暇人詩日記

日記のかわりに詩を書いていきます。

漂泳生物

2023-08-23 | 暗い
まるで海のさなかにいるようです
水面でもなく底でもない
ちょうど光の届かなくなった海中で
ゆらゆら、ゆらゆら漂っている

肺にはまだいくらかの空気が残っていて
今なら水面にのぼれるはず
肺から空気をぜんぶ抜けば
底へ沈んでもゆけるはず

あかるい水面の向こうがわから
こちらに手が伸びています
溺れていると思ったのですね
なんと優しい指先でしょう

くらい水底の終着点から
こちらを呼ぶ声がします
ひとりぽっちと思ったのですね
なんと寂しがりな声でしょう

あなたがどちらかにいたのなら
きっとどちらかを選べていた
けれどもあなたはどこにもいない
どこへ行けども わたしのなかには

肺の空気は残りすくなく
海は暗さを増していきます
けれども目の前はちかちかと眩しく
上がっているのか 下がっているのか

だから目を閉じ 耳を鬱いで
わたしはわたしを隠しました
のぼっていく気泡の優しさに
寂しくなってしまわぬように

血が沸騰している

2023-07-17 | 暗い
暑さから逃れ逃れた油虫がやって来た
虫をも殺す熱気と湿気に同情をおぼえながら
哀れな亡命者を踏み潰す
だから夏は嫌いなのだ
不浄をてのひらに塗り重ねて私は思う
夏は境目が曖昧になる
縄張りを侵されれば戦わなくてはならない
縄張りを侵せば刃を突きつけられても文句は言えない
いつもは歩けていた境界線上が
ぼやけて白んで見えなくなる
今日も月夜だけがおだやかで
真上から刺さる日差しはあまりに強い
境目の向こうに追いやった油虫よ
私は今、正しく歩けているだろうか
声は聞こえるはずもなく
蝉がじわじわ鳴いている

誰かを重ねて

2023-06-25 | 暗い
海へ行きませんか
今ならきっと凪いだ海へ
波打ち際のレース模様が
風にたなびくくるぶし丈の
あのひとのスカートを思い出すから

海へ行きましょう 海へ
朝でも夜でもいいんです
潮騒の音を聴いていれば
まだ何も考えず笑っていられた
あの頃に帰った気になれる

海で落ち合いましょう
あなたがそんなに
海が嫌いと言うのなら
私は私で向かいますから
後からついてきてくださいね
約束しましょう

海で待っています
わたしの贈ったスカートは
あなたの脚によく似合う
細いくるぶしによく映える
波打ち際で待っています
約束しましたから

奈落へ落ちる

2023-03-15 | 暗い
一つ、二つ、三つ
なくしたものを数えていた
胸の内で正の字を書いた

四つ、五つ、六つ
数える度に穴が空く
私という量が変わることはないが
空いた穴に風が通るのを感じている

七つ、八つ、九つ
年を追うより早く
なくしたものが積み上がる
堆く積み上がる、胸の内にも
土の上にも

十、また一つ、また二つ
両手の指では足りなくなった
胸の内に刻みつけた正の字は
とどまる兆しを見せてはくれず
土の上は平らになった
私に在りし景色とあべこべに

一つ、二つ、三つ
なくしていないものを数えている
なくしたものを数えながら
これは個人的な祈りに過ぎず
空いた穴の寂しさが増える程に
未だあるものへの慈しみは増して
未だ遠い果てへの切望さえ増して

三つ、二つ、一つ
手の内にあったものを失くし
息づいていたものを亡くし
見据える果ての遠さを嘆く
穴の齎す痛みに呻く
嘆いていた、呻いていた
たとえ誰にも見えぬ祈りであったとしても
今在るものを思えばこそ

 つ、 つ、また つ
夥しい正の字が胸の内を埋め尽くす
数えることをやめた私を
お前たちは嘆いているか
しかし一つ一つは覚えている
どれも確かに胸の内に宿っている
どこかへ祈りを捧げたところで
誰が戻って来るというのか
この穴と弔いがあれば良い

一つ
たった一つだけが残された
後はとっくに土の下
胸の内の骸の山は一つたりとも腐りもせず
流れる血で深く広い泥濘を作る
目指すべき果てでお前たちが
手招きするのを夢見ながら
どうか最後の一つだけは
私とともにあってくれと祈る
これは個人的な祈りに過ぎず
しかし切実に願っている
穴にまみれた私が それでも
私としていられる
たった一つの鎹なのだから

無価値

2022-11-30 | 暗い
認めるのは容易い
認めるのは困難だ
つまらない瑕疵が全てを台無しにする
観測だけが許された
暴落する価値と
暴騰する対価
消費するためだけに生まれた
消費されるためだけに与えられた
それを認める時
樹木が黄色い水溜まりを作る
それを否定する時
糞は下水を満たしていく
途上はばったりと途切れた断崖
認めれば見えるが落ちる
認めなければ見えずに落ちる
瑕疵は歳月を経て崩壊を招いた
つまらない瑕疵が全てを台無しにする
あと一歩踏み出せば
人々は上へのぼっていくだろう
遥か高みへ
背中を押す前に
わたしは断崖を覗き込む
人々がのぼっていく前に

足早の秋

2022-10-12 | 暗い
鼻がつんと痛むころ
私は君を思い出す
外に出たなら夕暮れも終わり
あかりが灯る
あかりが灯る

ひとりでに増えた擦過傷を
ひとりで抱えてまた増やし
君はいつもひとりでいた
私は君を思い出す
あかりが消える
あかりが消える

古傷はみんな押し込んだ
あばらの裏は傷だらけ
擦過傷を掻きみだして
擦過傷を掻きまわして
膿んだところが変に熱い
あかりが見える
あかりが見える

あばらの奥に座る君よ
君は いつになれば溶けるだろう
冷たい風が鼻を突き刺す
じくじく末端から腐敗は始まり
君は 私が抱くべきなのか
痺れた皮膚をそっと撫でる
あかりが遠のく
あかりが遠のく

あかりが灯る
人々の生きる営みが浮かび上がる
鼻を突き刺すあたたかな匂い
家路は凍てつく氷柱の筵
あかりが消える
擦過傷と嘘をついた
鼻をくすぐる生ぬるい臭い
痛む、痛む、痛む、痛む
あかりが見える
君の傷は私の古傷
痕があるのにあばらの裏が
きりりきりりと膿を吹き出し
あかりが遠のく
君はいつまで経っても溶けぬまま
氷柱の筵の真ん中にいる
きっと熱いのはそこなのだろう
あかりを消して
君の隣に横たわったなら
一緒に溶けてくれるだろうか
痺れた古傷を抱き寄せる

メトロ

2022-09-19 | 暗い
見上げども伽藍堂があるばかり
反響が幾重にも押し寄せる
寄り添えども募るのは虚しさばかり
天井は日に日に黒く煤けて
ああ、こういうときに
ひとはひとがこいしくなるのだと
空気を押し潰す鉄の塊を見遣りながら
傘の柄をぎゅっと強く握った
けれどもこういうときに
わたしはひとをつきおとしたくなるのだと
浅ましい恥を押し隠して天井を見上げる
見上げども伽藍堂があるばかり
日に日に煤けゆく壁のくろさが
わたしの胸に反響する、
幾重にも 幾重にも

死の穴

2021-02-25 | 暗い
真っ平らな大地
私はどこにいるのでしょう
行けども行けども果てはなく
けれど声が聞こえるのです、
前に、前に進みなさいと
飢えども齧る果実はなく
渇けども啜る水もなく
ただ茫洋と広がるだけの
道すらない平地を歩くのみで
私はどこにいるのでしょう
どこへ向かっているのでしょう
声は答えてくれません
ただ進めと促すばかりで
蹲って人を待ち
ただいたずらに喉を震わせ
どこまでも見える果ては残酷です
戻る場所さえとうに見えなくなりました
死ぬためのロープさえもなく
頸には手の形の痣だけが
いたずらに堆積してゆきます
掻きむしった腕から滲む血では
死など到底望めやしません
私は、私は何のために
何のために生きて死ぬべきなのか
目的のない生は狂おしい
無益な死さえも許されない
ひび割れた爪の先が腐る頃には
痣だらけの頸が弛む頃には
死の穴が祝福してくれるでしょうか
何も見えないのです、何も
ひとりきりの声は虚ろに
進め進めと囃し立てます
真っ平らな大地は残酷に
私を生かし続けるのです

just them

2020-12-15 | 暗い
ぼくはなんでもないいきもの
まっくらやみでもぞもぞしている
なーんでもない
なんでもない
あかるくなったらめがさめて
私は私になるのだろうか

恐れはあなたのまぶたを塞ぎ
怯えは私のまぶたを開く
光は全てをまっすぐに照らし
彼らの輪郭を浮かばせる
けれどばつんと灯りを落とせば
ぼくもきみもなにもかも

なーんにもない
なんにもない
だれでもなにでもなんでもない
きみがいくらさけぼうとも
きみがいくつきずつこうとも
ぼくがどれほどねむろうとも

ときどきおちて時々点いて
消えては浮かぶぼくらストロボ
今は私 それともぼく
あなたはいつもあなたでいる
証明するだけの材料もなければ
おそれのまえではおんなじこと

ひかりはあなたのめだまをつぶし
眠りはあなたそのものを殺す
なーんともない
なんともない
ぼくはなんでもないいきもの
だからきみらはどうでもいい

贔屓目

2020-05-01 | 暗い
たったの一日食事を与えなかっただけで
虫たちは気付けば息絶えていく
あるのは無惨なはらわたを晒した
共食いの痕跡があるばかり

わたしという分母の中で
かれらの一生はあまりにささやかだ
それは他の生き物にも言えること
手の中の鳥もまた
おそらく幾つかの明日を過ごし
籠の上へ落ちていく

幸せなどという不確かなものを
推し量ることなどできはしない
相対的な価値観を
どうして他者へ圧し計れようか
ああ、死んでしまったかと
寂寞だけが胸にある

分母と分母は折り重なり
小さければ幾億の
大きければ幾つもの
サイクルが始まり終わっていく
重なる線が多ければ多いほど
愛しくなるというわけでもない
然るに分母の近似値こそが
親愛の寂寞をかき立てるのだろう

何も始まってはいなくとも
何も終わってはいなくとも
塵芥ははらわたを晒し続ける
何も始まってはいない
何も終わってもいない
重なる線と分母の近似
それらに傷をつけられようと
計り知れない数の先に
わたしは手を合わせている