「旅で出会ったローカルごはん」の本で、表紙や扉の写真をお借りした、写真家の管洋志先生の事務所へ伺うことになった。仕事の仲間が先生に用事があるというので、便乗して同行することにしたのだが、後述する「お楽しみ」が実は、目当てでもある。日比谷線の広尾駅で下車、横断歩道を渡ってすぐのところには、品揃え豊富なワインショップに外国人がたむろするオープンカフェと、普段自分が仕事をしている界隈とは別世界の華やかなムード。そんな中、先生の事務所『スタジオデボ』がある建物は何と、1階が商店街に面した銭湯というのが面白い。「男湯」の暖簾をくぐって、ではなく、隣のマンション入口からエレベーターで先生の部屋へ。時計を見ると夕方の18時半、打ち合わせは1時間ほどで済むと考えると、どうやらそれでサヨウナラ、とはいかなさそうな時間帯である。
管先生は主に、アジアの人々や生活を撮影対象としていて、近頃は奄美大島に通われて、精力的に撮影活動をなさっている。そのスリムな体型からは想像もつかないほど、バイタリティーとエネルギーあふれる方で、この事務所でお話で盛り上がっていると、いつもパワーに圧倒されてしまう。料理の写真も専門分野のひとつであり、週刊誌の食の連載をやられたり、料理人の技に迫る作品もいくつもお持ちである。そんな方のすばらしい料理写真を「ローカルごはん」では多用させて頂くとは、今思えば実に光栄なことだ。この日も、提案した企画についていろいろと強力な意見をいただき、あっという間に時間が過ぎていく。
その企画とは、実は焼酎に関する本。すると「焼酎の本の話をするのに、飲まなきゃ始まらない。今日はもうほかに仕事は、いいんだろ?」という訳で先生、台所へ向かいグラスを並べ、冷蔵庫からロックアイスを取り出して、同行の仲間に運ぶように促す。何といっても先生の書棚には、著作やポジアルバムに混じり、焼酎のビンが何本も並んでいるのだ。しかもいずれも、なかなか手に入らない希少なものばかり。広尾のマンションの1室は写真事務所から一転、焼酎バーへと変化した。お目当てのお楽しみは、期待していたよりも早い時間にオープンと、これはうれしい誤算である。
テーブルの上にはロックアイスが入ったグラスと空のグラス、そしてワイングラスと、ひとりあたり3つのグラスが並ぶ。ワイン用、焼酎オンザロック用、チェイサーのボルビック用ということで、まずスタートはワインで乾杯。ちょうどボジョレーの新酒の季節、いわゆる「ボジョレーヌーボー」である。ひと頃の大ブームで有名になった一方、解禁後いかに早く取り寄せて味わうか、というゲーム性が重視されたため、味はいまひとつという評価もついて回るようになってしまった。ここ数年はブームもひと段落し、質のいいボジョレーが入ってくるようになった。ボジョレーとひとことで言っても、いくつもの銘柄があり、この日飲んだのは「ボジョレーヴィラージュ・ヌーボー」。ボジョレーの中でも手ごろな値段でしっかりしたボディのワインとして知られる銘柄だ。紅色がちょっと淡めで、飲んでみるとさっぱりとしていて雑味がなく、すっきりと飲める。いかにも新酒、といった瑞々しさで、開宴の軽く一杯にはもってこいか。
これ空けないと次注がないぞ、と管さんのニラミ(笑)が効いているので、がんばってボジョレーを空にしたところで、管さんがこのところ撮影で通っている、奄美の焼酎の登場だ。奄美諸島には現在、徳之島と喜界島も合わせて20あまりの蔵元があり、黒糖を素材とした「黒糖焼酎」が島の特産である。町田酒造の「里の曙」、西平本家の「気」といった有名銘柄がある中、今日頂けるのは富田酒造場の「龍宮」。書棚の中央に鎮座していたボトルをグラスに頂き、ちょっとなめてみるとすっきりとまろやか。度数は30度もあるのにきつさやとんがった風味を感じさせない、実に素直な味である。素材は黒糖だがそれほど甘みが強いということもなく、ゆるゆると酔っていくような魅惑的な酒、といったところが島焼酎らしくていいか。
富田酒造場は奄美大島の中心都市・名瀬市にあり、奄美諸島の黒糖焼酎蔵のなかではかなり小さい部類の蔵元である。ここは昔ながらの「瓶仕込」によって、黒糖焼酎を仕込んでいるのが特徴。仕込み蔵にはおよそ40もの瓶が、土に埋まってずらり並んでおり、1次、2次仕込みともこの瓶で手間隙かけて行われているという。最近は素材である黒糖は国産のは希少、多くの蔵が南米産の黒糖を使っている中、ここでは主に沖縄産の黒糖と黒麹、そして仕込み水に島の原生林・金作原にある池から取水した水と、素材へのこだわりが見られる。このように昔ながらの手法、手作りのため生産量が極めて少なく、地元の人でも飲んだことがないというほどの幻の酒なのである。ラベルに書かれた「黒糖大焼酎」、そして赤文字で「商売繁盛」の文字が、レトロというか、アナクロな感じでまたいい。
以前、この事務所で同じように打ち合わせ後に焼酎を振舞っていただいた際もそうだったけれど、ここで頂く焼酎はいくら飲んでも気分が悪くなったり、二日酔いになったりしない。ロックで30度以上の強いのをガンガン飲っているにも関わらず、である。やはり真っ当な酒は、いくら飲んでも体にいいんだなと納得、というか自己暗示? をかけ、話が盛り上がるのに乗じて2杯、3杯とお代わり。幻の酒というのに、ほど良く酔ってしまうと次第に遠慮がなくなってしまっていけない。すると管さん、ついにさらなる幻の焼酎をとりだした。「ついにこれをあけてしまうよ」とおっしゃるように秘蔵中の秘蔵の品らしく、ありがたいやら、恐縮やら。ボトルはきれいに透き通った透明のガラス瓶、そして和紙のような手書き風ラベルに、達筆で「まーらん船」との銘柄が書かれている。
注いでもらったグラスに口を近づけるだけで、ふわりと優しい甘みがする。誘われるようにひと口頂くと、口当たりと舌触りがねっとり、とろりと濃厚。焼酎独特のつんつんとした甘みはなく、包み込むような粘りとコクがある。そして後味は糖分の甘さ、黒糖ブロックそのものの風味がする。飲んだだけで、かなり熟成されたこなれた酒であることが分かる。徳之島産の黒糖を使った、とろみが出る昔ながらの造りの焼酎で、豊かな香りと旨味が特徴。アルコール分に酔うだけではなく、この酒の造りそのものに魅せられて深く酔ってしまう、そんな不思議な魅力のある焼酎である。「まーらん船」とは北前船のように、奄美諸島で交易に使っていた船の事を指し、一説によると徳之島に最初に黒糖を運んだ船とも言われている。度数は33度と、さっきの「龍宮」よりも強いけれど、それを感じさせないまろやかさがる。度数は南(サザン)からとって33度にした、と、ウソか誠か分からないいわれもあるとか。
この貴重な酒も遠慮なく飲み進めていると、同じ「まーらん船」の瓶がもう1本登場した。開ける訳ではないけれど、並べてよく見るとラベルの文字が微妙に違う。このラベルは島産の和紙を使い、富田専務が1本1本手書き、毎年年度を書き込んである。そんなところにも、この焼酎の希少さが改めて感じられるようである。気持ちよく酔っていると管さん、「これは蔵元に感想を報告しないと」と、何と携帯で奄美大島の富田恭弘専務に電話をかけ始めた。なにやら話し込んだ後にほら、と電話を回され、自身もこの感動を直接伝えることに。使っている徳之島の黒糖は、専務のルーツがあるなど、蔵元ならではの面白い話をいくつか伺ったようだが、何せ相当酔いが回っていたので、うまくしゃべれただろうか記憶が定かではない。
「島っていうところは行き場のない吹き溜まりで、暮らしている人たちは皆それぞれ、年月を経るにつれていろいろなものがたまってくる。このたまったエキスが逆に、島社会の心地よさでもあるんだよ。それが証拠に、こんな閉鎖的なところなのにも関わらず、島を出た若い人たちの多くは結局島へ帰ってくるしね」。それこそが島の持つ魅力である、と語る管さん。その言葉には、数々の島々を渡り歩き土地の風土に迫る写真を撮ってきただけの、重みと深みがある。そんな話を聞きながら、島焼酎の味が独特なのもまた、このたまったエキスが比類なき旨味を与えているのでは、と、幻の銘酒に溺れてゆらりと遠ざかっていく意識の片隅で思うのであった。(2006年11月24日食記)
管先生は主に、アジアの人々や生活を撮影対象としていて、近頃は奄美大島に通われて、精力的に撮影活動をなさっている。そのスリムな体型からは想像もつかないほど、バイタリティーとエネルギーあふれる方で、この事務所でお話で盛り上がっていると、いつもパワーに圧倒されてしまう。料理の写真も専門分野のひとつであり、週刊誌の食の連載をやられたり、料理人の技に迫る作品もいくつもお持ちである。そんな方のすばらしい料理写真を「ローカルごはん」では多用させて頂くとは、今思えば実に光栄なことだ。この日も、提案した企画についていろいろと強力な意見をいただき、あっという間に時間が過ぎていく。
その企画とは、実は焼酎に関する本。すると「焼酎の本の話をするのに、飲まなきゃ始まらない。今日はもうほかに仕事は、いいんだろ?」という訳で先生、台所へ向かいグラスを並べ、冷蔵庫からロックアイスを取り出して、同行の仲間に運ぶように促す。何といっても先生の書棚には、著作やポジアルバムに混じり、焼酎のビンが何本も並んでいるのだ。しかもいずれも、なかなか手に入らない希少なものばかり。広尾のマンションの1室は写真事務所から一転、焼酎バーへと変化した。お目当てのお楽しみは、期待していたよりも早い時間にオープンと、これはうれしい誤算である。
テーブルの上にはロックアイスが入ったグラスと空のグラス、そしてワイングラスと、ひとりあたり3つのグラスが並ぶ。ワイン用、焼酎オンザロック用、チェイサーのボルビック用ということで、まずスタートはワインで乾杯。ちょうどボジョレーの新酒の季節、いわゆる「ボジョレーヌーボー」である。ひと頃の大ブームで有名になった一方、解禁後いかに早く取り寄せて味わうか、というゲーム性が重視されたため、味はいまひとつという評価もついて回るようになってしまった。ここ数年はブームもひと段落し、質のいいボジョレーが入ってくるようになった。ボジョレーとひとことで言っても、いくつもの銘柄があり、この日飲んだのは「ボジョレーヴィラージュ・ヌーボー」。ボジョレーの中でも手ごろな値段でしっかりしたボディのワインとして知られる銘柄だ。紅色がちょっと淡めで、飲んでみるとさっぱりとしていて雑味がなく、すっきりと飲める。いかにも新酒、といった瑞々しさで、開宴の軽く一杯にはもってこいか。
これ空けないと次注がないぞ、と管さんのニラミ(笑)が効いているので、がんばってボジョレーを空にしたところで、管さんがこのところ撮影で通っている、奄美の焼酎の登場だ。奄美諸島には現在、徳之島と喜界島も合わせて20あまりの蔵元があり、黒糖を素材とした「黒糖焼酎」が島の特産である。町田酒造の「里の曙」、西平本家の「気」といった有名銘柄がある中、今日頂けるのは富田酒造場の「龍宮」。書棚の中央に鎮座していたボトルをグラスに頂き、ちょっとなめてみるとすっきりとまろやか。度数は30度もあるのにきつさやとんがった風味を感じさせない、実に素直な味である。素材は黒糖だがそれほど甘みが強いということもなく、ゆるゆると酔っていくような魅惑的な酒、といったところが島焼酎らしくていいか。
富田酒造場は奄美大島の中心都市・名瀬市にあり、奄美諸島の黒糖焼酎蔵のなかではかなり小さい部類の蔵元である。ここは昔ながらの「瓶仕込」によって、黒糖焼酎を仕込んでいるのが特徴。仕込み蔵にはおよそ40もの瓶が、土に埋まってずらり並んでおり、1次、2次仕込みともこの瓶で手間隙かけて行われているという。最近は素材である黒糖は国産のは希少、多くの蔵が南米産の黒糖を使っている中、ここでは主に沖縄産の黒糖と黒麹、そして仕込み水に島の原生林・金作原にある池から取水した水と、素材へのこだわりが見られる。このように昔ながらの手法、手作りのため生産量が極めて少なく、地元の人でも飲んだことがないというほどの幻の酒なのである。ラベルに書かれた「黒糖大焼酎」、そして赤文字で「商売繁盛」の文字が、レトロというか、アナクロな感じでまたいい。
以前、この事務所で同じように打ち合わせ後に焼酎を振舞っていただいた際もそうだったけれど、ここで頂く焼酎はいくら飲んでも気分が悪くなったり、二日酔いになったりしない。ロックで30度以上の強いのをガンガン飲っているにも関わらず、である。やはり真っ当な酒は、いくら飲んでも体にいいんだなと納得、というか自己暗示? をかけ、話が盛り上がるのに乗じて2杯、3杯とお代わり。幻の酒というのに、ほど良く酔ってしまうと次第に遠慮がなくなってしまっていけない。すると管さん、ついにさらなる幻の焼酎をとりだした。「ついにこれをあけてしまうよ」とおっしゃるように秘蔵中の秘蔵の品らしく、ありがたいやら、恐縮やら。ボトルはきれいに透き通った透明のガラス瓶、そして和紙のような手書き風ラベルに、達筆で「まーらん船」との銘柄が書かれている。
注いでもらったグラスに口を近づけるだけで、ふわりと優しい甘みがする。誘われるようにひと口頂くと、口当たりと舌触りがねっとり、とろりと濃厚。焼酎独特のつんつんとした甘みはなく、包み込むような粘りとコクがある。そして後味は糖分の甘さ、黒糖ブロックそのものの風味がする。飲んだだけで、かなり熟成されたこなれた酒であることが分かる。徳之島産の黒糖を使った、とろみが出る昔ながらの造りの焼酎で、豊かな香りと旨味が特徴。アルコール分に酔うだけではなく、この酒の造りそのものに魅せられて深く酔ってしまう、そんな不思議な魅力のある焼酎である。「まーらん船」とは北前船のように、奄美諸島で交易に使っていた船の事を指し、一説によると徳之島に最初に黒糖を運んだ船とも言われている。度数は33度と、さっきの「龍宮」よりも強いけれど、それを感じさせないまろやかさがる。度数は南(サザン)からとって33度にした、と、ウソか誠か分からないいわれもあるとか。
この貴重な酒も遠慮なく飲み進めていると、同じ「まーらん船」の瓶がもう1本登場した。開ける訳ではないけれど、並べてよく見るとラベルの文字が微妙に違う。このラベルは島産の和紙を使い、富田専務が1本1本手書き、毎年年度を書き込んである。そんなところにも、この焼酎の希少さが改めて感じられるようである。気持ちよく酔っていると管さん、「これは蔵元に感想を報告しないと」と、何と携帯で奄美大島の富田恭弘専務に電話をかけ始めた。なにやら話し込んだ後にほら、と電話を回され、自身もこの感動を直接伝えることに。使っている徳之島の黒糖は、専務のルーツがあるなど、蔵元ならではの面白い話をいくつか伺ったようだが、何せ相当酔いが回っていたので、うまくしゃべれただろうか記憶が定かではない。
「島っていうところは行き場のない吹き溜まりで、暮らしている人たちは皆それぞれ、年月を経るにつれていろいろなものがたまってくる。このたまったエキスが逆に、島社会の心地よさでもあるんだよ。それが証拠に、こんな閉鎖的なところなのにも関わらず、島を出た若い人たちの多くは結局島へ帰ってくるしね」。それこそが島の持つ魅力である、と語る管さん。その言葉には、数々の島々を渡り歩き土地の風土に迫る写真を撮ってきただけの、重みと深みがある。そんな話を聞きながら、島焼酎の味が独特なのもまた、このたまったエキスが比類なき旨味を与えているのでは、と、幻の銘酒に溺れてゆらりと遠ざかっていく意識の片隅で思うのであった。(2006年11月24日食記)