山形新幹線が延長開業したことで、山形県北部の中心都市である新庄は、首都圏にぐっと近くなった。東京駅をお昼に出発する列車に乗ると、新庄へ16時前には到着でき、ここで肘折温泉行きのバスに乗り換えたら、まずはひと安心。この分だと17時過ぎには、宿の温泉の湯船に浸かっていられそうである。新幹線がまだ山形止まりだった頃は、行くだけで東京から丸1日かかったのを思えば、ちょっとばかりではあるが、この温泉も手頃な距離になったものだ。
新庄の市街から、南西へ向けてバスに揺られること1時間のところにある肘折温泉は、霊峰・月山と葉山の山峡に涌く、山のいで湯である。古くから、傷や火傷に効能があることで名高く、湯治場としての評判が高い。この日投宿した「つたや肘折ホテル」も、肘折温泉では一、二を争う歴史を持つ老舗旅館で、木造の本館に湯治用の浴室を持っている。到着すると早々に、この浴室へ直行。異なる泉質の湯が引かれた2つの湯船に、じっくり時間をかけて何度も交互に入りながら、1泊ながらも湯治場の雰囲気をしっかりと味わってみた。
長めの風呂を楽しんでさっぱりしたところで、夕食の膳へと向かった。卓の上には、周囲の山々でとれた山菜を使った料理がずらりと並んでいて、山形の代表的な郷土料理である「芋煮」の椀も見られる。かつて、この温泉に逗留する湯治客たちは、自炊しながら長期に渡って療養滞在していた。しかし、「今ではこのように、食事を2食きちんと出す宿がほとんどです」と宿の人は言う。湯治客よりも、宴会が目的の団体客や、農閑期の慰労旅行で訪れる近在の農家などが増えてきたこともあり、山の湯なのに卓にはマグロの刺身など、海の幸も並んでいる。
翌朝は、肘折の温泉街名物の朝市を見物しよう、と早起きしたものの、天気はあいにくの雨模様だった。しかし、朝食を終えてすぐに宿の玄関を出ると、旅館街の目抜き通りに沿って、すでにずらりと露店が並んでいた。肘折温泉の朝市は、江戸時代の頃に行商人が、湯治客に向けて生活必需品を販売したのが始まりといわれている。そのうち、近郊の農家が野菜などの農産品を背負って、まだ暗いうちからこの温泉にやってきて商売をするようになり、次第に栄えていったという。今はお客の中心が、みやげを求める観光客へ移り変わったものの、朝市組合会員のおばさんが多い日で20人ぐらい、早朝5時には温泉街にやってきて店を広げている様子は、昔から変わっていない。
どの露店も、温泉街の商店や温泉宿の狭い軒先を借りて店を開いていて、まるで通り全体がそのまま市場になってしまったようだ。傘を片手に、露店の店先をのぞいて歩くと、商品が入ったざるや篭をずらりと並べて、その真ん中にちょこん、と座って店番をしているおばちゃんたちから、きつい方言で元気な売り声がかかってくる。あいにくの雨の中だが、どの店も商品が多少雨に濡れたってお構いなし、といった感じだ。野菜や山菜、果物などといった農産物のほかに、川魚、野草、薬草なども扱っている店、中には、筋子や明太子、乾物など、湯治客の手に入りにくい、海産物の加工品を販売する店も数軒ある。
おみやげに、キノコを並べて売る店でマイタケを買おうとすると、天然ものと山で栽培したもの、ハウスで栽培したものと、3種あるがどれにしましょうか、と店のおばちゃん。なぜか、値段はみんな同じ1000円で、天然ものをひと山買い込んだ。ほかにおすすめのキノコがないか聞くと、今年は台風で菌床が流れたためにキノコは大不作、この日やっと、初物のナメコが並んだほどだとのこと。豊作の時は、朝市で売る以外にも、旅館や商店にキノコをひと山単位で卸したりもするという。「キノコ類を選ぶときは、傘が大きい方が香りがいい」と、せっかく選び方のアドバイスを頂いたが、この日はあいにく、どの店もヒラタケなどがちらほら並ぶのみだった。
雨の中、通りをさらにぶらぶらしていると、露店に軒を貸している宿からは、朝風呂を楽しむ温泉客の声が漏れ聞こえてくる。雨の寒さもあり、こちらも湯が恋しくなったところで宿にもどり、再び湯治場風情の温泉へ。今日の予定は最上川の船下りだが、紅葉を愛でながら川船に揺られて、にはあいにくの空模様である。芭蕉の名句「五月雨を…」とは時季はずれだけれど、秋雨の風情の中の川下りもまたよし、か。(10月中旬食記)
新庄の市街から、南西へ向けてバスに揺られること1時間のところにある肘折温泉は、霊峰・月山と葉山の山峡に涌く、山のいで湯である。古くから、傷や火傷に効能があることで名高く、湯治場としての評判が高い。この日投宿した「つたや肘折ホテル」も、肘折温泉では一、二を争う歴史を持つ老舗旅館で、木造の本館に湯治用の浴室を持っている。到着すると早々に、この浴室へ直行。異なる泉質の湯が引かれた2つの湯船に、じっくり時間をかけて何度も交互に入りながら、1泊ながらも湯治場の雰囲気をしっかりと味わってみた。
長めの風呂を楽しんでさっぱりしたところで、夕食の膳へと向かった。卓の上には、周囲の山々でとれた山菜を使った料理がずらりと並んでいて、山形の代表的な郷土料理である「芋煮」の椀も見られる。かつて、この温泉に逗留する湯治客たちは、自炊しながら長期に渡って療養滞在していた。しかし、「今ではこのように、食事を2食きちんと出す宿がほとんどです」と宿の人は言う。湯治客よりも、宴会が目的の団体客や、農閑期の慰労旅行で訪れる近在の農家などが増えてきたこともあり、山の湯なのに卓にはマグロの刺身など、海の幸も並んでいる。
翌朝は、肘折の温泉街名物の朝市を見物しよう、と早起きしたものの、天気はあいにくの雨模様だった。しかし、朝食を終えてすぐに宿の玄関を出ると、旅館街の目抜き通りに沿って、すでにずらりと露店が並んでいた。肘折温泉の朝市は、江戸時代の頃に行商人が、湯治客に向けて生活必需品を販売したのが始まりといわれている。そのうち、近郊の農家が野菜などの農産品を背負って、まだ暗いうちからこの温泉にやってきて商売をするようになり、次第に栄えていったという。今はお客の中心が、みやげを求める観光客へ移り変わったものの、朝市組合会員のおばさんが多い日で20人ぐらい、早朝5時には温泉街にやってきて店を広げている様子は、昔から変わっていない。
どの露店も、温泉街の商店や温泉宿の狭い軒先を借りて店を開いていて、まるで通り全体がそのまま市場になってしまったようだ。傘を片手に、露店の店先をのぞいて歩くと、商品が入ったざるや篭をずらりと並べて、その真ん中にちょこん、と座って店番をしているおばちゃんたちから、きつい方言で元気な売り声がかかってくる。あいにくの雨の中だが、どの店も商品が多少雨に濡れたってお構いなし、といった感じだ。野菜や山菜、果物などといった農産物のほかに、川魚、野草、薬草なども扱っている店、中には、筋子や明太子、乾物など、湯治客の手に入りにくい、海産物の加工品を販売する店も数軒ある。
おみやげに、キノコを並べて売る店でマイタケを買おうとすると、天然ものと山で栽培したもの、ハウスで栽培したものと、3種あるがどれにしましょうか、と店のおばちゃん。なぜか、値段はみんな同じ1000円で、天然ものをひと山買い込んだ。ほかにおすすめのキノコがないか聞くと、今年は台風で菌床が流れたためにキノコは大不作、この日やっと、初物のナメコが並んだほどだとのこと。豊作の時は、朝市で売る以外にも、旅館や商店にキノコをひと山単位で卸したりもするという。「キノコ類を選ぶときは、傘が大きい方が香りがいい」と、せっかく選び方のアドバイスを頂いたが、この日はあいにく、どの店もヒラタケなどがちらほら並ぶのみだった。
雨の中、通りをさらにぶらぶらしていると、露店に軒を貸している宿からは、朝風呂を楽しむ温泉客の声が漏れ聞こえてくる。雨の寒さもあり、こちらも湯が恋しくなったところで宿にもどり、再び湯治場風情の温泉へ。今日の予定は最上川の船下りだが、紅葉を愛でながら川船に揺られて、にはあいにくの空模様である。芭蕉の名句「五月雨を…」とは時季はずれだけれど、秋雨の風情の中の川下りもまたよし、か。(10月中旬食記)