暇人詩日記

日記のかわりに詩を書いていきます。

投げやりな生存本能

2023-09-05 | あたたかい
 空はなく、土もない。
 真っ暗だ。何も見えず、びゅうびゅうと風ばかりが鳴っている。
 どこにいるのか。どこにもいない。茫漠たる境界線は広大で、淵目はまるで遠いように思われる。
 一歩進めば崖に落ちる。あるいは淵目に辿り着く。いずれも微々たる確率に過ぎず、一歩、一歩はただざくざくと音をたてる。それによりようやく、土はそこにあることを辛うじて知るが、ただ知るだけに何の意味があるだろう。ざわめく薮の隙間から時折のぞく光明は、確かに空があることを教えてくれるが、届かぬ星に何の意味があるだろう。
 どこにいるのか。どこにもいない。私はただここにいる。ここにいると知るのが私たったひとりなら、ここには誰もいるものか。
 歩けば、歩けばやがては淵目にたどり着くだろう。そうして何度も戻り着いた。幾度となく辿り着いた。素知らぬ顔をして本流へ戻り、魚のふりをしていた。何のために、それは生存本能に他ならず、淵目に戻らねばならないと強く思い続けている。
 何のために。
 じゃり、じゃりと砂を踏みしめる。
 私は真っ直ぐ歩けているだろうか。
 私は前に進むことができているか。
 私はただしく生きているだろうか。
 空はなく、土もない。だから答えは返って来ない、そもそも、口に出してすらいないのだから。
 ここは暗く、とても暗く、もしも頽れてしまったなら、誰ひとりとして顧みるものはない。私は、行くならひとりきりで行きたいと願っている。
 では何のために。
 容赦なく吹き付ける強い風は方向感覚を狂わせ、体からなけなしの温度を奪っていく。末端から感覚は喪われてゆき、指の先がどこにあるのか、足の先が土に触れているのか、とうの昔に忘れている。耳はきっととっくに落ちたのかもしれなかった。着込んだ服の着膨れもまるで意味をなさない。
 何のために。
 私はずっと呟いている。何のために。何のために。何のために。そう呟きながら歩いている。冷えた風は末端から思考を奪っていく。あるいは私の中枢にあるのが、それかもしれなかった。空も土も、見えてはいても見えてはおらず、音は聞いていても聞こえてはおらず、崖に落ちるか淵目に立つか、茫漠とした暗闇への恐怖さえ削ぎ落とされて、ただ歩く小石に過ぎない。
 私は歩いている。何のために。
 何のためでもない。歩いているのでもない。ただ凍った肉体は知っている。苦痛を味わい尽くして鈍麻した死にゆく肉体は知っている。
 脚を動かしていれば、やがてはどこかへ戻り着くのだと。