐらいは知っていても、
アルバム名も曲名も知らない方でしたね。

異国の地でEL&Pの音楽に遭遇するという、
希なる感激を分かち合う事はできませんでした。

これはたまたま海外での出来事でしたが、
日本にいても、何かの折りに、
不意にEL&Pの音楽が流れてきたりすると、
驚きと共に嬉しくなるのは私だけではないと思います。

以上。

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WORKSの事を知っていた英会話教習所の先生

2016-10-05 10:57:21 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
WORKSの事を知っていた英会話教習所の先生

大学のキャンパスに英会話教習所への誘いで来ていた人達がいました。

大学の許可を経て、学食の隅の方に、
横断幕のようなモノを掲げており、
関心を示した学生をキャッチして、
説明をするという段取りのようでした。

学友は私のような田舎モノではなく、
東京都出身でしたが、
あまり英語が得意でないという理由と、
その教習所の授業料が安価だったので、
申込をしたのでした。

その時、
教室に通う事にした学友から私も誘われたのですが、
早朝に稼いでいる給与から、
何とかまかなう事ができそうだと判断し、
私も通う事を決めてしまったわけです。

特に英会話が出来るようになりたいと思っていたかは、
かなりアヤシイところがあります。

今にして思えば、本当に勢いですよね。

結局、途中で頓挫してしまう事になりましたけど。

教習の途中、途中で、ステップアップのための試験があって、
ほんの少ししか知らない単語を駆使して、
先生と話をしたりするわけです。

その中で、趣味とかを尋ねられた時に、
「music」とか返答をしていた際に、
好きなバンドとかグループの話になったのだと思います。

それで、
「Emerson,Lake&Palmer」
と返答したのですが、

「Oh! Emerson,Lake&Palmer is good group」

という応答が返ってきたのでした。

正直、ビックリしましたね。

日本に来ている英会話の先生が、
EL&Pを知っているとも思わなかったし、

しかも、
その先生が、

「PICTURES AT AN EXHIBITION」

のみならず、

「WORKS VOLUME 1」
のみならず、
「Piano Concerto No.1」

等を口に出したのには、
さらにビックリしたわけです。

その教習所にいた全ての英会話の先生が、
EL&Pを知っていたわけでもないでしょうが、
たまたま、その試験を担当された先生が、
知っていたのでしょうね。

その英会話も予習と復習をきちんとやっていれば、
発音はともかくとして、
簡単な会話ぐらいは出来るようになっていたかも知れませんね。

以上。

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書籍「チャイコフスキー・コンクール」中村紘子著の思い出

2016-07-29 16:56:29 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
書籍「チャイコフスキー・コンクール」中村紘子著の思い出

今日は、河出ムックが発売予定日通りであれば、地方の書店にも入荷していると思い、
トヨタの書店の書籍コーナーに午後から向かったのですが、
背表紙を見つける事ができました。

パラパラとめくりましたが、
こちらの書籍に関しては、キーボードマガジンの特集と違って、
何とか読む事ができそうです。

ベタ誉めになっていない構成も、
ひとまずは、善意に解釈する事とするか。

今日は思い出話です。

EL&Pとは、あまり繋がりのない話題になりますが、
このような書籍もEL&Pを好きにならなければ、
買い求める事もなかったかも知れないので、
著者の訃報を今朝、ラジオのニュースで耳にしましたので、
その頃の事を少し書いてみたいと思います。

私は、仕事の関係で、
1986年の4月から1989年の3月までは、
埼玉県草加市に居住していたのですが、
1989年の4月1日付で、初めての人事異動を経験し、
埼玉県熊谷市に引っ越しをしました。

この頃というのは、
1988年の12月に、
キースのクリスマスアルバムがリリースされてから、
1年も経過していない頃でしたので、
EL&Pのメンバーの音に飢えている状態ではなかったと思います。

草加市では、
会社で借りているアパートの同室の先輩が、
テレビを所持しており、
時々、それを一緒に見たりしていました。

熊谷市では、
同居する先輩も後輩もいなかったので、
アパートでの初めての一人暮らしのような感じになりました。

また、テレビを所持していなかったので、
引っ越してからしばらくは、
映像のない生活を送っていましたね。

結局、その年の夏に、仕事の絡みでJAさんにお世話になりまして、
テレビもない生活をグイグイと突っ込まれまして、
テレビを購入する事にはなりましたけど。

日中は営業で回っているので、
書店のチェックをしていたのですが、
ロードサイド沿いの大きな書店の黎明期のような、
書店がありまして、
そこで、様々な書籍を求めたりしていました。

その中で、
「チャイコフスキー・コンクール」というタイトルの書籍に手が伸びまして、
テレビのないアパートで、
仕事を終えて、外食をして帰宅した後に、夢中になって読んでいたわけです。

内容に関してはほとんど記憶していないのですが、
このような書籍というのは、
EL&Pを好きな人なんかは、ピアニストが著した書籍という事で興味が湧きますし、
しかも売れているとなると、手にとって見たくなるのは、自然の流れですよね。

そしてクラシック界の賞にまつわる、
一般人では決して知ることのできない世界をかいまみせてくれるわけです。

私にとっては、かなり興味深く、読み応えのある内容でした。

著者は、それ以前から、テレビのCMにも出演したりしていたので、
ピアニストとしての知名度も、クラシック畑の人達の中では、
抜きんでていたと思います。

しかも書物を著したら、賞まで頂戴するわけですから、
その世界にいる人にしか解らない事を、
解りやすく読者に伝える筆力があったのだと思います。

病死との事でした。

ご冥福をお祈りいたします。

以上。

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中学のクラスの卒業文集の表紙

2016-03-16 09:31:32 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
中学のクラスの卒業文集の表紙

EL&Pの音楽を初めて聴いたのは1977年の2月の末か、
3月だったと思います。

1977年の3月に「恐怖の頭脳改革」を購入して、

それから1年後の1978年の今頃、
中学時のクラスの卒業文集の表紙を担当する事になりました。

クラスの卒業文集の表紙には、
別のものを描く考えもあったのですが、
時間もあまりありませんでした。

担任をしていた美術の先生が、
「もっと簡単なものでよい」
という事になって、
思いついたのがこの絵です。


タイトル文字は、習字の段を持っていた、
Yさんが書きました


中学校では1977年に、
新しいグランドピアノも買っており、
公民館に、国立音大の先生を呼んで、
演奏をしてもらったりしました。
それにも少し関連づけられるかと思いました。

一体何を描いたのかを解っていたのは、
クラスメイトのプログレ友だけだと思います。

担任の美術の先生には、
元のアルバムジャケットはお見せしましたけどね。

先生は、年齢的には、ビートルズの名前ぐらいは知っているぐらいの方でしたが、
EL&Pに関しては知らない様子でした。

キース、

今までも、
これからも、
本当にありがとう。

以上。

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「ELP四部作」の告知ポスターを見た時の事

2015-10-13 17:04:43 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
「ELP四部作」の告知ポスターを見た時の事

1977年にEL&Pのファンになった頃は、
レコード店のウィンドウに貼られているニューリリースの告知ポスターまでは、
関心がありませんでした。

もっとも、ニューリリース告知用のポスターというのは、
全てのミュージシャンのリリース時に制作されるわけでもないと思うので、
その時々にプッシュするミュージシャンのポスターを制作するのでしょうね。

大きな店舗であれば、多くの告知用のポスターを貼る事も可能でしょうし、
天井が高ければ、ぶら下げたりする場合もあるようです。

1981年、
銀座の山野楽器の2階は、楽器販売のスペースになっていましたが、
キーボードを前にして皮ジャンを着たキースが微笑んでいるポスターが、
天井からぶら下がっていたのを見た事があります。
欲しくてたまらなかったですね。

狭い店舗であれば、貼れるスペースも限られていますので、
店主や店長の考え一つで、どのポスターを貼るかが決まるのでしょう。
チェーン店の場合は、会社の方針もあるでしょうから、
お店の責任者の一存では決められない事もあるでしょうね。

先日、アナログ国内盤「展覧会の絵」を購入したと思われるお店の事を少し書きましたが、
このお店で「ELP四部作」の告知ポスターを見たことがありました。

販売用のレコードが何枚も立てて並んでいるところの、
最後部のやや上のところに、
折りたたんだポスターが
透明なビニールに入れられて、
レコード購買者の目にはいるように貼り付けられてありました。

ポスターの下地は、「ELP四部作」のジャケットの色を踏襲して黒地。

「ついに巨体を現したELP」と綴られた部分が、
しっかりと見えるようにして折りたたんでありました。

その文字の下に、四部作のジャケットか、ELPマークが、
描かれていたような感じですね。

このブログでは、販促用、あるいはレコード購買者プレゼント用の、
ポスターを幾つか取り上げて来ましたが、

ニューリリース告知用のポスターは、
時期が過ぎれば廃棄されるだけでしょうから、
EL&Pのメンバーの写真のポスター以上に希少価値があるかも知れませんね。

とは言っても、
どのアルバムに関して告知ポスターが制作されていたかまでは、
まったく解らないのですが、
とりあえず、「ELP四部作」に関しては、存在していたという事です。

貼られずに終わったこのような告知ポスターは、
店じまいをしたどこかのレコードショップのストックルームに眠っているかも知れないです。

以上。

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「イブの息子たち」にまつわる中学時代の話 その後

2015-09-10 08:49:59 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
「イブの息子たち」にまつわる中学時代の話 その後

中学3年の時に、隣の席の女性が秋田書店の少女向け雑誌「プリンセス」を貸してくれた話をしましたが、
その続きになります。

私は、その「プリンセス」を、
「面白かった!」と言って返したような気がします。

エーベル・バッハ少佐が、「イブの息子たち」の世界に参入している番外編でしたので、
単なるドタバタに終始していないストーリーになっており、
その部分に面白みを見いだしていたのだと思います。

彼女は、「イブの息子たち」のドタバタが、
たいそうお気に入りだったようで、
「面白かった!」と言って、
プリンセスを返した私の言葉に気を良くしたのでしょう。

翌日か数日後に、
「イブの息子たち」の単行本、第1巻を私に貸すために持ってきてくれたのです。

「へぇ?コミックまで持っているの?」

と思わずつぶやきました。

彼女は、そのコミックを貸す事に多少の気恥ずかしさを感じていたようではあります。

さっそく、給食時間が始まるちょっと前に、
机のやや下で頁をめくっていました。

通っていた中学では、
給食時間に担任以外の先生が、生徒と給食を共にするために、
交代でやってきます。

この日は、
女性体育教師が、私のクラスにやってくる日でした。

机の下で頁をめくっている私に目を付けた女性体育教師は、
私の読んでいる「イブの息子たち」の単行本を没収しました。

ここで言っておきたいのは、
「給食時間が始まる前に、コミックを読んではいけない」
という決まりみたいな事が、
ハッキリと存在していなかったという事です。

なぜなら、他の先生が、やってきた時であれば、
同様の没収は起きたりしていないからです。

運が悪かったのです。

職員室に足を運んでかけあえば、
返してくれたかも知れませんが、
学校の先生が没収したコミックを返してくれたという話も聞いた事がないので、
そのままになってしまいました。

この頃は、教師の力がPTAよりも強い時代でもありましたし、
中学生にとって教師は絶対的な存在でしたので、
交渉して返してもらえるとはとても思えませんでした。

貸してくれた隣の席の女性には、
本当にすまない事をしました。

田舎の少女が、
お小遣いの中から、
欲しいコミックを購入しているわけですから、
大切にしていたと思います。

彼女はとても寛容で、
「イブの息子たち」を没収された事を、
私をせめる事無く、許してくれました。

私はこの没収の出来事が本当に、納得し難いものがあり、
クラスの卒業文集の私の頁に、

「体育の○○先生が、
給食時間の前に私が読んでいた
『イブの息子たち』を没収したので、
返してもらいたい!」

と綴りました。

ちなみに、私がいたクラス文集の表紙には、
「ELP四部作」の写真を元にしたキース・エマーソンのイラストが、
描かれています。

行きがかり上、文集の表紙を担当するのは、自分になっていたので、
趣味を反映させたわけですね。

1977年、
中学では新しいグランドピアノを購入し、
秋の文化祭の時期に、国立(くにたち)音大の先生を呼んで、
演奏してもらうイベントもありましたので、
自分としてはそれにあやかったつもりでした。

以上。

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78年、第1回24時間テレビで聴いたEL&P

2015-08-24 10:28:01 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
78年、第1回24時間テレビで聴いたEL&P

このネタはどなたかのブログにコメントした折りに、
触れたかも知れませんね。

いつも書こうと思っているのですが、
記憶に残っている事ほど、
いつでも思い出せると思っているので、
記憶の底の方に沈んでいるようです。

日本テレビの24時間テレビが始まったのは、
1978年でした。

24時間という事で、
土曜日から日曜日にかけて、
放映されているのはご存知の通りです。

1978年の24時間テレビの、
日曜日の夕方ぐらいだったと思います。

同年4月に竣工した池袋サンシャインシティで行われる予定のレザリアム(レーザーを使用した光のショー)
を、紹介するコーナーがありました。

今では珍しい事でもないのでしょうし、
装置さえあれば、どんなところでも、行われている事だと思われます。

暗がりの中に、
レーザーの光を使用してつくった、
人の顔がありまして、
目とか口の部分とかが、音楽に合わせて、その形状が変化するわけです。

その時の音楽に使用されていたのが、
ELP四部作のカール・パーマーのサイドに収録されている、
「ニューオリンズ」
という曲でした。



日曜日だったけど番組内の企画として、
午前中に放映された手塚治虫のアニメーションをテレビでしっかりと見ておりましたので、
何らかの理由で、部活動が休みの日だったのでしょう。

この日はずっとテレビを見ていたわけではないのですが、
15時から16時ぐらいの時間帯に、
テレビ画面からカールの音楽が聞こえて来たので、

「オォー」

という感じでした。

今でも、キースの幻魔大戦サントラの「地球を護る者」等が、
バラエティ番組のBGMとして使用されているのを時々聞く事がありますが、

この時の「ニューオリンズ」の使われ方は、
音楽に合わせて、レーザーで描かれた顔が変化するというもので、
BGMというよりは、映像の動きを構成している大切な要素なわけですね。

振り返ってみると、
私がテレビでEL&Pの曲を聴いた初めての日という事にもなります。

次の日にプログレに関心のある友人に伝えたような気もしますが、
友人は、ELP四部作収録のカールのサイド収録の曲名までは覚えていないわけで、
私1人が盛り上がって終わったような気がします。

以上。

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青池保子先生の「イブの息子たち」にまつわる中学時代の話 その1

2015-08-12 13:25:37 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
青池保子先生の「イブの息子たち」にまつわる
中学時代の話 
その1


中学3年の1月か2月頃の事でした。
中学3年の1月というと、1978年という事になります。

渋谷陽一さんのラジオ番組に青池保子先生がゲストとして招かれました。

招かれた理由は、
レッド・ツェッペリンや、EL&Pが好きな少女漫画家という事だったと思います。
その時にEL&Pの曲が幾つか放送されたのですが、
曲として何が選ばれたのかは、全く覚えておりません。

青池保子という漫画家の存在も、
全く知らなかったので、
機会があったらその漫画を目にしたいとは思いました。

その機会は割と早く訪れまして、
ラジオ放送の翌日ぐらいに、
私の隣の席のYさん(女性)に、

「青池保子っていう漫画家を知っている?」
「どんな漫画を描いているの?」

と尋ねたら、

「えーっ!えーっ!それは口にはできないのですよ!
普通じゃないのですから!」

みたいな事を言って、
私の質問に対して曖昧な返答をした事だけは、
覚えています。

(今にして思えば、この返答以外にはない感じですが)

Yさんは、そうは言いつつも、
秋田書店の漫画雑誌「プリンセス」の増刊を持ってきてくれました。

その増刊号には、
今にして思えば、連載が始まってそんなに年月が経過していないと思われる、
「エロイカより愛をこめて」の登場人物と、「イブの息子たち」の登場人物が絡み合う、
「イブの息子たち番外編」が掲載されており、
それまで自分が漫画では読んだ事のない世界が描かれていました。

なんとも、ドタバタな世界だとは思いましたが、
髪型がキースやカールに似ている登場人物も出てきたので、

「あぁ、これがラジオに出る事のきっかけになった作品なのか!」

と理解し、コミックがあるなら読んでみたいという気持ちになりました。

今でも頭に残っているのは、英国の詩人バージル・ワードと、
NATO情報部のドイツ人、エーベル・バッハ少佐の眼力対決ですね。

「目の描き方が、他の少女漫画の女性の目みたいに、大きくないのだな。」

と思いました。

話は数年後に飛びますが、
EL&Pファンクラブに葉書を出す時に、
キースやカールに髪型が似ている、
ヒース・イアソン、バージル・ワードというキャラクターを模写したものを、
描いた事もありました。

少女漫画の「目」と違って「目」が、模写しやすかったのです。

確か、大阪のEL&Pファンクラブに、
何か連絡をする事があって、
その時の葉書に描いたのだと思います。

中学3年のプリンセス増刊号を読んでからの続きの話がありまして、
それは未だに忘れる事が出来ないので、
また、次の機会に綴りたいと思います。

以上。

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私の持っていたEL&Pのレコードの音が校内放送で流れた時の話

2015-08-03 11:24:31 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
私の持っていたEL&Pのレコードの音が
校内放送で流れた時の話


中学3年時の校内放送の放送部長のT君は、私の友人でした。

担任が放送部の顧問をしていた事もあって、
「給食の時間に何かを企画して校内放送で流すように」
という指示を、放送部の打合せ等で頂戴していたようです。

これは「言うは易く行うは難し」というものですね。
お楽しみ企画なんて、そう簡単にできるものではありません。

それでも、彼なりに、給食の時間の校内放送を、
音楽か何かで埋めなければとは思っていたわけです。

ある時、
その友人のT君に、

「何か、今日、レコードを持っていたら、お昼休みに校内放送でかけるので、
貸してくれないか?」

と言われた事がありました。

これは事前に頼まれていたわけではないので、
レコードをその日に持ってきていなければ、
何のお役にも立てなかったのですが、
たまたま、
洋楽好きの誰かに貸したか、貸したのが戻ってきたのかは、
はっきりと憶えていないのですが、
その時点で、レコードが1枚あったので、それを持って行ってもらいました。

そのレコードが、「恐怖の頭脳改革」!

彼は、A面をまるごと、校内放送の昼休みに放送してくれたわけです。

ワクワクだったよね。

ま、校内放送を聴いて、すぐにその音楽が好きになる人がいるとは、
全く思ってもいないけど、
EL&Pの音楽が流れる事自体が、
私にとってはワクワクだったわけです。

その日の放課後、
サイモン&ガーファンクルが好きな隣のクラスの友人のK君がやってきて、

「今日の昼休みに流れていたのは、torioden君のレコードだろ、
あんな変わった音楽のレコードを持っているのは、torioden君ぐらいしかいないはずだ!」

ま、これはこれで、
普通じゃないモノを耳にして、
その原因が私である事を突き止めてきたという有り難い反応ではあります。

ここに登場した放送部長をしているT君も、
隣のクラスの友人だったK君も、
幸いな事に、まだ健康で、ネット上でつながっています。

以上。

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1978年、高校の音楽室で「ナットロッカー」のシングルをかけたよ!

2015-07-01 09:45:51 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
1978年、高校の音楽室で
「ナットロッカー」のシングルをかけたよ!


私の記憶に間違いがなければ、高校時代には、「ホームルームの時間」というのがありました。

これは教科ごとに専門の先生が教室にやってきて、
その教科の授業をするのとは異なり、
クラス担任の同席のもと、
クラス委員などを中心として、
何か企画を考えて、様々な事をしてみる時間であったように思います。

高校1年の時に、
音楽鑑賞の時間というのを委員長が企画しました。

空いている音楽室に行って、
持ち寄ったレコードを鑑賞するという企画になりましたね。

私とクラスの洋楽友達は、
ここぞとばかりにお気に入りのレコードを持ってきたように思います。

実際に時間内でターンテーブルにのったのは、
持ってきたレコードの一部だけでしたけどね。

私は「ナットロッカー」とか、
ささきいさおの「星に想うスターシャ」とか、
ウイングスの「マイ・ラヴ」を持ち込んだ記憶があります。

その時点で私が入手できていたEL&Pのシングルレコード盤は、
写真の3枚だけでしたが、
聴いた事のない人がEL&Pを初体験するには、
どこかで聴いた事のあるメロディーである
「ナットロッカー」が無難であると勝手に決めつけたわけですね。



委員長の依頼で数枚のレコードを持ってきていたという事もあり、
「ナットロッカー」はターンテーブルの上にのったし、
洋楽友人が持ってきていたクィーンの曲も聴いたような気がします。
クィーンは、ひょっとしたら、LPレコードから曲を選択していたかも知れません。

クラスの多くの人達は、
音楽鑑賞の時間という事で、クラシック音楽の鑑賞と思いこんでいたふしがあり、
私を含めた、ほんの一握りの人が洋楽のレコードを持ってきただけでした。

終了後、
郷ひろみ等の、歌謡曲のレコードを持ってくれば良かったというような話も聞かれたとの事。

今だったら、どんな音楽にも関心を示していますが、
高校1年の時は、ポップスやロックを含めてプログレのレベルが一番だと思っており、
アニメが好きだからそれにまつわる音楽も例外として好んでいました。

一番を裏付ける根拠はなくて、自分の好きな音楽はレベルが高いものであると、
思いこみたかっただけですね。

そんな思いこみの渦中にあったのと、
ホームルームは、限られた時間という事もあり、
テレビで見る事のできる歌謡曲が流れても、面白いとは感じなかったでしょうね。

高校時代のこのホームルームの音楽鑑賞会は、後にも先にも、この時だけでした。

以上。

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私の心の中での頭脳改革の聖地

2015-06-11 16:09:25 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
私の心の中での頭脳改革の聖地

先般、欧米では著名のカナダのロックバンド、「ラッシュ」に関わる記事かサイトを目にする機会がありました。

「ラッシュ」のリリース作品への批評等は、検索すると、いろいろな方が綴っておりますし、
ブログ村にも、ラッシュの作品へのレビューが時々登場します。

このブログでも、昨年のバレンタインデイあたりに、彼等の代表作の1つである、
「ムーヴィング・ピクチャーズ」のジャケットを載せた事もあります。

これまで、「ラッシュ」とEL&Pのミュージシャン同士の因果関係、交流関係は聞いた事はありませんし、
「ラッシュ」が自分たちのステージの開演前に流すBGMも、キング・クリムゾンやイエスの曲があったとしても、EL&Pの曲は無いようでした。

但し、昨日、少しだけ触れたエイジア本の中で、エイジアがアルファを制作している時に、
「ラッシュ」のゲティー・リーが、その現場に慰問(?)に行ったエピソードが記されていましたね。

その時に、カールとは会っている事にはなるのかも知れません。

その「ラッシュ」ですが、「ラッシュの聖地」なるものが存在する事を知りました。

なんでも、「ムーヴィング・ピクチャーズ」に登場する建物が、「ラッシュの聖地」と呼ばれているようです。

このような「○○○の聖地」という捉え方は、国内のアニメーションのファンなどにおいてもあるようで、
物語の中で使用されている実在する場所等がそれに該当したりするようです。

昨年だったか、mixiの知人が、
英国に行かれたのですが、
その時に、ピンク・フロイドのアニマルズのジャケットに登場する工場を、
実際に見て来たけど、取り壊しが決定しているようなお話を聞かせていただいた事もあります。

あの工場が、「ピンク・フロイドの聖地」と呼ばれているかどうかまでは解りかねますが、
私などは、工場の4本の煙突がひっくり返った豚の豚足に見えてしまうと、
mixi内でその話題が出た時につぶやいてしまいました。

それで、その「ラッシュの聖地」から浮かんだのが、私にとっての「EL&Pの聖地」という事でした。

最初に浮かんだのは、何と言っても、私にとっての初めてのEL&Pのアルバムであった、
「恐怖の頭脳改革」を購入した場所になるのではないかという事ですね。

たまたま、1曲目も「聖地エルサレム」なんて邦題がついております。

それがこの場所です。



建物はそのままで、現時点では取り壊されずに使用されています。

今では、ハチ公プラザという名称の建物になりました。
この通りは、お店の前に車が駐車できないという、田舎の車社会にとっては、割と不便なところです。
周辺に有料の駐車場が無数にありますが、お買い物をしなければ、駐車料金だけを支払わなくてはならないし、
特に90年代は、女性警官が乗ったミニパトが頻繁に巡回して、少しでも停車時間を経過しているようであれば、次々に切符を切られるという事もありましたね。

当時は、1Fの一部がレコード売り場になっていた電気店です。
2Fは家電品とか、オーディオとかの売り場だったように思います。

私が秋田に戻ってきた91年頃までは、まだ、店舗が存在していましたし、
市内にも何店舗か抱えていましたが、
ケーズデンキに吸収合併されてしまいました。

ま、そんな事で、自らがとても思いを寄せるミュージシャンのアルバムを買ったお店や、そのお店のあった場所等は、それぞれの人にとっての「心の中の聖地」という事もできるでしょう。

一般的には、「聖地」は巡礼がつきものですから、多くの巡礼者がいることで、
「聖地」と呼称されるようになっていくのでしょうけどね。

以上。

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ワーナーロックアーティストステッカーの思い出

2015-05-27 10:19:33 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
ワーナーロックアーティストステッカーの思い出

高校時代は、何人かの洋楽友人がいて、
私はレコードの貸し借り、あるいは売買を行っていました。

売買とは言っても私の方は売る方が専門でしたが、
次のレコード欲しさに、ほとんど執着がないレコードを手放したりしていたわけです。

これも、購入してくれる有り難い友人がいたから可能だったわけですね。

なけなしの小遣いとアルバイト代から、
ディープ・パープルのベストアルバムをジャケ買いしてしまった事があったのですが、
次に欲しいレコードが出てきたので、
これまた親友の洋楽好きY君を通して、彼の友人M君を紹介してもらい、
M君に買ってもらう事に成功しました。
(狭い町なので、M君と面識はありましたが、そのM君が洋楽にはまっていたとは、
全く知りませんでした。)

そのM君が、ある時、
私に「ワーナーのロックステッカーをあげる」と言ってくれて、
頂戴した事がありました。

そのステッカーは、
ワーナーの洋楽ミュージシャンのロゴで埋め尽くされていた、
B4かA3ぐらいの大きさでした。
ミュージシャンのロゴは、個別にはがす事ができるようになっていまして、
お気に入りのものをどこかに貼るようになっていたわけです。

EL&Pのステッカーもその中に含まれており、
円形の黒地の中に、白いELPマークのデザインでした。

M君は私のEL&P好きを知っており、
「私が喜ぶだろうな」と思ってくださったのだと思います。

とっても有り難い話です。

M君が、どのレコード店でこのステッカーを入手できたかは、
今となっては、調べる事もできませんが、
彼はロックを愛好していても、
このようなグッズ類まで集める気持ちはなかったようです。

私は、そのM君の気持ちを汲み取る事もできず、
今にして思えば、とんでもない行為に及んだのでした。

以前、私が通学のカバンに、
ELPのアルファベットの文字のステッカーを
貼っていた話をした事がありますが、
その文字ステッカーをすべてはぎとり、
EL&Pだけではなくイエスやツェッペリン等のロゴステッカーを、
カバンの裏にベタベタ貼り付けてしまったわけです。

当時の私には、ステッカーやシールのたぐいを、
大切に保存するという意識が全く無かったから、
このような暴挙に及んだわけですね。

「オレがロック好きである事をこれでアピールできるぞ!」

と、1人自己満足で悦に入っていたわけですね。

今となっては後の祭りですが、
この話の続きは近いうちにまた書きます。

以上。

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