暇人詩日記

日記のかわりに詩を書いていきます。

わたしは意味のない死を望まなかったのです

2010-05-28 | -2010
 子牛が何時間も格闘し、羊水を滴らせ生まれてきた。

 食べられた。

 子牛が両親の助けを求めながらあがき、震える足で初めて地に足を立てた。

 食べられた。

 子牛が母親の乳を飲み、育ち続ける骨肉をしならせはねまわり始めた。

 食べられた。

 子牛が歯を使い草をちぎり、その苦さを何度も何度も味わった。

 食べられた。

 子牛が母親と並んで歩けば、いつしか母親を見下ろすほどになった。

 食べられた。

 子牛が愛しいものと出会い、母親のように子をはらむようになった。

 食べられた。

 子牛が皮のたるんだ己の体を知り、衰えていく体を見つめ、それでも草を食んだ。

 食べられた。

 子牛がやがて仕事を果たさなくなり、ただ食べるだけになった頃、子牛は学校へ送られた。

 食べられなかった。

後悔

2010-05-28 | 心から
わたしのかかとが潰される前に
嘔吐するほど走りたかった
わたしのゆびさきが平らになる前に
走りゆく車の下敷きになりたかった

わたしに許されている、あるいは
わたしが許していること
ただ見るだけの目と
肉を腐らせないための内臓さえあれば
それは充分に足りる

起き上がれないだるまはただ
真っ黒な目さえあればいい
けれど一度は走りたかった
つらい苦しみを味わいたかった
できないということはしなくてもいいということ
たとえ涙を流したとしても
歩くための足さえない
触れるための紋様さえない
愛するための穴さえない
しゃべるための口さえない
ただ黒いひとみを見開いて
なにかを見上げることだけならできる

わたしに許されているのはたったそれだけ
わたしが許しているのはたったそれだけ
日に日に磨耗していくからだを眺めては
ゆるやかな苦しみに浸っていく
後悔さえも陶酔できるのなら
わたしはまた立てるのだろうか
わたしはまだ立てないのだろうか
たとえ芋虫になったとしても
いつか億千のひとみを持つ蝶にでもなって
ゆらゆらゆらと中空をさまよいながら
わたしはきっと見ているだけだろう
わたしの横を通り過ぎるひとたちを
わたしのように芋虫になるひとたちを
そしてわたしの抜け殻を

それでも孤独

2010-05-20 | -2010
たとえば悲しくなった時
床にうずもれて泣きたいと思う
不確定なかたまりがうごめく
土の世界から切り離されたいから

けれど床にうずもれることはできず
私は私の中心から離れることもできず
ただただ淀んだ涙を流す
悲しみが一緒に流れるための水も
取り囲むかたまりがさざめいたなら
ただ蛇口をひねるのと同じ

時に大きな生き物のように
一つとなり人間を呑み込むもの
時にかたまりから姿を固め
人間のように話しかけるもの
たとえば悲しくなった時
人間のさざめきは大きな生き物に見え
ここではないどこか
深く沈められる場所を考える

当たり前のことがふいに見えなくなったなら
私は私の殻を脱ぎ捨てるのだろうか
鏡を見ては安心し
鏡を見るのをひどく恐れ
時に異物に見える他人を排斥し
孤独に泣く愚かな一個の人間でさえ
殻は見えてはいないのかもしれない
けれど私には鏡が見える
そして私には他人が見えない
ある時、ある時には
だから私は
深く深く床にうずもれて
たった一個の人間を抱く
悲しくなって流す涙には
尽きない淀みがあったとしても