信州では古くから、牛肉や鶏肉、豚肉と並んで、馬肉が日常的に食べられていたため、馬肉料理が代表的な郷土食として発達してきた。中でも主に松本や伊那、上田などが、馬肉を盛んに食べている地域で、これらの町で肉屋の店先や、スーパーの食肉売り場をのぞいてみると、豚小間や牛バラ肉などに混ざって、馬肉が当たり前のように並んでいるのが目に入る。信州産の馬と聞くと真っ先に「木曽馬」が頭に浮かぶが、これは木曽谷の人にとっては、生活を共にする家族のような存在だから、食べるなどもってのほか。実際に食用にしている馬肉は、地元の長野や北海道などの牧場で飼育されている、食用種の馬のものである。
北アルプスの山麓に広がる盆地に位置するため、冬の松本は冷え込みが厳しい。夕暮れ時に中町あたりの繁華街を歩いていると、夜風の冷たさがしんしんと身に凍みてくる。こんな夜は体を芯から温めてくれる、熱々の料理が恋しい。晩飯は松本の名物「さくら鍋」にすることにして、寒さに背中を丸めながら足早に大橋通りを歩き、松本で馬肉料理の老舗として名高い『三河屋』の玄関をくぐる。小さな丸いコンロが置かれたテーブルに腰を落ち着けたら、まずは燗酒だ。注文を取りに来たお姉さんに、地酒は何があるか聞くと、「安曇野の『酔園』」と素っ気なくひと言。それと「さくら鍋」を注文して、鍋が来るまで何か適当なつまみを欲しい、と頼めば、「馬刺とか…」と、消え入るような声で勧められた。暖簾が下がり格子戸がはめられた、格式ある入口のたたずまいからもうかがえるように、この店は明治16年創業と歴史は古く、今ではすっかり信州の代表的な味覚である「さくら鍋」と馬刺を、当時から出し続けている。馬刺を運んできた女将さんに、この店で使っている馬肉は、付近の牧場産なのか尋ねたところ、「北海道生まれの信州育ち」と、通りすがりにひとことポツリ。
話し相手がいないので、熱燗と一緒に運ばれてきた馬刺をつまみながら、ひとりで黙々と盃を重ねる。馬刺を箸でつまみあげると、東京の居酒屋で注文すると出てくる薄いのとは違い、たっぷり厚みがある。赤身の部分のみで、脂はほとんどついていないようだ。信州と同様に馬刺が名物の熊本では、薬味にニンニクとさらし玉ネギを添えることが多いが、この店ではおろしショウガを馬肉で巻くようにして、醤油を浸けて口へ運ぶ。特選道産子肉馬の背ロースとヒレを使っているからふっくらと柔らかく、まるでマグロのトロのように舌の上でひんやり、トロリととろけるようだ。獣肉独特のややくせのある風味が、牛刺しや鳥わさといった他の生肉料理よりも強く、それが口の中ですっと消えかかったところで、「酔園」で口をすすぐ。この酒独特の甘い香りがふわりと広がった後、肉の後味を包み込んでさっぱりと消える切れの良さ。まさに、料理との相性がぴったりの酒である。
馬刺をつまみに燗酒を1本空けた頃に、ようやく鍋の用意が整った。煤ぼけて年季の入った、薄い平鉄鍋に入っている具は、道産子肉馬の赤身肉と、その上にどっさり盛った根深ネギのみと、いたってシンプルである。これが、三河屋の創業当時から変わらない「名代さくら鍋」。品書きには、その名もずばり「馬鍋」と書かれている。中央に秘伝の味噌ダレを注いだら、いざコンロに点火だ。「煮えたら、真ん中の味噌ダレを混ぜてかきまわして」と、再び通りすがりの女将さんのひとことに従って、湯気がもうもうと上がる中で鍋と格闘するかのように調理する。馬肉は熱が通りやすいので、煮える前にさくら鍋の名の通り、まだほんのり桜色の肉をひと切れつまんでみた。軽く熱が通った程度だから後味に獣肉独特のくせが強いが、牛ヒレ肉のように肉汁がたっぷり、ジューシーな味わいがうれしい。
そうこうしているうちに鉄鍋の中身が煮立ってきたので、肉が煮えて固くならないように弱火にして、馬肉からつつく。赤黒い色をした、秘伝の甘い味噌ダレとからめて頂くと、くせがすっかり押さえられるから食べやすく、後から後から箸が進む。馬肉は脂身が少ない分、牛肉などよりも肉の旨みは濃厚で、食べ進めていくにつれて、どっしりと腹にたまってくる。女将さんのおすすめで、生卵を割り入れてからめたら、馬肉すき焼きになり、さらに栄養満点。食べるほどに、馬力がつく感じがする。最後のひと切れまで肉が固くならなかったのは、肉がいいからか、それとも夢中で急いで食べたからか。鍋に残った、味噌ダレの味が染みたネギと、馬刺の残りを肴に「酔園」を飲み干して、馬の串焼を追加してさらに「酔園」をもう1本。
徳利も料理の皿もすっかり空になったところで、最後の締めは鍋に残った味噌ダレを使って作る、煮込みうどんだ。これも創業時から変わらない、鍋を食べ終わった後の名物料理である。鍋にうどん玉を入れて、味噌ダレを追加、さらに砂糖を足して数分間ことこと煮込む。すると、白いうどんがどろどろの味噌ダレにたっぷりからんで、すっかり赤黒くなってしまった。まるで、名古屋の味噌煮込みうどん風だ。味噌を吸ったネギが具の、甘辛いうどんを平らげたら、お姉さんにお愛想をお願いする。支払う時に、お姉さんおすすめの「酔園」がうまかったから酒屋で買っていくよ、と伝えると、相変わらず「はい」とひとことだけ答えながら、最後にちょっとだけはにかんだような笑顔を見せてくれた。
店を出ると冷え込みはさらに厳しさを増していて、馬鍋とうどんによる温もりも、10分も歩けば次第に冷めてくるほど。やや飲み足りないこともあって、中町通りへ引き返すと目に入った居酒屋へ駆け込み、軽く梯子酒とした。ここでも三河屋と同じく、馬刺トロに地酒を合わせることに。薬味のニンニクとショウガをのせて、とろけるように柔らかい肉をつまみ、口当たりが瑞々しい地酒「山清」をぐっと飲み干す。若い板前さんと、ぽつりぽつりと世間話をしながら盃を重ねていると、ひたすら黙々と酒と料理を運んできた、さっきの三河屋のお姉さんをふと思い出す。何だか無愛想だな、と思ったお姉さんや女将さんも、実は単に真面目で照れ屋なだけなのかも知れない、などと酔った頭で考えていると、空になった徳利のおかわりにもう一度、「酔園」を頼みたくなってきた。(12月中旬食記)
北アルプスの山麓に広がる盆地に位置するため、冬の松本は冷え込みが厳しい。夕暮れ時に中町あたりの繁華街を歩いていると、夜風の冷たさがしんしんと身に凍みてくる。こんな夜は体を芯から温めてくれる、熱々の料理が恋しい。晩飯は松本の名物「さくら鍋」にすることにして、寒さに背中を丸めながら足早に大橋通りを歩き、松本で馬肉料理の老舗として名高い『三河屋』の玄関をくぐる。小さな丸いコンロが置かれたテーブルに腰を落ち着けたら、まずは燗酒だ。注文を取りに来たお姉さんに、地酒は何があるか聞くと、「安曇野の『酔園』」と素っ気なくひと言。それと「さくら鍋」を注文して、鍋が来るまで何か適当なつまみを欲しい、と頼めば、「馬刺とか…」と、消え入るような声で勧められた。暖簾が下がり格子戸がはめられた、格式ある入口のたたずまいからもうかがえるように、この店は明治16年創業と歴史は古く、今ではすっかり信州の代表的な味覚である「さくら鍋」と馬刺を、当時から出し続けている。馬刺を運んできた女将さんに、この店で使っている馬肉は、付近の牧場産なのか尋ねたところ、「北海道生まれの信州育ち」と、通りすがりにひとことポツリ。
話し相手がいないので、熱燗と一緒に運ばれてきた馬刺をつまみながら、ひとりで黙々と盃を重ねる。馬刺を箸でつまみあげると、東京の居酒屋で注文すると出てくる薄いのとは違い、たっぷり厚みがある。赤身の部分のみで、脂はほとんどついていないようだ。信州と同様に馬刺が名物の熊本では、薬味にニンニクとさらし玉ネギを添えることが多いが、この店ではおろしショウガを馬肉で巻くようにして、醤油を浸けて口へ運ぶ。特選道産子肉馬の背ロースとヒレを使っているからふっくらと柔らかく、まるでマグロのトロのように舌の上でひんやり、トロリととろけるようだ。獣肉独特のややくせのある風味が、牛刺しや鳥わさといった他の生肉料理よりも強く、それが口の中ですっと消えかかったところで、「酔園」で口をすすぐ。この酒独特の甘い香りがふわりと広がった後、肉の後味を包み込んでさっぱりと消える切れの良さ。まさに、料理との相性がぴったりの酒である。
馬刺をつまみに燗酒を1本空けた頃に、ようやく鍋の用意が整った。煤ぼけて年季の入った、薄い平鉄鍋に入っている具は、道産子肉馬の赤身肉と、その上にどっさり盛った根深ネギのみと、いたってシンプルである。これが、三河屋の創業当時から変わらない「名代さくら鍋」。品書きには、その名もずばり「馬鍋」と書かれている。中央に秘伝の味噌ダレを注いだら、いざコンロに点火だ。「煮えたら、真ん中の味噌ダレを混ぜてかきまわして」と、再び通りすがりの女将さんのひとことに従って、湯気がもうもうと上がる中で鍋と格闘するかのように調理する。馬肉は熱が通りやすいので、煮える前にさくら鍋の名の通り、まだほんのり桜色の肉をひと切れつまんでみた。軽く熱が通った程度だから後味に獣肉独特のくせが強いが、牛ヒレ肉のように肉汁がたっぷり、ジューシーな味わいがうれしい。
そうこうしているうちに鉄鍋の中身が煮立ってきたので、肉が煮えて固くならないように弱火にして、馬肉からつつく。赤黒い色をした、秘伝の甘い味噌ダレとからめて頂くと、くせがすっかり押さえられるから食べやすく、後から後から箸が進む。馬肉は脂身が少ない分、牛肉などよりも肉の旨みは濃厚で、食べ進めていくにつれて、どっしりと腹にたまってくる。女将さんのおすすめで、生卵を割り入れてからめたら、馬肉すき焼きになり、さらに栄養満点。食べるほどに、馬力がつく感じがする。最後のひと切れまで肉が固くならなかったのは、肉がいいからか、それとも夢中で急いで食べたからか。鍋に残った、味噌ダレの味が染みたネギと、馬刺の残りを肴に「酔園」を飲み干して、馬の串焼を追加してさらに「酔園」をもう1本。
徳利も料理の皿もすっかり空になったところで、最後の締めは鍋に残った味噌ダレを使って作る、煮込みうどんだ。これも創業時から変わらない、鍋を食べ終わった後の名物料理である。鍋にうどん玉を入れて、味噌ダレを追加、さらに砂糖を足して数分間ことこと煮込む。すると、白いうどんがどろどろの味噌ダレにたっぷりからんで、すっかり赤黒くなってしまった。まるで、名古屋の味噌煮込みうどん風だ。味噌を吸ったネギが具の、甘辛いうどんを平らげたら、お姉さんにお愛想をお願いする。支払う時に、お姉さんおすすめの「酔園」がうまかったから酒屋で買っていくよ、と伝えると、相変わらず「はい」とひとことだけ答えながら、最後にちょっとだけはにかんだような笑顔を見せてくれた。
店を出ると冷え込みはさらに厳しさを増していて、馬鍋とうどんによる温もりも、10分も歩けば次第に冷めてくるほど。やや飲み足りないこともあって、中町通りへ引き返すと目に入った居酒屋へ駆け込み、軽く梯子酒とした。ここでも三河屋と同じく、馬刺トロに地酒を合わせることに。薬味のニンニクとショウガをのせて、とろけるように柔らかい肉をつまみ、口当たりが瑞々しい地酒「山清」をぐっと飲み干す。若い板前さんと、ぽつりぽつりと世間話をしながら盃を重ねていると、ひたすら黙々と酒と料理を運んできた、さっきの三河屋のお姉さんをふと思い出す。何だか無愛想だな、と思ったお姉さんや女将さんも、実は単に真面目で照れ屋なだけなのかも知れない、などと酔った頭で考えていると、空になった徳利のおかわりにもう一度、「酔園」を頼みたくなってきた。(12月中旬食記)