暇人詩日記

日記のかわりに詩を書いていきます。

成長期

2012-10-29 | -2012
きらびやかなまぼろしが
ちらりちらりとまたたいて
ぬるりと飛び出す小鳥の群れに
ぼくはときどきはっとする

ゆめとうつつをくりかえし
うつらうつらとゆめうつつ
彼らは群がる羽虫のようだ
必要もないのに寄りかたまって

ベッドを抜け出す時が来た
(さあ、ぼうや、ママにキスをしてごらん)
しこりを残す眠気を振り払って
(ほら、ぼうや、パパの上は高いだろう)

夜のとばりが降りるころ
朝の日差しがそそぐころ

ぼくはときどきはっとする
ぼくはときどきはっとする

きらびやかなまぼろしは
いつまでたってもまぼろしだ
するりと体をすりぬけていく
小さな猫とおんなじに

ベッドを抜け出す時が来た
それが朝でも夜中でも
そろりとベッドを抜け出して
(さあ、ぼうや、私たちに挨拶を)

押さえつけられた腕と腕
癒着しどろどろ混じりあう
それはやっぱりまぼろしなのか
ぼくはベッドを抜け出した

ふわふわ飛び交う羽虫の群れは
静かな地獄を地上に持って
それがもしも彼らであるなら
地獄はどこにあるのだろう

さあ、ママにキスをしてごらん
優しい優しいまぼろしの声
ほら、ぼうや、パパの上は高いだろう
優しい優しいまぼろしの声

ぼくはときどきはっとする
朝でも夜でも関係なしに
ベッドを抜け出す時は終わった
それでもときどき、はっとする

咀嚼

2012-10-03 | 錯乱
高い草の蔭で
私と踊る大きなカラス
よく目立つ黒い羽毛が
そこかしこに舞っていた

深い海の底で
私と歌う小さなクジラ
わずかに映える泡は煌めき
ゆらゆらと水面を目指していった

円い土の上で
私と笑うたくさんのイヌ
耳まで裂けた口と牙が
優しく生暖かい吐息をもらした

たくさんの命と一緒に生きているの
最近は特にそう思います
いいえ、いいえ
体はちっとも重くない
だってたくさんの命と
一緒に生きているんだからね
呼び声が掠れていけば
誰もいない夕暮れの土手となるわ

たくさんの命を背負って生きているの
最近は特にそう思うのです
そうね、そうよ
草がむなしく横たわるそばで
羽毛はきらきらと舞っている

踊っていた
歌っていた
笑っていた
今は?
今は?
前も?

たくさんの命と一緒に生きているの
たくさんの命を背負って生きているの
いいえ、そうね
いつだってそうなのですから
誰も振り返らない道
向こう側で日が暮れて
原始が息吹をそびやかす
たたかいの果てに私は
たくさんの命と一緒に生きました
たくさんの命を背負って生きます

カラス、
クジラ、
イヌの群れ

羽毛は舞い終わる
泡は途切れる
赤い口は滴る
獣を模してもそれらは獣
何もかも

ソウルブラインド

2012-10-03 | 錯乱
錆び付いた音がするりと耳に馴染んで
きしきしと懐かしい音を立てる
耳障りな軋みも
途切れ途切れの声も
海水に浸るひとでのよう

切実なその声よりも
音に委ねた幼い切実が
戻れ戻れとせっついてくる
結局誰にも好まれなかったそれは
今はひっそりと動きを止めていた
悲しいのか寂しいのかわからないが
錆び付いた音はただただ心地好い
載せられる意味など知らずとも

皆がこちらを指差しては
心が死んだと糾弾する
死んではいない、死んでなど
でなければ呼吸するはずもない
でなければ
こうやって今なお幼さにもがくこともない
軋んだ、軋んだ金属音
無機ならば生も死もなかった

いっそ言霊となれば良かった
言葉通りに死者となり
水と光を貪る毎日
いずれ不必要なほど大きな花を咲かせて
ゆるりと枯れて往けるのだ
いまだ復活を繰り返す細胞も
さぞや飽いているはず

軋んだ音は終わりを迎え
くぐもった静寂を予想する
その先に横たわるのは暁の息遣い
枯れた花の甦る朝
無機物にすらなれないというのに
また指を指され光と時間を消費する
輪廻のめぐる地獄の機械を握りしめ
古びた輪を一つねじる
永遠に永遠に、錆びついた音は
この耳と心を甦らせるはずだから