暇人詩日記

日記のかわりに詩を書いていきます。

酔狂

2017-10-25 | 暗い
ひとりきりで踊っている
床を軋ませ
つま先をたてて
くるくると踊っている

楽しそうに踊っているね、
それだけ踊れたらどれほど
心地よいだろうか

そのことばに手をさしのべても
さいごにはひとりきり
くるくると踊っている

べつにぜんぜん
楽しくはない

踊らなくていいんだよ、
無理して踊るのはつらいだろう
止まっていてもいいんだよ

そのことばに足を止めても
いつしかいつのまにか
くるくる、くるくると

望まぬステップを踏んでいるのに
さぞや楽しそうに見えるのだろう
さぞや優れた踊り子にでも
見えるのだろう

あなたはいいわね、じょうずに踊れて
踊れない人のきもちなんて
わからないのでしょう

そのことばで振り返り
簡単なステップを刻んでいく
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ

楽しくないことなど
誰がやるというのだろう
楽しくもないのに
ひとりきりで踊っている

うしろで指さす人がいる
そうだね、ずいぶんと、滑稽だ
けれどしかたがないじゃないか
踊らざるをえないのだから

踊らねばならないときだとしても
ひとは望まぬことはけしてやらない
望んでいない、望んでなど
けっきょくひとりになるだけで

思い出してしまった

2017-10-25 | -2016,2017
たとえば、誰かが私を見ていたとき。
涙を流す私を見ていたとき。
光を嫌う姿を、
聖人君子のように仕える姿を、
誰かを見ていたその視線を見ていたとき。
私はよくよく理解していた、
ただ蓋をしていただけで。
私はかれらを怪物と称していた。
ほんとうの異物は、怪物は、
他ならぬ私に違いないと。
誰かが私を見つめる視線は、
まるで異物を見るようだ。
私は人間ではない、私は
淘汰されてしかるべきなのだ。
蓋をしていた、忘れていた、
忘れているふりをしていた。
なぜ生きているのだろう、
人間の皮をかぶってまで。
私には確かに、誰かはすべて、
まるで怪物のように見えている。
だがそれは私の見方でしかない。
私は紛れもない一個の異物で、
排除されてしかるべきなのに。
生きてていいよと言われるたび、
おのれが人間でないことを思い知らされる。
許可されねば、私は、
生きることさえ許されないのだと。
優しい社会は泥の形をして、
気道をじわじわと塞いでいく。
うまくできているでしょう、
なんだかんだやってきたけれど、
私は正真正銘の人間です、
高いところから出ていた声はひび割れて、
蓋はたやすく割れてしまった。
私が私であるのならば、
私は私でないべきだ。
空隙を、隔たりを、
ただただ思い知らされるだけならば、
なぜ生かされているのだろう、
なぜこうまでして、
人間のかたちをまでして、生きねばならないのだろう、
そう思い知らされるだけならば。
私は私でないべきだ。
そうある道を選んだ以上は。

残酷な人

2017-10-05 | 心から
人の嫌がることをするなと言うので、
自分が嫌なことを人にするなと言うので、
嫌な仕打ちを受けても受けても、
にこにこと過ごしてきた次第です。
しかし腹の底はざわざわとして、
ああ、なんといやなにんげんか、
どうにか仕返しをしたい、
どうにか不快さを伝えたいと感じるのです。

ある時、不快だと伝えましたが、
ごめんねと軽く笑われただけで、
結局のところ不快さの本質は理解されず、
「伝えたのに」という不快さが更に堆積するばかりでした。
ある時は、冗談交じりに揶揄しましたが、
彼女は泣いてしまい、
むしろこちらが悪者であるかのように、
非難されてしまいました。

ならばと、切々と説明をしましたが、
納得するのはその場だけ、
その事象ひとつだけで、
本質を見据えてくれることはありません。
ええ、ええ、わかっています、
たいそうな説教などできる身分でないことは。
衝突を避け、発展的な対話をし、
平和的に摩擦を減らしたいのです。

おのれの技量を嘆くべきでしょう、
しかし近頃は希望を抱くことも馬鹿馬鹿しく、
そして人とは、おのれが体験しなければ、
共感を得にくいいきもののようなのです。
ならばやり返すしかないのでしょう、
無神経さには無神経さを、
優越感には優越感を、
激昂する相手に向かって言い放つのです、
いつもあなたがしていることだと。

人の嫌がることをするなと言います、
自分が嫌なことを人にするなと言います、
誰もそれを守ってはおりません、
信号は誰もが無視して過ぎます。
なぜ守らねばならないのですか、
なぜ守らねばならないのですか。
言い聞かせながらも、わたしはなお、
にこにこと過ごしてしまうのです。

ああ、ああ、なぜあなたは、
そうやって平気で虫を踏み潰すのか。
小さな虫たちも堆積すれば、
深く巨大な憎悪に成り果てていくのです。