群発してなりやまぬ思考の塊が
同時多発ではないが極めてそれに近い速度で
瞬間的に点在しては閃いて
収束を見届ける間もなく
やがて衛星には程遠い思界では
観測不能になっていく
それらは私という観測者のもとに
存在を確かに認められているが
しかし客観性事実というものは
第三者という私以外の観測者なくしては及ばず
これはあくまで私的な認識に過ぎない
口を噤む限り事実は事実にはならない
手のひらから無限に砂が生まれているようで
砂は固めねば砂のままにしかなりえない
比喩ならいくらでも思いつく
全ては繋がっていると表現するのは容易い
しかし実際には
言い当てるための的を見いだせていないただの無能
生まれるばかりで制御がきかない
ブレーキが時々壊れてしまう
生存の境界線を考え続けている、
正常も異常も善と悪とは何の相関もない
言葉はただの言葉に過ぎないが
そもそも群発するこれらは五感のいずれに当たるのか
正しい言葉
正しい言葉を探している
つまるところこれらの言語と思考の爆撃は
無益なトライアンドエラーに他ならず
性能の悪さが露呈された結果に過ぎない
ブレーキの壊れた車に誰が乗りたがるだろう
爆心地に誰が近寄りたがるだろう
けれども私は降りることもできなければ
そこから離れることもできない
しかし口を噤む限り事実は事実でないのなら
暴走する車はなく
星は落ちることもなく
爆心地は存在しない
破壊によって生み出される創造を
手を動かすだけで得られる報酬系の充足を
破滅を願う生産活動を
車の上でおこなっていれば
第三者という観測者は
それらを正しいと
善であると裏付けるだろう
客観的事実とは
所詮ヒトというたった一種によって依拠される
利己的な価値の納得のために過ぎないのだから