EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

大島ミチルさんに関する事

2019-02-27 08:47:12 | EL&Pの名前を口にした音楽家・芸術家等
大島ミチルさんに関する事

大島ミチルと言われて、
私がまず思い出す事は、
「ゴジラ映画音楽ヒストリア」という書籍です。

このブログでも、キースに関する丁寧な説明が為されているという事で、
取り上げました。

その書籍を、
パラパラめくった時に、
大島ミチルさんの写真も目に入ったわけですね。

大島ミチルさんは、
平成ゴジラの幾つかの映画を担当していたので、
紹介されていたわけです。

大島ミチルさんは、
CMからテレビ番組にいたるまで、
様々な音楽を担当されているようで、
大島ミチルと言われて、
ゴジラ映画音楽を担当した1人と言うのは、
私ぐらいのものだと思います。

たまたま、
日本テレビ音楽株式会社のホームページに、
大島ミチルさんのインタビューが掲載されているのを、
見る事ができました。

2000年代のインタビューだと思われますが、
過去のインタビューも、
このサイトでは閲覧できるようになっていました。

その中では、親友の国府弘子さんとのエピソードも語られているのですが、
さらに注目すべきところがありました。

子供時代には、周りの子供達が、基礎的なクラシックばかりを勉強している環境だったようなのですが、
その中で、大島ミチルさんは、好きなロックやポップスを弾いていたようです。

それが、現在の大島ミチルの音楽のバックボーンになっているのでないかという問いに対して、

「もともとロックが好きで、エマーソン、レイク&パーマーなんかが好きでしたね。」

と述べています。

親友の国府弘子さんは、エマーソン、レイク&パーマーとの出会いは、
プロになってからのようですが、
大島ミチルさんは、小学校4年からエレクトーンを習っていた事もあってか、
EL&P最盛期にエマーソン、レイク&パーマーを体験していたと思われます。

このブログでEL&Pの名前を口にする音楽家を取り上げる時は、
出来るだけ、その方が担当したり、演奏していたりするアルバム等を載せたいと思っており、
もし、所持していない場合は、破格の中古品を漁ったりするわけですが、

なんと、大島ミチルさんが音楽を担当したドラマのCDを所持しておりました。


「ショムニ」オリジナルサウンドトラック

最初のドラマの時に、BGMが、気になって、
地元のCDショップに注文して購入したのだと思います。

調べて見たら、1998年のリリースです。
20年も前なんですね。

その時は、まだ、ネットもやっていなかったので、
このCDの音楽の担当をしていた事などは、
スッカリ忘れておりました。

しかも、購入時には、大島ミチルという名前から、

「男性だろうか?女性だろうか?」

と思いつつ、聴いていた事だけは、思い出しました。
性別は、結局、解らないままにしていたわけです。

まさか、このブログでこのCDを取り上げる事になろうとは!

以上。

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婦人画報 2017年2月号

2018-03-14 09:50:04 | EL&Pの名前を口にした音楽家・芸術家等
婦人画報 2017年2月号


婦人誌は大きくて、
重さがあります


この婦人誌は出た頃に知人が教えてくださいました。

本号には、2016年1月10日に他界した、
デヴィット・ボウイにまつわる特集が組まれています。

誌面の中で、
坂東玉三郎氏が、
デヴィット・ボウイを回顧した、
「未来の予言者」というタイトルの記事が、
122頁から始まります。

書き下ろしかインタビューかは、
解りかねますが、
おそらく、
編集者がインタビューをまとめたものであると、
思われます。

その中に、
当時、歌舞伎を見にきてくれた、
海外のミュージシャンとして、

「エマーソン・レイク&パーマー」

という言葉が一言だけ出てきます。

グレッグ・レイクは、
1972年に来日した際に、
坂東玉三郎氏の元を訪れて、
トリロジーをプレゼントしたと、
当時のミュージックライフにレポートされています。

グレッグは坂東玉三郎氏のファンだったようですね。

一言だけの登場ではありますが、
今日の坂東玉三郎氏が、
「エマーソン・レイク&パーマー」という言葉を、
口にした事は、
その時の出会いが、
脳裡にしっかりと焼き付いていた事の証明です。

この婦人画報に掲載された、
日本におけるデヴィット・ボウイの数々の写真は、
ボウイが、背景の中に違和感なくとけ込んでいる感じがします。

音楽誌に載っている写真とは、
異なった趣があって、
とても情緒がありました。

以上。

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1月27日(土)放送のアニソンアカデミーから

2018-02-09 08:07:17 | EL&Pの名前を口にした音楽家・芸術家等
1月27日(土)放送のアニソンアカデミーから

1月27日(土)に、社用で車で外に出ていて、
NHK・FMを聴いていた時のレポートです。

最近のアニソンアカデミーのコーナーに、

「スペシャル講義「宙明・俊幸 ミュージック・ A to ゼーット」」

というのがあります。

アニメソングや特撮ソングを手掛けている渡辺宙明さん・俊幸さんの作曲家親子に
中川翔子生徒会長とあべあきら氏が、2人の作曲の秘訣や親子関係についてインタビューをするコーナーです。

メインパーソナリティーの中川翔子生徒会長が、
ミュージカルに参加して生放送に登場できない期間が発生したので、
インタビューのコーナーを録音して、
番組内に登場させるという意図もあったのかも知れません。

1月27日の放送では、
渡辺俊幸さんが音楽の道に進むようになった少年時代の事とか、
初めてプロのバンドに加わった時の事に触れておりました。

小学生の時に、
(おそらく、小学4年か5年だと思います。)

ビートルズの「ア・ハード・デイズ・ナイト」にシビレた事を、
を1つの始まりとして挙げていました。

当時、日本にはまだ「ロック」が存在していなかったという、
父親の渡辺宙明さんのビートルズを絡めた話の中で、
年月は69年あたりに一気に飛びました。

そして、

「当時はクラッシックをロックとして演奏するのが流行っていた。」

と、渡辺宙明さんが言葉にした後、

間髪入れずに、
渡辺俊幸さんが、「エマーソン、レイク、アンド、パーマーとか」
という言葉を口にされました。

その言葉の後は、
番組の流れで、EL&Pについて、どうのこうのという話にはなりませんでした。

番組はロック史を語るのが主眼ではないわけですが、
この日の番組で、名前だけ登場したプロのバンドは、

ザ・ビートルズ、
ベンチャーズ、
ご自身がドラマーとして参加した「赤い鳥」
エマーソン、レイク&パーマーのみでした。

エマーソン、レイク&パーマーというバンド名が、
ラジオで流れた嬉しい瞬間でした。

以上。

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