この世の果て。世界の終わり。彼岸の入口。様々な形容がどれもピッタリくる。石積みの丘を越え、硫黄の小川を渡り、白砂の湖岸を踏みしめて。ジリジリ焼かれるように照りつけられながら、一歩一歩進める自分は、未だ現世に留められた修行者か、次なる来世から声がかかりつつある伝道者か、はたまた共に追われることとなる餓鬼か亡者となるのか。
北限の霊場にて、死生感が重く問われているような思いがする。
北限の霊場にて、死生感が重く問われているような思いがする。
きた東北行のこぼれネタより。被災地の定点比較は、続いて宮古市街。こちらは震災の年の6月訪問だから、変化がより大きい。
市役所は、目の前の歩道橋に船が乗ったままの映像を、当時各所で見た。閉伊川に面しての立地ながら3階までやられたということは、港湾部の市街は壊滅を意味する。
その鍬が崎・蛸の浜地区は、当時浄土ヶ浜大橋から見下ろした眺めに、言葉を失ったものだった。田老と同様、こちらも更地に草が萌え始めていた。
まだまだ2年、まだまだこれから。
きた東北行のこぼれネタより。三陸は海に近いながら、山の幸も豊富だ。海岸から崖が切り立ち、すぐに深い山と森という、リアス式地形特有の恩恵である。
この時期はマツタケが旬を迎え、土瓶蒸しと炊き込みごはんでいただいた。町は良質のアカマツ林を有しており、研究所を設けて収穫増に取り組んでいるそう。シャクシャク、ホワッと、瑞々しく山の香気が鮮烈なこと。
マツタケに続きクリ、という訳で、老舗栗菓子処「中松屋」の愛らしい栗菓子もいただいた。ごちそうさまでした。
きた東北行のこぼれネタ、今朝は宮古市田老から。津波は巨大防潮堤をも乗り越え、市街を壊滅させた。防災都市を標榜していた故の、まさかの油断と備えへの過信が、被害を大きくしたという。
防潮堤の同じ場所には1年前にも来ていて、定点からぐるり比較。更地には草が生え始め、がれきだらけの時は『もう海のそばには住みたくない』と言っていた人が、この風景を見てまた戻りたいと話し始めているとも。
辛く思い出したくない。でも後世には伝えなければならない。体験や記憶が落ち着いていくのは、良いことかどうなのかは、立場によって様々だ。まだ2年なのか、もう2年なのか。